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『どこかまったく別の場所でトナカイの大群が』

『どこかまったく別の場所でトナカイの大群が』(短編集『もののあはれ』より)
ケン・リュウ著


一言で言えば、未来の人間像?、生きるってどういうこと?みたいなことを示してくれる話。かなり、かっ飛んでいるのだけどね。

メインの登場人物は、4次元環境に存在する物語の主人公のレネイ 、20次元に存在するレネイの父親、そして、3次元環境に身を置き、古代人と言われているレネイの母親。

人類は、基本的に、体を持つことをやめて、遺伝子だとか、意識だとかは、全てサーバー?にアップロードされて、それぞれ好みの仮想空間の中で、自分の世界を広げているというような何とも創造力をかき立てられる世界観なのだけど、なかなか、映像として想像することが、難しい。

母親は、生身の身体を持っていたことのある古代人なので、本物の実体験にこだわった生き方を選ぶ。そして、自分の固有のデータ、意識?を現実世界では、非常に遠方にある惑星に自分の生命?をかけて、飛びたっていく。

母親は、自分に課されている惑星探査の使命を全うする前にレネイに、本物の世界を見せたいと思って、45年の歳月をかけて、本物の地球をレネイに体験させるという話。

実体を持たない存在同士が、どうやって、結ばれて、遺伝子が組み込まれていくのか、よくはわからないのだけど、、脳が刺激を受けた感じがした。

レネイは、観念上、四次元空間にあるとされる"クラインの壺"に住んでいるのだけど、いったいどんなふうになっているものなのか、是非、映像で見てみたいと思った。3次元のものでは無いから、映像化できないらしく、どう理解したら良いのかわからないのだけどね。面白いのは、"クラインの壺"って本当は、壺ではなく、曲面が、交差しているような面らしいのだけど、ドイツ語を英語に翻訳したときに面のことをボトル(≒壺)と間違えたらしい。

生きるとはどういうことなのか
という永遠のテーマが、主題なのだろう。精巧な身体 を持つAIに自分の全てがアップロードされて、本人のように思考することが出来たら、それは自分が生きていることになるのか?さらに進んで、振動のようなエネルギー体になったものは、生命体なのだろうか?なかなか、悩ましい。まあ、ビックバン以前は、一つのエネルギー体から始まっているらしいので、頭は混乱する。

SFの醍醐味ではあると思った。

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