愛の原型

テレビ東京の2時間ドラマ「駐在刑事」は毎回面白くて観ているのだが、今回も色々考えさせられた。

憧れの日本に夢を見て来日した韓国人青年が、隣人のシングルマザーの娘と仲よくなる。シングルマザーはDV加害者から逃げるために戸籍を替え娘を学校に行かせることが出来なかった。そんな事情を知った韓国人青年は、そのシングルマザーが亡くなった後、残された娘の父になろうと決意する。
ネタバレを最小限におさえてかくと、こういう感じで韓国人青年は日本人の無戸籍少女を思いやることになった。
この青年は少女の母のシングルマザーとは深い関係ではなく、むしろ母からは疎まれていた。だが、学校に行けず寂しそうに一人たたずむ少女をほっておけなかったのだ。

愛の原型とは、どんなものなのだろうか。
恋愛感情なのか親子兄弟姉妹の情愛なのか。

この韓国人青年は、親子兄弟姉妹のつながりどころか、国籍さえ違う相手に愛を持った。性愛でも友愛でもなく、ただその子のことがほっておけないという感情に突き動かされてのことだった。
この感情は、愛ではないのだろうか。

大河ドラマ「どうする家康」で正室と同等以上に愛された側室・於愛の方は「殿は尊ぶお方であるがお慕いする存在ではない」と語っていた。だが、於愛の方は家康から愛され家臣団からも信頼され彼女自身も「これは生きるための偽りの笑顔」としながらも、家康のことを真剣に気遣い彼の笑顔を心から望んだ。
この於愛の方の思いは、「お慕いする」ではないから、「本当の愛」ではないのだろうか。

「駐在刑事」では、その韓国人青年の隣人の少女への同情から始まったであろう愛を、多摩地域の人々の日常的な愛情で包み込む。種類は違うかもしれないが、愛情が愛を肯定するのである。だからこの韓国人青年と日本人の無戸籍少女との間には、少し苦いが幸福な結末が待っている。

もちろん、そういう愛を語った詐欺や犯罪も今は増えている。愛の形が一つでないからこそ、こういう愛の可能性もあるのではないかと迷い、深い闇に落ちてしまう。騙される方はもちろん、騙す方も。

愛の原型とはどんなものか。
これはそれぞれが探すしかない。
その上で判断を間違わないためにも、逆説的だが、私たちはもっと愛すること愛されることの経験値を増やさなければならない。
恋愛のように、現代日本社会では基本的に1対1でしか成立しないものにチャレンジることはもちろん、友情という比較的成立しやすい愛であっても失敗は起こる。
だからこそ、そういう関係に入ることを最初から放棄してしまう人も多い。
特に優しく繊細な人に。

でも、だからといって愛の経験自体を最初から放棄してしまうと、愛を名乗る巧妙な犯罪にひっかかってしまう。悪意を持った経験豊富な人間の観察眼は、恐ろしいほど鋭く冷徹だから。

だとすれば、そういう犯罪の被害を防ぐためには、結局自分たちが愛することと愛されることの経験値を増やして、経験的な判断力と覚悟を身に付けていくしかない。愛することや愛されることに、慣れていくしかないのだ。

だからこそ、人は誰しも、誰かを愛さなければならない。


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