綾川 泪 |Rui Ayakawa

大阪市在住 / 北海道出身 / noteでは、主に映画、小説、その他「作品」についての…

綾川 泪 |Rui Ayakawa

大阪市在住 / 北海道出身 / noteでは、主に映画、小説、その他「作品」についての感想を書いています。/ 自身も地味に「作品」の創作を継続中。/【自身作品】[華雪ルイ]名義:脚本『冴え冴えてなほ滑稽な月』小説『デッドエンドヘブン』

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◆ 自作紹介 ◆小説『デッド・エンド・ヘブン』&映画『冴え冴えてなほ滑稽な月』について

◇ 最低で最高な世界 ◇ フツーのヘンタイ。 たとえばこのような矛盾した珍妙な概念も、ヘンタイさんが束(たば)になれば、自然と生まれてしまうものだ。 つまりヘンタイという「倒錯した性嗜好」を持ついわゆるフツーではないとされる人も、そういう人々だけが100人集まった空間においては、それがフツーになって、逆に通常ノーマルと言われる類の人がたった一人その中に入ってしまえば、その人の方が「倒錯した性嗜好」を一切持ち合わせていないという点においてマイノリティであり、「へー、ノーマル

    • 『ドライブ・マイ・カー』を観て ~と、その前に『女のいない男たち』を読んで~

      1.『女のいない男たち』は「いない」系の極み いない。 今はいない。 過去には深く関わっていた、あるいは、少なくともこちら側には強い思い入れがあった人物と(何らかの理由で関係が途切れたことにより)今は会えなくなった。 このようなシンプルで漠とした、よくあると言えばよくある一つの状態を、けっしてぼんやりとではなく、むしろこれでもかと言わんばかりに明らかにくっきりと縁取って哲学的な文芸作品に仕上げるのが、村上春樹という作家の名人芸であり、お家芸だ。 これは、多くの人が知る

      • 『誰のせいでもない』を観て ~幸が不幸を生み、不幸が幸を生み~

        ◇ みんな悪くて、みんな悪くない ◇   確かに、誰のせいでもないとしか言いようのない不幸というものはある。 と言うより、誰のせいでもないと言わざるを得ないのは、決定的な加害者がいない事件だからでもある。 そして決定的な加害者がいない分、逆に複数の関係者に罪が分散されている場合も多い。 これはこれでやっかいだ。 「Aが悪い」と責めたばかりに「その理屈で言うなら、Bにだって責任はある」となり「Bに責任があるというけれど、そもそもCがあんなことをしなければ」という具合になりかね

        • 『フレンチアルプスで起きたこと』を観て ~積み上げた理想が「雪崩」を起こすとき~

          ◇「立場」を守るためには ◇ たとえ自分自身がそれをしたいと心の底から望んでいなくても、今の立場を守るために「しておいた方がいいこと」というものは、その時どきで存在する。 そしてそれをしておけば、とりあえずメンツも保てるし、周囲も納得してくれて不平不満が出ることもない。 ならば多少面倒でも、しないことで発生するリスクを考えればしておいた方が良いだろう。 そうやって多くの人は、常日頃から心の中にあるスタビライザー的なものでバランスを測りながら行動し、自分の身を守っているのでは

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        ◆ 自作紹介 ◆小説『デッド・エンド・ヘブン』&映画『冴え冴えてなほ滑稽な月』について

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          12本

        記事

          映画『マルホランド・ドライブ』を観て ~やるかたなきは夢であること~

          ◇ 夢みたいな夢 ◇ あの日より 飽くこともなく見る夢の やるかたなきは夢であること 上記は、映画『冴え冴えてなほ滑稽な月』(自作紹介でご紹介)の中で、とある登場人物が叫ぶ言葉だ。 ちなみにこのセリフ、原作にはない。 この男の登場シーンで、何か呟かせようと考えて作ったセリフだが、実際には呟くのではなく大声で叫ぶシーンに変更になっている。 叫ぶにはあまり適していない言い回しだったため、かなり聞き取りにくく、殆ど気に留められることもなかったろう。 でもこれ、57577の短歌

          映画『マルホランド・ドライブ』を観て ~やるかたなきは夢であること~

          映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』を観て ~ いいかげん「政治家向きな人」の概念をひっくり返したい件 ~

