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映画『雪の轍』を観て~コロナ禍にありて思うこと~

◇ 人生の冬、これから ◇

30年近くにもおよぶデフレにより、この国に住まう人々の懐は冷え込みに冷え込んだ。にも関わらず我が国は、2019年10月に消費税を10%まで上げるという暴挙に出た。

そして、その影響での実質GDP大下落と重なるように、次はまさかのコロナ危機。

それにしてもこの国は、フィクション以上にフィクションじみたディストピアになってしまった。
これから映画や小説について語っていこうと思い立ったわけだが、現実が今までになく苛酷過ぎてどうしてもリアルの方に感情が揺さぶられ、愚痴が先に出てしまう。
しかしこの愚痴の内容は、今回感想を述べようとしている『雪の轍』と決して無関係ではない。なので、もう少し愚痴ろうと思う。

さて、消費増税とコロナ対策で国民をいじめ抜いているお国のトップ。
「自粛は要請するが補償はしない」と庶民を兵糧攻めしながら、今こうしている瞬間にも、どんどん日本を滅ぼしにかかっている。
いや、この国に生きる人々を殺しにかかっている。
ワクチンに関しても、やーやー言われたくないからとばかりに先回りして「○月までには接種を終えられる」とか「どこそこに十分供給してもらえるから大丈夫」みたいな希望的観測をカジュアルに言ってのけ、その実、ワクチンのみならず、医療従事者が足らない、注射器が足らないなど問題は続出。結果、全然約束は守られない、あるいは現場や各自治体に無理を強いたり、責任を押し付けるなどして、ますますあちこちで混乱の渦が巻き起こっている。
さらにそんな状態での五輪強行とか。正気かよ。

コロナ禍の前から、隠蔽、改ざん、ねつ造を繰り返し、法をねじ曲げ、己らの利権のために税金の無駄遣いをし、悪の限りを尽くしてきた反社政権のことだ。このまま続けばろくなことにはならないと思っていたが、想像以上に酷い。

ただ、考えてみれば、バブル崩壊後に社会に放り出されて以降、私は好景気の世というものを生きた事がない。
また個人的にも、富むチャンスは皆無であった。生活が豊かじゃないのは、己の才の無さ、あるいは努力不足のせいもあったかもしれない。
しかしそうだったとしても、税金払ってるんだから、もうちょっと国は私に優しくしてくれても良さそうなものだ。新自由主義だか何だか知らないが、この国は一度躓いた者を積極的に救おうとしないどころか、非情に切り捨てさえする。
そしてその冷酷さの度合いが、現政権で最高レベルに達しているのだ。

現在私は、コロナ蔓延ぶっちぎりでトップを走る大阪市の片隅でうっそり暮らしているが、かつては常に経済的悪寒に見舞われながら、東京23区内で一人暮らしをしていた事がある。

東京生活のかなり序盤で負のスパイラルにはまり込んでからは、ダブルワークで必死にあがいたものだが、ついぞワーキングプアを脱する事は出来なかった。
東京での一人暮らしをする中で、我が財政を一番逼迫させていたのは、間違いなく「家賃」であろう。贅沢は言わず、とりあえず人並と呼べる最低ラインぎりぎりの物件を選んだとしても、やはり全収入の三分の一以上、半分以下という割合を占めてしまう家賃。
高額な賃料をATMで振り込むたびに、思い出すのが家主の顔である。毎月この金額を稼ぐために、やりがいもない仕事に人生の二度と戻らぬ貴重な時間をどれだけ費やしているか。なのにその金は自分の前をあっさり通り過ぎ、家主のもとへ去っていく。

理不尽だ。

なにゆえあの家主は、こんな汗と涙でぐしょぐしょに湿った金を当然の権利として涼しい顔で受け取れるのか。
「ヤチンシュウニュウ」、「フロウショトク」、「イサンソウゾク」……持たざる者にとっての憧れのワードが、家賃を支払う度に卑屈な耳に響き渡る。むろん、憎むべき相手は家主ではない。そもそも私の苦労など、あの家主が知る由もないのだ。
しかし、貧すりゃ鈍す。
恨める者は何でも恨みたい。だってどう考えたって家賃高すぎるし、更新料とかわけわかんないし。
こんな風に、支払う側が「貧乏人」で、受け取る側が「資産家」っていう不公平が延々続くような世の中で、何かを恨まざるして過ごせるものか。
せめて恨み言の一つくらい言わせて欲しい。

