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轍のゆくえ

生きるとは

また起きて、寝て。それを繰り返す人生。
その人生はつまらなかったが、同時に生を感じていた。つまらなさこそ生。今日はどんなつまらないことが起きるのだろうと思っていた。あの人に出会うまでは。

狐と大きな妖怪

起きると、何やら境内の方が騒がしい。俺は布団を頭までかぶったが、それでも騒がしさは変わらなかった。むしろ増した気さえする。朝から何なんだ。面倒ごとなら帰ってくれ。そう思いながら、瞼を固く閉じた。
 今日の予定はない。学校新聞の制作に付き合ったし、付喪神の件も解決した。これ以上はないはずである。無くあれ。何処からかバタバタと聞こえる足音も聞こえないフリをさせてくれ。何事もなく俺の前を通り過ぎてほしい。結局そう上手くはいかないもので…

「おい!バカ狐ッ」

肩で息をする花見月をみて察してしまう。

「なんか、変なのがいるッ」

もう何度目だって。


あれあれよと着替えさせられて、顔も洗っていない状態で連れてこられたのは鳥居の前。神社の特徴である白い鳥居。その鳥居の上に確かに何かいた。とにかくデカい。デカい顔が俺を見下ろしていた。涎を垂らしながら。正直言って、邪魔だと思う。しかも涎を垂らされて、いい迷惑である。掃除は花見月に任せるけど。

「お宅、何してるんだ。こんなところに来たって、いいことないぞ」

一応声をかけてみる。デカい顔面はピクリとも反応しなかった。「もしもーし」と、もう一度声をかけるが反応なし。死んでいるのかと思ったが、デカい目が瞬きをしたので生きてはいるそうである。
 花見月はその辺を履く箒で威嚇をする。武器にもならないと思うが、トゲトゲした掃く部分で目を突きさされれば痛いかもしれない。しかも顔面がデカい分、目もデカいしやり易いかも。花見月に「いけ」と指示を出すと、花見月は箒で威嚇しながら一歩ずつ近づいて行った。鳥居の下まで行ったところで、デカい目に突き刺すべく箒を突き出した。まあ、結果は届かなかった。当たり前である。俺は後ろで煙管を吹かしながら、面白半分で眺めていた。

「ちょっと、ここからどうしたら…ってバカ狐!聞いてるのか」

振り返った花見月は怒りをあらわにする。俺は鼻で笑いながら、頑張れ頑張れと煽る。そこにエセ猫が欠伸をしながらやってきた。俺の横に座り顔を洗っている。

「ありゃ”おとろし”じゃないか」
「そうっぽいな。何かやらかしたかな…さては悪ガキとかが何かやったか…?」
「…あんさんがいつも通りで安心したよ。絶対あんさんが何かやったからじゃなのかい」

恍けながら、俺は肺いっぱいに煙を吸い込む。花見月は暫く格闘したようだが、戦略的撤退を選択したらしい。こちらに体を向け、駆け出そうとする。
 ちなみに敵前逃亡の際は、敵に背を向けることはおススメしない。熊とかによく死んだふりをすると良いって聞いたことあるが良くないからな。逆に襲われる恐れがある。目を合わせながら、後ずさりがいいらしい。俺の場合は攻撃してるけど。勝てるから問題はない。
 もし勝けてないと察して逃げる場合、花見月のような行動をとるとそうなるかなんて簡単にわかる。花見月はこちらに踵を返して駆け出す。それを見たデカ顔は花見月をロックオンし、そして花見月に向けて飛び降りた。花見月は上手く避けられず、潰されてしまう。潰されたカエルのようなザマである。

「なにしてんの。そいつは神社で悪戯をするヤツらをそうやって懲らしめるのさ。要は悪さをしなけりゃ襲ってこない」
「つ…つまり」

花見月が苦しそうに話す。これは花見月に怒られるか。エセ猫は大変可笑しそうに答えた。

「つまりソイツを追い払おうとしたのが、悪戯判定だったんだろうね。今お仕置き執行中ってことさ」

花見月は口許をヒクヒクとさせる。そして俺をキッとにらんだ。その様子が面白く、口許が緩む。

「バ…バカ狐ッ!覚えてろよ!」
「俺はすぐ忘れるからチャラだな」

ああいえばこう言うと花見月は顔を赤くして怒る。その感情の起伏が余計に面白くするということが分からないのだろうか。
 手でサッサと払えば、おとろしはすぐに避けてデカい図体を感じさせない動きでどこかに去っていく。花見月は起き上がると俺のっ首根っこを掴んだ。

