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楕円球の青春 プロローグ

こんにちは。

私は高校からラグビーを始めました。私くらいの年頃の方は、大概、高校からラグビーを始めたと思います。稀に、ラグビースクールから、というラグビーエリートもいますが。同期のI君など、そのように聞いています。彼は、高校ジャパン。

怒涛の高校編は、またにして、なぜ、猛練習で鳴るこの大学のラグビー部に入部することになったのか、そのことをお話ししましょう。

高校三年生の頃。

高三になって、進路を決めていかなければならなくなりました。勉強の時間も増やさないといけない。でもクラブがある。キャプテンでもあるので、自分だけ辞めるわけにもいかない。

まして、高三になる前の春休みに近畿大会にも出場したし、みんなこのチームでもっとやりたい、と思っている。僕も、そう。

でも、担任は、「秋までラグビー?そんなもん無理、大学合格しないぞ、6月で辞めろ。」という。そんなん無理やん!

そこで、担任とラグビー部の顧問が話をして、マスコミ(僕はその頃、将来は報道関係に行きたい、と思っていた。)に強い、A大学を第一志望にするなら、最後までラグビーして良い、ということになった。

なんだか、はめられたみたいだったが、ラグビーはできるし、A大学は強いチームなので、二つ返事で承知した。

ラグビー部の顧問は、熱心にA大学の関係者にコンタクトを取ってくれた。甲斐あって、大学の夏合宿に参加することになった。えーっ、大丈夫かな?

8月の下旬だったと思う。私は、菅平にいた。
大学の練習に2日参加した。

約30分の走り込み練習。なんと、レギュラークラスのグループだったと思う。緊張と、運動量の多さでフラフラだったのでは、と思う。だが、なんとかこなした。その後は、見学。
2日目は下級生のグループ。大学生は、みんな必死だったのを覚えている。

この時、コーチの方に言われたのは、こう。

入試をパスするのには、
毎日単語を一個ずつ覚えなさい。
ハイ!
懸垂を練習しなさい。

その頃、体育コースには実技があり、懸垂二十回で満点だった。
なるほど。

その時ご一緒させていただいた、滋賀県の先生に、
「グラウンドの石を持って帰れ。」と言われ、適当なのを拾った。
そうや、これを返しにくるねん、しんどい時も、この石見て、頑張る!と誓ったものだ。

その石は2年後にこのグラウンドに帰ってくることになります。

こうして、私のチャレンジは始まったのでした。
高校の担任やラグビー部の顧問の先生にはめられたようだが、今となっては、ありがたいことだったと思っています。

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