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【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (3)  永遠に愛して

インスルヘンテス通りは、メキシコ市をほぼ南北に30キロメートルくらいまっすぐに伸びる主要な道路。

北部の丘にあるグアダルーペのバシリカから、インスルヘンテス通りに沿って南へと下っていくと、車だと1時間、地下鉄で40分くらいで南部のほうにある、コヨアカンとか自治大学のエリアにたどりつく。
 
実は、メキシコ生まれのファミレス・チェーンのVIPSはこの通り沿いに当時でもおそらく10軒以上存在したが、麻里の言う「インスルヘンテスのVIPS」は南のほうのコヨアカンのちょっと北あたりのを指しているのをシンイチはわかっていた。東京でいったら、池袋に滞在しているのに月島に来て、というのに似ているが、シンイチにはこのメキシコ・シティ縦断の旅は、苦ではなかった。2年前に南の方に住んでいた頃が思いだせて、懐かしくもあった。
 
まだ午前6時であたりが薄暗いテペヤックの丘の宿を出る。まだ人がまばらなグアダルーペ寺院の広場を横切ると、早朝の礼拝なのだろうか、灯りのついた古い礼拝堂のほうから祈りのような声が聞こえる。

寺院の前には、奇跡を求める巡礼者なのかホームレスなのか、何人かが毛布をかぶって寝ていた。

そして、40分ほど地下鉄を乗り継いで目的地近くの駅の地上に出る頃には、明るい太陽が登っていた。
 
VIPSという赤いロゴが付いた、いかにもファミレスという建物に入る。すると、奥の方に麻里がいるのが見えた。もうひとり、会ったことのないメキシコ人らしい女性が座っている。
 
「おひさしぶり」シンイチが言うと、麻里は立ち上がって、「遠いところ来てくれてありがとう。朝早くてごめんね」と答える。

隣の女性と目が会い、「オラ?ソイ・シン(こんにちは、シンです)」とスペイン語で挨拶しつつ握手の手を差し出す。

すると、完璧な日本語で、「はじめまして。エリカです」と言う。

「え、日本語だいじょうぶ?」

「こんな顔してますけど、日本育ち、母国語は日本語。母がメキシコ人、父が日本人なんです」とクールに言う。

ドキッとする美人。黒い髪をアップにしていて、そういえば、昨日オスタルでホアキンと見たミュージック・クリップのイタリア人女優にちょっと似ている。黒いブラウスにスリムジーンズでモデルみたいな雰囲気。
 
「あなたが、クレヨン君ね」そう言うと、エリカは麻里のほうをみて笑う。それを見て、麻里もくすっと笑う。

「ああ、シンちゃんね、よく言われる」シンイチはちょっとむすっとして答える。「まあ、おしりプリプリはやらないけどね」と言うと2人はどっと笑う。
「ねえ、変な人だって言ったでしょ」麻里が、いつもの、のんびりした感じで微笑みながら言う。

この笑顔を見に今年も来た、とシンイチは思う。そして、ちょっと会話をつなげる言葉を見失い、じっとただ見つめてしまう。
 
「昨日はごめんね。先週からフィールドワークがあって、ほとんどウナム(自治大学)の研究室に籠もりっきり。昨日も夜遅くまで研究室のタイプライターと格闘してて、夜はエリカのお母さんの家に泊めさせてもらったの」
「それで夜、下宿に電話したら、セニョーラから、あのアミーゴ・ハポネス来たよ、コヨアカンのウズラの店に居るよ、と聞いたのがもう夜10時だった。それでホテルにメッセージ残したの」

「エリカはね、クラシックのギタリストなの。CDも出してる。私がルルドのマリアの研究でパリにいた4年前に知り合って、彼女もパリの音楽学校にいたのね、それでまた去年ここで再開したの。そうそう、私とエリカは同じ年、同じ月の生まれだから、シンともまったく同じ」

「え、じゃあ三人みんな双子座?」

「そうそう、二重人格、多重人格の、双子座生まれ」とエリカが言う。
不思議な感じがした。ちょっと残念な気もした。自分と麻里の誕生日が4日しか違わないのを知り、それに運命的なものを感じていたので。それが薄まる気がした。
 