「よくもしてくれたな」
「確かに俺は行けと言ったが、拒否しなかったのはお前だろ。断ってもよかったんだぜ」

ぐうの音も出ないなぁと煽り散らしていると、思いっきり殴られた。自業自得とエセ猫が言う。
 先日、俺がぶっ倒れてから数日が経過している。自分で倒れたわけではなく、原因は明白。相談者に紛れてやってきたどこかしらの罰当たりモノにやられた。意識はすぐに取り戻したが、今のところ大きな影響は無い。一応、妖向けの医師に診てもらうと、今のところ問題ないと言われた。もしかすると、後々なにか体に異常が起きるかもしれないから、そうなった場合は急いで来いとも。まあ、今のところ異常はないし行く必要はないと思う。
 時折、花見月が心配そうに見てくるが知らない顔をする。だって仕方ないだろう。心配されるのは慣れていないのだから。病は気からと言うし。余計な心配をするだけ無駄だと態度で示してやる。口に出してやるのは何か違うと思った。

「それにしても、あんさんも懲りないね。からかって怒らせては喧嘩をして…今回で何回目なのさ」
「1、2、3…数えるのも面倒臭い。毎日してんじゃないか?」
「よくそれだけ喧嘩をできるね。アタシならもう諦めて、逃げ出してるよ」

エセ猫が、毛繕いをする。俺はそれを他所に、空を眺めた。今日も憎らしいほど綺麗だった。何処までも綺麗で、吸い込まれそうだ。手を伸ばして、雲を掴もうとしてみる。当然届かないと分かっていたのだが、不思議とその手に何か触れた気がした。掌を見てみたが、何もない。雨雫かと思ったのだが、違うらしい。気のせいだったのだろうか。雨が降りそうな気配がするし、朝飯を食いに行くというエセ猫と共に、社に戻ることにした。


落雷と共に大雨が降る。あまりの乱暴さに、エセ猫の毛が逆立っていた。落ち着けとエセ猫を宥めるが、俺の尻尾毛も立っていた。本能が獣に近いのだから仕方ない。雷の光に反応して、雷の音を探す。二人、いや二匹揃って動くものだから、花見月がなぜか喜んでいた。何でも可愛らしい…とか。なんだそれは。眉間に皺を寄せると、そんなことをしても今は可愛さしか残らないぞと言われた。低い声で黙れというと、花見月はアッサリと流す。
 またピカリと光が降り注ぐ。それに続いて轟音が鳴り響き、驚きのあまり変化が解けた。足の。変化が解けた足を急いで戻そうとするが、少しパニックになっていたらしく上手くいかない。平然を装いつつ悪戦苦闘していると、いつも鈍いくせに妙に鋭いところがある花見月が首を傾げた。

「何やってるんだ。何かソワソワしてる気が…」

そう言って机の下をのぞき込もうとする。それを慌てて止めた。訝し気な花見月の目が俺を突き刺す。問い詰めようとする花見月から逃れるように、目を逸らす。ますます怪しいと花見月は、隠してないかと問い詰めた。

「そ、それは…そう、机の下に虫が」

「いる」と続けようとしたが、花見月が飛び上がる音でかき消された。花見月は机の上に飛び乗ると、俺の胸倉をつかみ上げる。

「お、おい、何とかしろ。今すぐにだ」
「…人に頼む態度じゃなくないか。それ相応の態度ってものがあるだろ」
「知るか。早くしろ」

虫を根絶したいと言い放ち、花見月は机の上で三角座りを決め込む。仕方ないと面倒そうなふりをしながら、退治をする風を装いつつ足をどうにかすることにした。屈んで机の下に潜り込む。すると、ニマニマと笑う顔が目の前にあった。驚き頭を上げようとすると、机の下だということをすっかり忘れていた。鈍い音がする。