          ◇ 政治家向きな人 ◇ 政治家に向いていない。 この一言が、彼の両親も含めた周囲の人々の小川淳也議員への評価である。 そしてこれこそが、本作『なぜ君は総理大臣になれないのか』というタイトルに対するアンサーなのだろう。 近年まれに見る、正義感あふれる真っ直ぐ過ぎる政治家。 この国を良くしたい、人の役に立ちたいという大欲(※本人弁)それのみで、人生のすべてを政治活動に費やしてきた男。 純粋過ぎて、正直過ぎて、良い人過ぎるから、政治家に向いていない。 なるほど。 がしかし

          映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』を観て ~ いいかげん「政治家向きな人」の概念をひっくり返したい件 ~

          映画『三度目の殺人』を観て ~決して出会えない「自分」という何か~

          ◇ 知らない自分が無数に存在する世界 ◇ 自分だけが、自分という人間を外側から直に目視することが出来ない。 考えれば恐ろしいことである。 もし自分が他者と同じ目線で自分を見たら、認識しているそれとはまったく違う自分がそこに存在するかもしれないのだから。 大昔、録音された自分の声を初めて聞いた時、大いに戸惑ったことを覚えている。 確か幼稚園の頃だったか。 当時流行していたアニメソングを大声で歌っていたとき、親が面白がってこっそり録音していたのだ。 その声を聞いた瞬間、泣き出

          映画『三度目の殺人』を観て ~決して出会えない「自分」という何か~

          映画『ありふれた悪事』を観て ~「愛国」の耐えられない軽さ~

          ◇ 1987年 ◇ 時は1987年。 舞台は、韓国のソウル。 たかだか34年前、まださほど大昔とも思えないこの時代に韓国は軍事独裁政権だった。 1987年は、チョン・ドファン政権の任期最後の年。 独裁政治に我慢ならない民衆の、大統領直接選挙制実現に向けての憲法改正を求める声が激しくなっていた。 しかし政権は、直接選挙制への改憲は頑として拒否。 同年の4月13日に「4・13護憲措置」を発表し、現行憲法の規定通り、選挙人団選挙により間接選挙で次期大統領を選出することを決めた。

          映画『ありふれた悪事』を観て ~「愛国」の耐えられない軽さ~

          石井妙子『女帝 小池百合子』について ~コロナ禍での都議選に寄せて~

          ◇ やはり女帝は「持ってる」のだった ◇ 東京都都議会議員選挙が終わった。 コロナ禍のディストピア日本において、首都東京が変わることは一つの希望となる。 だから私は願った。 都民ではないけれど、まずは東京に一人でも多くまっとうな議員が誕生することを。 結果への感想としては、全体を通してみれば残念寄り。 だが、個人的に応援していた候補者たちの熱い演説動画をここ連日見続けていたため、その余熱がまだまだ胸に残っている。 ゆえに、ただ「残念」と嘆くだけでは申し訳ない。 日本の有

          石井妙子『女帝 小池百合子』について ~コロナ禍での都議選に寄せて~

          坂口安吾『白痴』について ~豚と私の背中にも光よそそげ~

          無頼とかアナキズムという言葉には、なんとなく偏った極端なイメージがあるようにも思うが、よくよく考えればそれは逆で、これらの言葉が、あっちに極端に偏ったものを逆から攻めて調整する性質があるならば、むしろバランスを保つイデオロギーになり得る。 反権力、反体制、反秩序。 「反」というからには、反される側が当然あって、それが誰かに理不尽な状況をもたらしているからこそ、反されるのだろう。 ゆえに、現権力、現体制、現秩序がずいぶん偏ってるなと思えば、少しエッジを効かせて逆側から強めに

          坂口安吾『白痴』について ~豚と私の背中にも光よそそげ~

          映画『ソウル・ステーション/パンデミック』を観て~緊急事態とショックドクトリン~

          ◇ ゾンビ映画の三層構造 ◇ ゾンビの生みの親であるジョージ・A・ロメロ監督によって、ゾンビ映画がその時代の社会問題を提起するツールとされるようになったことは、多くの人が知るところだろう。 私が最初に観たゾンビ映画が何だったのか今となっては思い出せないが、比較的子供の頃の方が、単純に怖いもの見たさで好んでゾンビものを観ていたような気がする。 もちろん、そこにその時代の社会問題が投影されていて云々なんてことはてんで気にせず、ひたすら「キャーキャー」言いながら観ていただけだ