VIPSのユニフォームを着たウェイトレスが注文をとりにくる。先に来ていたふたりは既にコーヒーとフルーツ・プレートを頼んでいた。メニューも見ず、シンイチはオーダーする。
「(えーと、ウエボス・ランチェーロスと、チラキレスと、それにあの笛みたいに巻いたトスタードス、なんて言ったっけ?)」シンイチが聞く。
「(フラウタ(フルート)ですね。チキンでよろしいですか。お飲み物は?)」
「(じゃあ、チキンのフラウタにカフェ・デ・オージャね)」とシンイチは2人が普通のアメリカンコーヒーを飲んでいるのをみながら言った。

「凄い量。クレヨン君、よく食べるね~」

「これ、時差あるから晩飯なので」とシンイチは言い訳をする。確かに、かなりの量の注文。
「メキシコ来たからには、うまいもん食わないとね。トマトとチーズたっぷりの卵焼き、牧場風卵焼きは外せないし、トルティージャがはいったチラキレスはまあ主食がわり、さらにトルティージャを揚げたカリカリのトスタードスの一種、春巻きみたいに丸めたフラウタス。
コーヒーも、豆を鍋にいれてぐつぐつ煮て、上澄みをとったこのカフェ・デ・オージャがやっぱりメキシコっぽい。シナモンとか煮込んであって香りもいい」
「シンイチはね、食料商社勤務なの。それで食べ物は詳しいの」と麻里が付け加える。
 
料理が運ばれてくる。一皿一皿の皿のサイズが大きい。
「今回はどういう予定?」麻里が聞く。

「今回は比較的のんびり。例によって、飯はできる限りつきあってほしい。忙しいと思うけどはるばる来たしね。お願いします。ちょっと話したいこともあるし。イベントとしては、明日は午後から、留学時代の下宿先のフェルナンデス家でセニョーラ達に本格的サルサの作り方を学ぶ。
その後は、留学時代に一度しかいけなかったルーチャ・リブレをみにいく。今週、伝説のルチャドールのミル・マスカラスがゲスト出演する日があるので、その日のチケットをおさえにいく」

「え、ルーチャ行くの。私、行きたい。まだ見たこと無いの」とエリカが言う。
「お、プロレス好き?ラファエルがチケットをトライしてくれてるから、追加できるか聞いてあげるよ。いまのところ、野郎だけで行く予定だったが。あれ、結構、危ないあたりにあるので」
「おもしろい、おもしろい。麻里も行こうよ。私達だけじゃいけないし」
「今日、明日で調査のレポートが仕上がればね」と麻里はあまり乗り気でない。
 
 麻里のマリア信仰の話のように、シンイチのルーチャ話も始まると止まらない。

「まあ、もう平成の時代になってしまったが、昭和の時代を育った男としては、プロレスは小学校時代からの憧れ。
70年代に突如として日本に現れた、仮面の男ミル・マスカラスは、メキシコプロレス、ルーチャ特有の飛び技、空中殺法を駆使して、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田やザ・デストロイヤーと日本プロレスのひとつの黄金時代を築いた。
飛ぶんだよ。ロープの反動とか使って、時に柱に登ってからぴょーんと。飛んで相手に両手でバッテンした空手チョップする、フライング・クロス・チョップは凄かったなあ」と、チラキレスを頬張りながら、シンイチが熱く語る。
 
エリカは笑って言う。
「おもしろそう。ラテンの国はとくにね、女性ひとりとか女性だけで歩いていると、ナンパがうるさいのよ。それでどこへでもふらふらとは行けないの。麻里とふたりで出かけたら大変なのよ。クレヨン君がいてくれると、そういうやつを防いでくれそう」

「おれは虫よけスプレーか。よし!ラファにあと2枚チケット追加頼んどくよ。たぶん水曜夜、ソカロ広場近辺。ラファのガールフレンドのピラールも誘っとくよ」。中に茹でたチキンとフリホーレス(ビーンズ)がはいっている揚げた筒状のトルティーヤにサルサをたっぷりかけたのをガリっと噛みながら、シンイチが答える。
 
麻里はすぐ研究室に戻って作業しないといけないというので、朝食の後、シンイチは2人と別れる。インスルヘンテス通りをふらふらと北上することにした。なんてことはないが、懐かしい町並み。日曜なのに、交通量は多く、排気ガスで空気が悪い。