「だ、大丈夫?退治できた?」

叫ぶ花見月に、まだだと答える。ならさっさとしろ愚図めと暴言を吐かれた。情緒が可笑しいらしい。
 机の下の顔ことエセ猫は、俺の服の袖をチョイチョイと引っ張る。耳を貸せということらしい。耳を持っていくと、ヒソヒソと話し始めた。

「…んふふ…大変ね、足が獣に戻ってるよ。これは花見月に教えてやらないと」

余計なことをしだすエセ猫の尻尾を掴んだ。エセ猫が悲鳴を上げたが、無視無視。
 花見月がなんだなんだと下を覗こうとする。エセ猫が虫を咥えたから、捕まえただけだ気にするなと伝える。そして反抗するように何か言おうとするエセ猫の口を塞いだ。

「余計なことを言う口は縫い付けるぞ」

本気が伝わったようだ。エセ猫は首を縦に振り、了承してくれたようなので口だけは解放してやる。

「そんなに嫌なのかい。どうして?アッサリ解決するかもしれないのに」
「そんなの嫌に決まってるだろ。雷が怖いみたいじゃないか」

へぇと聞いているのか分からないような返事をエセ猫が返す。とりあえず告げ口をする気配が無さそうなので、尻尾を放してやった。千切れるだのなんだの騒いでいたが、完全にそっちが悪い。掴んだぐらいじゃ尻尾は千切れないだろう。
 どうやら時間をかけすぎたらしい。おおと感嘆した声が聞こえ後ろを振り返ると、花見月が俺の袴を目繰り上げていた。時間が止まったように誰も話さない時間が数秒。そのあと「変態が」と怒鳴り声を発した。

いつもとは立場が逆だった。俺が説教する立場で、花見月がされる立場。その構図をエセ猫とワタが楽しそうに眺めていた。

「一体どういうつもりだ」
「だって、虫を捕まえたとか言ってたのに中々顔を出さないから。そんなことをされれば気になるのは当然でしょ」

少し不貞腐れたように花見月が言う。もっとみるのも悍ましいような嘘にすれば、花見月も余計な気を起こさなかっただろうに。一人反省する。

「それで?俺のをめくるのか」
「それは…モフモフしてるのが見えたから…気になってつい?」
「何がつい?だ…ついで済んだら、痴漢もお縄につかんぞ」

ため息をつきながら、俺は袴の裾を正す。未だに足は戻らない。ビビって戻ったからといって、ここまで長びくのだろうか。もしかしてこれが呪詛の影響だったりするのか。
 とりあえずもう一度医者に診てもらおうと、花見月は出かける準備をする。何だかんだと世話を焼いてくれるが、今回は動くつもりはない。ほら行くぞと俺の腕を引く花見月に、嫌だと抵抗をする。

「なんでだ。診てもらった方が絶対良くなるに決まってる」
「世の中に絶対と永遠はないんだぞ」
「キメ顔で言われても、普段の自堕落さでマイナスされてゼロになるよ。余計にダサいからやめることをお勧めする」

呆れる花見月の腕から逃れようと藻掻くと、羽交い絞めされた。本当身内に容赦ない。外にはいい顔しやがって。よそ様からは虫をも殺せない聖人とか言われていい気になってるのか。俺なんて、まあ神様(一応)だぞ。()が明らかにつけられてる。そこの差は何だ。
 藻掻いたってこの姿では逃げられない。そう確信し、最終手段に出た。体中の神経を意識して、それをグッと収縮させて、イメージ通りに広げる。完成したら、体の力を一気に抜く。そうするとできるのだ。

