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母のいない母の日に想うこと

母の日ですね。
カーネーションの花束を買って、仏前に供えました。
普段より3割くらい高いかなー、足元見てるなー、と悪態はつかないでおこう。

遥か昔のこと。
あれは母の日ではなく、誕生日だったかな。
お小遣いを握りしめて、私は近所のお花屋さんに走り、店頭に並んでいた花束の中から、ひとつを選んだ。持っていたお金で買えるものが、それしかなかったのだ。

差し出した花束を見て、母は驚いた。
「これ、仏様のお花じゃないの!」
そう言って、大笑いした。その後、長きに渡り、家族間での笑い話となった。
「せっかくだから、これは仏様にあげようね」
母への花束は、仏壇に供えられることになった。

某掲示板で、やはり仏花をプレゼントされ、娘を怒鳴りつけてしまった母親のお悩みを知った。
まー、その人が全く反省していない。世間体のために仲良し母娘に戻りたいだけという……。

気の強い母とはたくさん喧嘩もしたし、理不尽で腹立つこともあったけれど、一つだけ確信していたのは、私に対しては、無償の愛を注いでくれていたこと。

ただの八つ当たりか、愛のある説教か、子供はちゃんと、判断しているのだ。

大人になってからだけれど、仏花を笑い飛ばした母には、ハワイやバリ島旅行をプレゼントした。
それでも、亡くなった今となっては、十分な親孝行が出来なかったことを悔やむばかり。

おそらく私と同じ思いで捧げた花、それが仏花だったからといって、
「こんなもの寄越すんじゃねえ!」
と、怒鳴り付けた母親が、今後どうなろうと知らん。

因果応報。
色んな意味で、この言葉を考え直す母の日であった。

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