          映画『ソウル・ステーション/パンデミック』を観て~緊急事態とショックドクトリン~

          映画『オアシス』を観て ~孤独な惑星のボーイミーツガール~

          ◇ 孤独な惑星のボーイミーツガール ◇ 主人公のジョンドゥは、傷害、強姦未遂、ひき逃げなどの前科を持つ29歳。 ひき逃げの罪で服役していたジョンドゥが、刑務所から出所したところから映画は始まる。 寒風吹きすさぶ真冬のシャバに半袖シャツのまま放り出された彼に、家族の迎えはない。 ジョンドゥは、背中を丸めひっきりなしに鼻をスンスンすすりながら、見知らぬ人に煙草をたかり、公衆電話ボックスで女子学生に小銭をせびり、店先の豆腐を勝手に手づかみして齧りつき、あげく焼き肉店で無銭飲食を

          映画『オアシス』を観て ~孤独な惑星のボーイミーツガール~

          坂口安吾『私は海をだきしめていたい』について ~逆説パンク魂の妙~

          ◇ すべてを包み込む慈愛の言葉 ◇ そこがいいんじゃない。 私の尊敬するみうらじゅん先生が、ちょっとアレな感じのトホホ映画を評する際に使用する決めゼリフである。 どれだけトンチキな展開のアサッテな映画でも、最後に「そこがいいんじゃない」って言われれば、なるほど「そこ」を個性として積極的に認める方向に割と素直にスライドできるから不思議だ。 それにつけても、これほど無敵なフレーズはそうはない、と私は個人的に思っている。 世には、数々の名言、名ゼリフ、ことわざ、金言、格言、ア

          坂口安吾『私は海をだきしめていたい』について ~逆説パンク魂の妙~

          ドラマ『呪怨:呪いの家』を観て~名もなき「それ」を人は「呪い」と呼ぶ~

          ◇ 怨霊の一人称は存在するか?◇ そもそも怨霊とは何なのか。 Wikipediaによれば「自分が受けた仕打ちに恨みを持ち、たたりをしたりする、死霊または生霊のことである(大辞林)」と書いてある。 なるほど。ではそうなのだとしたら、怨霊自身には、己と認識出来る主体があるということなのか。そして、たたりをしたりする怨霊(死霊、生霊)らは、それそのものに知能や意思や感情があって、我々人間が思考しながら行動するのと同じように、何かを思いながら動いているのか。 でもそうなると、生

          ドラマ『呪怨:呪いの家』を観て~名もなき「それ」を人は「呪い」と呼ぶ~

          映画『ROMA/ローマ』を観て ~ただそこにある人間愛~

          ◇ 匂い立つような臨場感 ◇ 匂い立つような映画。 まずはそれだ。 水。土。泥。埃。風。雨。 画面に映し出されるあれこれの中で、自分の記憶にある臭気は、すべて嗅げるような錯覚に陥る。さらに「日常」のてらいのないそのままの音が、より生々しい匂いを際立たせる。 匂いと音がかもしだす臨場感の効果もあってか、白黒画面でありながら、そこにはやけに鮮明な現実が映し出されていた。もちろんそれが、キュアロン監督の狙いなのだろう。 なぜなら本作は、実在する女中のリボさんに捧げる映画として撮ら

          映画『ROMA/ローマ』を観て ~ただそこにある人間愛~

          映画『雪の轍』を観て~コロナ禍にありて思うこと~

          ◇ 人生の冬、これから ◇ 30年近くにもおよぶデフレにより、この国に住まう人々の懐は冷え込みに冷え込んだ。にも関わらず我が国は、2019年10月に消費税を10%まで上げるという暴挙に出た。 そして、その影響での実質GDP大下落と重なるように、次はまさかのコロナ危機。 それにしてもこの国は、フィクション以上にフィクションじみたディストピアになってしまった。 これから映画や小説について語っていこうと思い立ったわけだが、現実が今までになく苛酷過ぎてどうしてもリアルの方に感情

          映画『雪の轍』を観て~コロナ禍にありて思うこと~