「な、なんだッ」

何がって…狐と言ったらのアレである。

「バカ狐、大人しくしてろッてば」

変化で子狐に化けたのだ。そうして花見月の一瞬の隙を突いて俺は逃げた。花見月が大声で叫んでいるのが聞こえた。

 そこまでは良かった。良かったはずなのに、この状況はどういうことなのだろう。目の前にはガキの集団。しかもこぞって俺を捕まえて、俺に触ろうとしてくる。好奇心とは恐ろしい。回れ右をしたが、一歩遅かった。初めは小さな手だと思っていたのだが、千手観音のようにいつの間にか増えた。
 引率の教師はどうしたと見回すと、ガキ共の様子を見て楽しそうに微笑んでいる。野生動物には菌がいる場合がいるから気を付けてと軽い注意をするだけである。風呂ぐらい入ってると言ってやりたいが、俺が子狐に化けていると知られれば後が怖い。せがまれて何回化けさせられるか…退散したい。
 次々と伸びてくる手を避けながら、ガキ共の間を縫い逃げていく。こっちは必死だというのに、ガキ共はキャッキャと喜んでいる。一芸じゃないんだから、喜ぶなと拳骨を落としてやりたい。

 その後も参拝者たちに捕まえられそうになったり、全く知らないヤツらに襲われたりした。散々な目にあった。少し疲れて、公園の木陰で一休みをする。元に戻ろうとしたが、無理だった。変化はできるが、人型に戻ることができないらしい。これ以上変化して厄介な姿になったら、と思うとこれ以上の変化はやめておいた。体が人間、頭が獣になったら怖い。ホラー以外の何ものでもない。
 毛繕いをすると少し砂ぼこりが体から出てきて、少し嫌気がさす。こうなるなら花見月の元で大人しくしているべきだったかと思ったが、それもそれで嫌だったので、この選択で正解だと信じた。
 疲れが出てきて少しうたた寝をしていると、顔に影が差す。

「やっと見つけた。何やってるんだ、バカ狐」

花見月だ。想ったよりも疲れていたらしく、気配に気づかなかった。逃げ出そうとする俺を花見月は素早く捕まえ、首輪をかける。犬かッ!?今までの何よりも屈辱。前足で外そうと藻掻くと、花見月は首輪に俺の胴をしっかりと掴んだ。そのまま携帯を手に取る。

「確保。ありがとう、ワタさん」
〈全然。観念した方が身のためだよって言ってたって伝えてくれる?もう聞こえてるだろうけど〉

ワタの仕業だったらしい。ワタが俺の居場所を花見月に伝えて、花見月は準備万端でやってきたという訳だ。

〈一応、異常はないって言われるだろうけど、何かあったら怖いしね。私も友達に何かあったら困るよ〉
「ワタさんがそんなことを言うなんて…絶対連れて行きます。診察後に折り返しますね」
〈うん、ありがと〉

電話が切れた。裏切りやがって文句を言ってやる。絶対に。一言言ってやらないと気が済まない。花見月は俺を体の正面に抱きかかえると、そのままじっと見つめた。

「こうみると普通の狐だな。あのバカには見えない」

何かけなされている気がしたので、後ろ足で顔面を引っ搔いてやった。少し浅かったが、十分な攻撃にはなったであろう。

「いっててて…なんだよ…」
「うるせっ」

牙をむき出しにして唸る。花見月は顔を抑えていた。そっぽを向いて無視すると、花見月は俺の体をなで回す。寒気がした。尻尾で顔をビンタするが、ろくに効いていない。むしろ喜んでいた。これなら、人型のほうがましだった。



病院に着くと、準備万端の医師、世隠成がいた。長い髪を背中まで伸ばし、目元には紅を映えるようにいれている。初対面では綺麗な女性。その実は、ただの変人である。

「何それ、おもしろ…じゃなかった。困ったことになってるやない」
「おい、聞こえてるぞ。面白がってるんじゃない」

牙を剥くが、ハイハイと流していく。隠成は医者ではあるものの、人間相手に商売はしない。コイツが相手するのは、妖怪である。妖怪専門の医者。可笑しく聞こえるかもしれないが、イメージは獣医と一緒だと思う。流石にエリザベスカラーは付けないが。ここ最近で会うのは二回目。厄日か。
 奥に案内されて、運良く患者はおらずすぐに診察が始まった。診察台にどうぞなんて言われて、花見月は俺をちょこんと座らせる。大人しくするんだぞと言い聞かせながら。観念していた俺は、抵抗も何もしなかった。言われるがまま、口を開いたり腹を見せたり。診察はさっさと進んでいき、何事もなく終わるはずだった。