北上する中で、途中、何度か路地にはいったりしながらの、腹ごなしの散歩だった。身体の中に溜まった、片想いの持病のような重たい鉛のような気持ちも発散できたらというのもあった。
 
日本から持ってきたウォークマンはラジオがついていたので、カセットを聞くのはやめて、メキシコのFM放送にチューンインする。

すると、懐かしい、キューバのシンガソングライターのパブロ・ミラネスと、昨日ルルデスで知ったばかりメキシコ人女性歌手のグアダルーペ・ピネーダのデュエットが聞こえてきた。

曲はパブロが書いた往年のヒット作、ヨランダ、別名、テ・アモ。エテルナメンテ・テ・アモ(永遠に愛して)というメロディーが美しい。
 
ヨランダより歌詞部分抜粋訳
「単なる唄じゃなく
これは愛の宣言
ロマンティックに、溢れる想いを
止めることなく
テ・アモ
テ・アモ
永遠にテ・アモ」
 
翌日、2年ぶりに、留学時代に下宿してお世話になったフェルナンデス一家の家を訪問する。こちらもメキシコ市南西のサンヘロニモ・リディセという住宅街にある。オスタル・ルルデスからは、1時間以上離れていた。

留学当時すでに90歳を越えていたアブエリータ、一家のおばあちゃんは昨年亡くなられたと聞いていたので、まずはお悔やみからだったが、姉妹である2人の60代のおばさんたちは、大歓迎してくれた。とくに、妹のティナおばさんは料理上手だったので、サルサを教えて欲しいというシンイチの頼み入れをとても喜んでくれていた。

ティナおばさんは、生まれつき片足が悪く、びっこをひいて歩く。ちょっと背中もまがっていて歩きにくそうだが、スイスイとけっこう早く歩く、働き者。下宿時代はシンイチの衣類の洗濯もしてくれていた。もちろん下宿代とは別料金を払って。

下宿には、30代の子供のいない若夫婦、その母である60代のマルタおばさん、そして当時は祖母のアブエリータ(祖母の意味。他人のシンイチもアブエリータと呼んでいて本名を知らない)、そしてティナおばさんその愛犬の小型犬プペット。ティナおばさんは明るいし働き者だし、顔も目鼻立ちがくっきりと美形。よくはわからないが、おばさんは結婚はせず、ずっと家で家族と生きてきたようであった。

「それって日本にも昔あって、今でもラテンではよくある、拡大家族。核家族化した日本社会からは想像つかないかもしれないけど、血縁のある同士、けっこう緩やかにおおまかに、3世代くらい、いとことかも含めて同居してる。兄弟姉妹が結婚してからも一緒だったりはけっこうあるのよ」と麻里が言っていた。「家族を大事にする、ウェットなラテン的人間関係の背景のひとつよねよ。ちょっとうらやましい」
 
昼下がりの料理教室。まずは、シンイチの下宿時代、食卓にいつもあって、毎日のように食べていた、サルサ・メヒカーナ。メキシコの国旗の三色がはいっているのでそう呼ばれている国民的サルサ。生の、玉ねぎ、トマト、青唐辛子、シラントロ(コリアンダー)、ピーマンが、ライム汁と生ニンニクに浸かっている。つくってから寝かしておくのがおいしくする秘訣だという。

サルサ・ベルデ。これは必ずグリーントマトを使う。それで緑色のサルサになる。玉ねぎ、シラントロなどサルサの定番もはいっていて、チリをたっぷり入れるとかなり辛くなる。シンイチはこれを焼き肉にかけて食べるのが大好きであった。

その他、主要なものでも、サルサ・ロハ、サルサ・デ・チレ・アバノ、サルサ・クルーダ、サルサ・ランチェラー、サルサ・アドボ。メキシコ料理のサルサの種類は多い。それらを、メキシコの主婦はまだまだ手作りで作っていた。もちろんスーパーや市場でも売っているサルサはあるが、やはり、手作りが美味しい。

 (続く) 全15話

パブロが書いた往年のヒット作、ヨランダ、別名、テ・アモ。エテルナメンテ・テ・アモ(永遠に愛して)というメロディーが美しい。



(続く) 全15話


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