◇ うそ寒いアイドゥンの「悪い人じゃない」アピール ◇

さて、ようやく『雪の轍』だが、本作の主人公アイドゥンもまた富める家主の一人である。彼は、賃貸物件の家主であるだけでなく、トルコの世界遺産カッパドキアにて素敵なホテルも運営している。
そしていずれの不動産も、亡くなった父親から相続したものだ。
父親からの「イサンソウゾク」によって「ヤチンシュウニュウ」などの「フロウショトク」を得ている資産家。
見事、羨望ワードコンプリートのブルジョワではないか。
さらに言えば、このアイドゥン、元俳優らしい。
そしてその肩書きを生かしつつ、地方紙にコラムを書いたり、トルコ演劇史の出版を目指して執筆中。つまりインテリなのである。ブルジョワでインテリ。実に嫌味な男だ。
しかしこの「嫌味な」というのは、単にイメージの問題だけではなかったようだ。映画が進むにつれて、彼の絶妙なる感じ悪さが露呈し始める。

まず彼は、インテリという自負があるせいもあり、泥臭いことには関わりたがらない。基本、家賃の取り立てなどの汚れ仕事は下に任せて、自分は遠くから眺めているだけ。
しかし、話し合いで決着がつかなそうだと判断すれば、容赦なく強制執行官を送り込み、ただでさえつましい暮らしをしているその家族から家具などを差し押さえたりもしている。
家賃を滞納している一家の息子は、日々父親が厳しい取り立てにあっているのを見て怒りが募り、思わずアイドゥンの車の窓に石を投げつけガラスを割ってしまう。この息子の憎しみを湛えた強く激しい眼差しを見れば、これまでアイドゥンがこの貧困一家にどれほど冷酷な仕打ちをしてきたかがよくわかる。

窓ガラスの弁償をしたいと借主の弟が家に訪れた際、アイドゥンは「たかだかガラス一枚くらい、別に気にしなくていいのに」なんて、最初はいい人ぶって気さくに言ってみせた。
しかし、借主の弟に窓ガラスの値段を聞かれ、「あー値段ね?多分、70リラくらいだったんじゃないかな~?ちょっと待って。(部下に電話をかけて確認)……ごめーん、170リラだったわ~」ってな感じで、事も無げに返答。
ってゆうか、わざと?最初から170リラって知ってたんじゃない?
だけど思いのほか高めなんで、すんなり言うと強欲に思われちゃうかもとか考えて、一見金額なんて興味ないふりかまして、実際よりもかなり安く言ってみたりしながら薄~く「おおらかな人」アピールしたよね?でも、結局全額もらう気満々じゃん。やり口が逐一嫌らしいわ。
家賃も払えず、家具も差し押さえた一家から、窓ガラス代も満額もらう気?そもそもお前にだって原因があるだろ?
金持ちなんだから、大目に見てあげてよ。
せめて、最初に言った70リラにしてあげて!
……てな具合に、私、個人的経験からあまりに貧困層サイドに肩入れし過ぎてしまい、すでに家賃云々の件だけで憤怒にまみれてヘトヘトになってしまった。まだ開始30分強にして、再生時間の残りは3時間弱。

それにしても、ここ数年の受賞傾向かどうか詳しいところは知らないが、パルムドール受賞作品に見られる貧困と格差の表現は、どれもこれも自分の胸をえぐりまくる。
『雪の轍』は2014年の受賞作だが、その後、『わたしは、ダニエル・ブレイク』、『万引き家族』、『パラサイト』と、怒濤のラインナップが続く。

◇ 人間を知ろうとせず、人間を語りたがる男 ◇

「父から受け継いだ財産だが、時々すべて手放したくなる……」なぞと、遠い目をしてアイドゥンはのたまう。

ふーん。

真に貧窮した事のないヤツが言いそうな、いかにも上滑りなセンチメンタリズム。しかしある意味、アイドゥンという男の纏う、このどうしようもなく人を苛つかせる上滑り感が、本作品内で起こるあらゆる悲劇の元凶になっている。

コラムニストでもあるアイドゥンは、日常生活の中で、やたら小難しいテーマを掲げて人間を語りたがる。
相手をするのは、アイドゥンの若き妻であったり、出戻りの妹であったり、あるいは近所の友人であったりするのだが、その「対話」の一つ一つはなかなかに分厚くて、まさにこの映画の見所と言ってもいいだろう。

ちなみに、少々くどく感じられるこれらの難解な「対話」は、ドストエフスキー的だとも言われており、なるほどと思う。確かに皆、ドストエフスキー的なさらけ出し方をしている。
あまりに辛辣な言葉をぶっちゃけ過ぎたあげく、言った方も言われた方も最終的には呆然となる、みたいなやらかし感も半端ない。

特に妻と妹のアイドゥン批判は、切れ味鋭く容赦もゼロ。

いくらアイドゥンがいけ好かない奴とはいえ、さすがに気の毒になってくるレベルだ。

そもそもアイドゥン、何をそんなに妻や妹に批判され続けているのか?