 変化が上手くできないなんて事態から想像がついていたが、異常が見つかった。心臓の辺りらしい。臓器の活動自体に異常はないが、妖気を司る器官に対するエネルギーの循環が狂っているとのこと。妖気を送る_妖管_所謂血管の妖気バージョンのことだが、によってエネルギーは一応送れている…のだが、その量は少量。当然ながら、疑問が芽生えてくる。その少量の妖気以外はどこに消えたのかと。
 答えは簡単だった。コントロールを失った妖気は本来送られる臓器や体の部位とは異なるところに運ばれているらしい。人型の姿で足が獣になったのも、うまく化けられなくなったのではなかった。その実、うまく化けられなくなったという結論はあっていたものの、本来行くはずのところから外れた妖気が下半身に集中し、本来の妖の足になってしまっていた…ということらしい。本来のサイズにならず、人間サイズの足にとどまっていたのは、幸いである。体は人間なのに、デカく獣のような足なのは嫌だ。俺のプライドが傷つく。

「まぁ、大人しくしてたら治るとは思うんやけど…それにしても、スイちゃん珍しいやんな。こういう症状っぽい症状でここに来るの」
「スイちゃん…ってもしかしてバカ狐のことですか」
「…うん?そうやで。スイちゃんって可愛らしいやろ」

そう言って、狐の姿の俺の頭をなでる。この扱いは気に入らない。唸ってやると、子供のようにはしゃぐ。これだから、コイツは扱いづらい。頭にきたので、手に嚙みついておく。花見月が慌てて引き離そうとするが、抵抗するようにさらに力を込めた。

「いいんよ。スイちゃんはツンデレなんだから…これぐらい強くないと」

意味の分かないことを言い出したので、もういっちょ強くかんだ。ワザとらしい痛がり方が、道化師のようである。
 相当暇だったのか、隠成は折角なのでゆっくりしていくようにと珈琲を作り始めた。豆を煎るところから。花見月は興味津々に隠成の手元をじっと見つめ、俺は花見月に離してもらえずに一緒に眺める羽目になった。珈琲の深みのある匂いが鼻を刺激する。珈琲の匂いは嫌いではない。しかし、目と鼻そ先で香るこの至近距離は、流石に辛かった。

「どうぞ。出来立てなので、ゆっくり飲んで」

陶器のカップに並々と注がれた珈琲が、置かれた衝撃で波打つ。モクモクと上がる湯気が、出来立て具合を示していた。花見月は、思わず拍手を送る。
 素晴らしい手捌きに、珈琲の知識は底知れない。花見月は嬉々として隠成を誉めたてていた。隠成も否定することなく、有難うと感謝を述べながら受け取っていた。何でもないように取り繕っているが、隠成の口元はヒクついており、喜びを隠しているのが丸見えだった。指摘すると、焼きもちだなんだと言われそうなので口を結んでおく。
 取り繕っているから指摘しないでやったのに…「ああ、これスイちゃんの」と言われ、犬用の皿にミルクを入れて渡された。笑いながら、出しだしてくるあたり完全に遊んでいる。花見月はというと、犬用…と呟きながら戸惑っていた。花見月のことだから、好意だなんだと考えているのだろう。はっきりと言っておくが、世隠成は結構性格が悪い。

狐と病と面倒ごと

とりあえず、解決策も無く帰宅した。薬を処方されることも無かったため、無駄足だった。一応収穫はあったので、完璧にではなかったが。一週間何も進展が無ければもう一度来いとのお達しももらったので、もう一度いじられに行かないといけないらしい。行きたくないので、意地でも治す。そう決意した。
 帰宅するなり、待ってましたと言わんばかりにワタの歓迎を受けることになった。ワタの身分は特殊であるため、側仕えの何人かは周囲に常駐する。神社に来るときも、邪魔にならない程度離れて警備しているのも知っていた。花見月がこっそりと差し入れをしたりしていたのも。
 その側仕えが、何から何まで私の世話を焼いてくれたのだ。散歩や食事…風呂まで。流石にトイレは遠慮した。流石に気が引ける。何処に行くにしても、ここは危ないので抱き上げるとか、食べづらいだろうから少し砕く等。本当に誠心誠意尽くしてくれた。…そこまでしなくていい。経験上、世話などしてもらったことはある。しかしこれではほとんど介護である。
 遠回しにそこまでしなくてもいいと伝えると、遠慮はしなくても良いと返された。ならばと、ストレートに伝えると少し寂しそうにする。多分故意はない。その表情が良心を刺激する。自分自身と格闘し、その結果…

「分かった。でも…最低限のことは自分でする」

折れた。少し寂しそうにしていたが、そこは勘弁してほしい。

 彼らワタに仕える側仕えは、ワタの周囲でありとあらゆることを補助する。料理や洗濯から、書類整理やワタが齎す予言、ウラの掃除まで。ワタが齎す予言は、世界を動かせる。ワタが左と言えば、右であっても左に変更されるのだ。ワタの直筆であれば紙切れ一つさえ適当に処分するわけにはいかない。ワタの扱いは国家どころか、世界機密。存在がばれて誘拐でもされたらと、ワタの周りは疑心暗鬼に覆われていた。
 そんな中選ばれたエリートたち。谷沢有栖、山家乱歩、蓮堂治…等々省略させてもらうが、ここまでくれば予想できるだろう。もれなく皆文豪からとった名前である。彼らの名前は実は偽名で、本名は別にあるのだ。ワタの護衛としての任務中のみ、各個人に文豪になぞらえた名前が授けられる。理由ははるか昔からの伝統。いつの間にか、千里眼を持つものの護衛には当たり前となったものであった。

 そんなエリート中のエリートが、揃いもそろってこんな雑用をするとは。主人に思うところはないのかと、コードネーム谷沢有栖に尋ねてみた。

「主人様は、私たちの前では常に笑われています…笑うしかしてくれないのです。しかし、貴方様の前ではいつもと違う表情をされる…そこが羨ましくもあり、嬉しくもある。
そんないつもお世話になっているのですから、遠慮なさらないでください」

とのことだ。善意しかこもっていない行動を断るのはつらい。追加攻撃といわんばかりに、「ご迷惑でしょうか」と付け加えられれば白旗を上げる。あざとい。
 ため息をつきながら視線を上にあげると、障子の隙間から除く目が三つ。目が合うとすぐに逃げ出したが、絶対最初から見られてた。というか、きっと有栖の言動もあの三人の入知恵に違いない。俺が根負けしそうな言い方を有栖に教え、有栖が実行しているのだ。

「…無理しなくてもいいからな。やめたければ、素直に言ってくれ」
「や、やめるなど…こんな機会滅多にございませんので、この機を逃すわけにはいけません。なにか不快に感じられる点がございましたでしょうか。是非とも今後のためご指摘を」
「なんでもない。気にするな」

食い気味に有栖は言葉を捲し立てた。圧が強い。こんな獣の世話が楽しいのだろうか。一応神ではあるが、今の姿では獣と何ら変わりない。その辺を歩いていれば保護施設に連行されるだろう。
 あーんという言葉と共に、匙に並々と掬われているスープを飲んでいると、障子が開かれる。そこには花見月がいた。嫌なところを見られてしまったと顔をゆがめる。しかし、花見月の顔は不安げで、その手には黒い何かが握られている。

「これ…届いたぞ」

スッと差し出されたものは黒い封筒だった。送り主には達筆な字で大国主命…。即燃やした。

「な、何してんの!?」
「行きたくねぇし見たくもねぇ。見なかったことにしてやろうと思ってな。絶対碌なことがないぞ」

封筒を燃やて見ていないことにしていれば、俺の所為じゃない。封筒はミスによって届けられなかったことになる。きっとなる。なれ。
 とか言ったものの、確実に手は打たれている。きっと送り主大国主命は、こうなることも予想済みのはずである。次の手が来る…そう身構えていると、廊下の方で悲鳴が上がった。サッと廊下につながる障子の前にいた蓮堂が、障子を開け廊下に出て行く。その素早さはレースカーのよう。流石である。蓮堂が出て行ってすぐ、ドンという重々しい音が伝わってきた。部屋の中にいた護衛含む俺たちは顔を見合わせる。何かあったのは明白。花見月が立ち上がり、障子を開けようとした瞬間、障子がひとりでに開いた。