かなりざっくり言うと、
「あんた、全っ然わかってないくせに、すっげー偉そうだよね!」
ってこと。

インテリなアイドゥンは、それぞれの議論でそれなりにそれっぽーい理屈をこねるのだが、基本、問題の核となる部分をあんまり深く掘り下げているわけじゃないし、ぶっちゃけそれほど本気で心を寄せているわけでもないので、軒並み言葉が薄っぺらく偽善的に響くのだ。
どうやら彼の書くコラムも、妹曰くそんな感じらしい。

例えば、ろくに親の墓参りもしたことないくせに、宗教について論じたがる、とか。あるいは、前述したように家賃滞納している借主に対してはめっちゃ冷酷なくせして、コラムのファンらしき女性(多分若い)から
「コラム読んで、超感動しました\(^O^)/あなたは貧しい人の味方なんですね。私、貧しい人々が勉強できるような学校みたいな施設を建てたいので、どうかご支援、ご協力お願いしまーす♪」
というような内容のメールが届けば、ちょっと嬉しそうに、だが神妙な顔で
「うむ、素晴らしい志じゃないか。助けてやりたいね」
みたいなことをしゃあしゃあとかぬかす。
つまりこの男、中身があまり詰まってない、単なる「ええかっこしい」なんである。そんな彼の本性は、妻と妹にはとっくにバレバレなのに、当の本人だけがそれに気づいていないからタチが悪い。それを妹は、「自己欺瞞」という言葉で一刀両断する。

そんなこんなで、次第にアイドゥンは孤独になっていく。
しかし彼は、いくら周りの人が離れていっても、なかなか己の本当の罪に気づくことが出来ない。こんな老人の姿を見ていると、その気づけない事そのものの不幸さに胸が締めつけられる。
確かにアイドゥンってのは、薄っぺらい理想を語りながら自己陶酔しているような底の浅~い爺さんだが、根は決して悪い人間ではない。
他人に対する積極的な悪意などないし、基本的に「善」でありたいと心がけていることは間違いないだろう。彼はただひたすらに、人に愛され、敬われたいだけなのだ。でも、愛されようとして、尊敬されようとして、必死に自分を演出すればするほど上滑りを極め、かえって人を遠ざけてしまう。

ふと思う。

せめて彼が、家賃滞納一家の苦しみにだけでも、もう少し心を寄り添わせる優しさがあったならな……と。それこそ偽善でもいいから。
もの凄~く個人的な感情として。
かつて家賃を支払うことに散々苦労をしていた私は、彼があそこで貧窮した借主の事情を親身に聞き、もっと違う対処をしていたなら、絶対事情は変わっていたと確信している。少なくとも、慈善活動が大好きな嫁さんからはもうちょっと尊敬されていただろう。

まさに今、コロナ禍による自粛要請によって、家賃が払えない人が続出している。にも関わらず、経済産業省の家賃支援給付金の給付事業は終了し、家を失う人はますます増えるだろう。ってゆうか、まだまだコロナがまったく終息していないのに、家賃支援給付金の給付事業はなぜ終了なのか?
重ね重ね、お国の鬼の所業は続くのであった。

そんな中で、世の中には心ある大家さんもいて、自主的に一定期間家賃を減額してくれたり、免除してくれる場合もあるとか。
家主だって商売なのだから、いつまでもそのような措置は続けられないだろうが、たとえ一時期でもそうした温情を賃借人にかけてあげる大家さんがいたというエピソードには、なんとなく救われる思いがする。

さてアイドゥンならば、こうした危機の際に大家としてどんな態度をとっていただろうか。

さておき、この映画は、アイドゥンを孤独に陥れたまま、そこで終わるわけではない。
確かに愛する者達との対立はあった。してそれにより大いに苦悩もした。自尊心も手加減なく容赦なくへし折られ、それはこのプライドの高い老人には、さぞきつい仕打ちであったろう。
しかしこれらの対話から生ずる摩擦を通じてこの老人は、単なるインテリジェンス(知識)の向こう側にある、本物の「知」=「道理」というものを少しは学んだのではなかろうか。

アイドゥン爺さん、自分の歩んだ道を振り返って気づく。
重ね続けた対話の数々によって、善きも悪しきもひっくるめた己が歴史が背後にくっきり刻まれていることを。
それはまるで、雪の道に残る深き轍のごとくに。

(End)

『雪の轍』( 英題:Winter Sleep )​
制作:2014年 トルコ監督:ヌリ・ビルゲ・ジュイラン
脚本:エブル・ジュイラン、ヌリ・ビルゲ・ジュイラン
原作:アントン・チェーホフ『妻』
出演:ハルク・ビルギネル、メリサ・セゾン、デメット・アクヴァ


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