「失礼しました。この御猫様がお困りのようでしたので、対処してまいりました」

エセ猫は首根っこを掴まれていた。その表情はうかがえない。顔を小さな両手で隠し、お嫁に行けないなどのたまっている。

「お疲れ様。治、虫退治有難う」
「これが仕事ですので」

ワタは片手を振りながら言い、蓮堂は不愛想に頭を下げる。そして蓮堂は花見月に話しかけて、袋とティッシュを貰っている。何となく嫌な予感がした。廊下を通る際は足元に気を付けようと思う。処理できなかった内臓とかあったら嫌だし。

 エセ猫は、贅沢にもおやつに煮干しを貰い頬張っている。慰めにと言われているが、ワタが持ってきたもの。あれは絶対高級品である。居候の分際で何をやってるのだか。

「何を考えてるのか分からないけど、ワタシもあんさんのことが分かってきたから言わせてもらうよ。あんさんが言えることじゃないってね」
「…何も言ってない」
「顔に書いてあるのさ、まったく」

花見月がテープでつなぎ合わせた手紙を差し出す。燃やしてしまえば碌に読めないと思っていたが、燃え切らなかったようだ。つなぎ合わせば解読できないことも無い。もう一度破ろうとしたら、花見月が拳骨を落としてきた。ギャアギャア騒いでいる中、エセ猫は煮干しのカスを綺麗に食べながら目だけは手紙を追っていた。やはり気になる品物のようだ。

「見せてやろうか」

俺の言葉に、エセ猫は目を細めた。

「ふん。タダってわけじゃないだろう。何が望みなんだい」
「いや、なんてことのない。この手紙の送り主に参加しねぇって殴り込んできてほしい」
「それはワタシに死ねっていってんのかい。首が飛んじまうよ」

エセ猫でも大国主命にはかなわないらしい。まあ、一介の妖怪が神に会える機会がそもそもないから会えるだけ光栄って感じである。大国主命も大らかな性格であるから、ちょっとやそっとの無礼では怒りはしないと思う。多分。俺も少しやらかしていることはあるので、経験者は語るというヤツである。

「試しにやってみろよ。分かんねぇぞ、多分許してくれるって」
「その試しが怖いの分かってんのかい。もし私が死んだらどうしてくれんのさ」
「そのときは食費が少なくなって万々歳」

親指を立ててグッドとすると、エセ猫は尻尾を振り始めた。何となく察して、本気になる前に適当に謝っておく。この流れでため息をつくのは花見月である。手のかかるとかなんとか言っているが、気にしない。何度もこの手口を使っている。慣れたものだ。気付かないフリで通しておいた。
 突然、本当に急にどうしたと聞きたいが、ここまでほとんど会話をしてこなかった山家が口を開く。

「…でしょ…」
「なんだって?」

思わず聞き返した。これは俺の所為なのか。確かに少々騒がしさもあったが、何も声を聴きとれなくなるほどではなかった。地獄耳と称されることもあるので、聞き逃すことはめったにないと自負している。
 問題は山家の方にあるのではと思う。山家は聞こえなかったことを察してもう一度話してくれたが、聞こえない。なにせ山家の声が小さい。本人は大声で話しているらしいが、周りの人からするとボソボソ話しているようにしか聞こえないのだ。
 仕方なく、山家の元まで歩み寄る。目と鼻の先、いや、耳の先にいれば聞こえるはずだ。

「もうちょっと大きめの声で頼む」

耳を傾ける。山家はゴホンと咳払いをした。

「そ、その中身は一応確認した方が良いのではないでしょうか。もし重要事項であれば、こちら側の責任になるやもしれません」
「あぁ…なるほどな」

今度という今度はハッキリと話してくれて、俺以外にも聞き取れたようだ。周りで首を縦に振るヤツもチラホラといる。その意見は確かにそうかもしれない。しかし、見てしまえば無視できなくなるかもしれない。
 どうしたものかと頭を抱える。

「なら、もう貴方がキッパリ言ってきたら?それで終わりにするとか」

ワタがお菓子を食しながら言った。ポロポロとおが屑が零れているのが気になってしまう。せっせと片付ける山家を見つめながらも、何とか話を戻そうと頭の中を整理した。
 今回の件はそれで終わればいいが、絶対何か仕掛けて来るのは明らかだ。大国主命とは中々の食わせもの。穏やかに見えて、実はしたたかな一面も持ち合わせている。伊達に何年も縁結びをしているだけはある。

「本当にそう思っているのか」

「その天眼通で見てみろ」と続けると、ワタは頬を指で掻く。

「見れないんだよね。見れたとしても口にすることができない。そういう盟約が結ばれているから」
「神との盟約っていうヤツか」

ワタが首を縦に振る。
 神との盟約は、天眼通を持つも者が神とかわす盟約。平等のように聞こえるが、一方的に神が有利に定められたものである。根本的に神の権利を主張するもので、神に対して天眼通の使用を認めていない。限度を超えるしようも禁じている。
 そこに脳のキャパシティーも関わってくるのだから、ここまでくると便利なのか怪しい。むしろ神からの監視対象になるだけ、不便なのではないだろうか。


 提案しては棄却され、提案されては棄却しを繰り返した。その場にいる大人(+獣)は頭をひねり続け、お手上げ状態になった。皆沈黙してしまっている。作戦会議がいつの間にかお互いの揚げ足取りをし始めて、口を開こうものなら反対してやろうという殺伐な空気が漂っていた。
 静まり返る空気の中、辟易とした様子でエセ猫が口火を切る。

「もういい加減、中確認しちまわないか。元通り閉じていたら、誰も開けたか分かんないって」

疲れにより思考力が低下した大人たちは次々と賛成し、最後まで渋っていた俺も説得されてしまった。開ける人はじゃんけんによって決定することになり、また殺伐としたのだがそれは置いておく。
 じゃんけんに負けた花見月は、ゆっくりと手紙を持ち上げる。封の中に入っていたのは、一枚の和紙だけだったのだろう。綺麗に漉かれ職人の手作りであることが肌触りから伝わってくる。気にしないようにしていたが、やはりというか気になっる。俺が花見月の肩に乗って、俺の尻尾をワタが掴み、ワタの肩の上にエセ猫が…大きな〇か。一列に並んでどうするんだ。近くにおいでとワタが言うと、側近たちは花見月を中心に半円を描くように集まった。緊張感に包まれながら手紙を開くと、そこにはただ小さなハンコが押されていた。

「「招集だ」」

珍しくワタと声が被った。
 重要なのは和紙の方ではない。ハンコの方である。今回は親指の爪ほどの大きさであるが、このハンコが押されればすなわち神の緊急招集を表す。緊急度合いによりハンコの大きさが変わるという謎仕様なのだが、この大きさだとそれほど重要ではない…はず。言い方が曖昧なのは、暫くこの手の手紙は開いてすらなかった。来たら懲りずによくやると思いながら、花見月に内緒で燃やしていた。
 つまりあやふやになってしまった。時というものは残酷だから仕方ない。

「ってことは、バカ狐は呼ばれされている…ってこと?」
「うん。緊急事態みたいだから、すぐ来いって呼ばれてる。他の神だと新幹線級のスピードで駆けていくんだけど、相手が彼だからね」

花見月の首が、錆びれたロボットのようにゆっくりとこちらを向く。妙な笑顔を浮かべながら。そして素早く近づくと、俺の尻尾を掴んで持ち上げる。地面が遠くに見えた。

「…そんなもの燃やしてたのか!」

耳元で叫ばれて、耳が痛い。耳を塞いでみるが、それでも花見月の説教は聞こえた。

「大体緊急招集のハンコなんて使ってるけど、内容はくだらないものだったりするんだよ。祭りの補助係の募集だったり、ゴミ拾いの協力だったり」
「ボランティアか」

鋭い花見月の突っ込みが飛んでくる。言い争う俺と花見月の間を仲裁しようとワタが入り込んできた。

「まあ、貴方が言っているようなこともあるよ。でも、大体は人々に与える恩恵の調整だったりするんだけど…行くタイミングが悪いのかしら」
「…だそうだけど?そういうことだ、バカ狐」

また墓穴を掘ったらしい。花見月は目を吊り上げて、また説教が始まった。



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