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インドでケトン食療法①:はるるん、栄養士シェファリと出会う

はるるん、発作が再開してからというもの、回数が減らない。

そしてどういうわけか、全体的に動きが鈍く、表情も乏しく、筋緊張も高い。夜は眠れたり眠れなかったり。そして例え夜まあまあ眠れたとしても、ほとんど毎日、午前中いっぱい眠ってしまうため、学校にいけない日々が続いている。

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たまに学校に行けても、そして夏の間のお楽しみ、大好きなはずのプールに入っても、眠たげなまま。なんとかしたいという気持ちは募るばかりであるが、新しく試した薬も一向に効果がある気配はない。

鉄仮面シェファリとの出会い

そしてついに、ケトン食療法のために栄養士とのコンサルテーションを始めた。

予約の時間に10分ほど遅れてやってきた栄養士のシェファリは、なんとその日がその病院での初出勤。主治医のミッテル先生は、「あなたたち、ラッキーよ。彼女はケトン食療法にとっても詳しいし経験豊富なの。彼女が異動してきてくれたタイミングでよかったわね」と声をかけてくれた。

第一印象は、切れ長の目をしていて、若いのになんだか厳しそうな人。はじめましてと話かけてもあまり笑顔を見せることなく、コンサルテーションが始まった。

「まずはあなたがケトン食療法について知っていることを話してみて」

といわれた母、学校で怖い先生に当てられたような気分でドギマギしながら自分の少しの知識を話すと、うっすら鼻で笑われたようなきがした。気のせいかもしれない。でも、こんな時のために、もっと英語が話せるように頑張っておいたらよかったのに!という気持ちが溢れ出てとまらない。いやなんだったらヒンディー語を勉強しといたらよかったのに!

うまく伝えられないもどかしさと、鉄仮面のようなシェファリの自信に満ちた顔を見ていると、もうドキドキして冷や汗がでてきてたまらない。(病院の中は冷蔵庫のようにキンキンに冷えていたのだけれど)

ドギマギした私の拙い話をきいてから、シェファリは自分のノートを使って話を始めた。

気が遠くなる話

「普通人間は、脂質、タンパク質、炭水化物をプラミット上に必要としているけれど、ケトン食はそのピラミットが逆になります」

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うん、それくらいはわかる。わかるぞ。私だって一応大学で栄養学とってたし結構好きな科目だったし、しかも優だったんだぞ。(英語はいまいちだけど。)

がしかしそんな簡単な話からケトン比の話にうつり、時折ヒンディー語で話しながら(メイドさんのために?)、次第に置いていかれる私。2:1だの3:1だの比率を書きながら話はだんだん複雑に。なんかわかるような、わからないような。でも鉄仮面なので質問しにくい。質問したら「そんな基本的なことわからなかったの」って怒られそう。ヒンディー語で説明してもらっている一緒にいたメイドさんたちはよくわかっているっぽい。わかんなかったことは後でパミさんに聞こう、、、うん、そうしよう。こっそり心に決めて、冷や汗を握りながら発作を繰り返すハルを撫でる。

次回までに用意してもらいたいのは、食品を測るスケールと、測った食材を一滴残らずお皿に移せるようにするためのスパチュラ、それからステビアとケトン体検紙はもう買ってくれてあったわね、ケトン食に欠かせない大豆製品やケトワンダー(なんじゃそりゃ?)については、必要な分量をベンダーに伝えておくから、お母さんから電話して購入手続きを済ませておくように。それじゃあ明日必要なものを持ってまた来てくださいね。

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1時間ほどのコンサルテーションが終わり、なぜか明日もくることになって、私の心はようやく解放された。と同時に冷蔵庫のように寒かった病院から一気に45度の灼熱地獄に放り出され、心底ホッとした自分がおかしい。

ハエがたかりまくっている混沌とした八百屋によって心を落ち着かせつつ、車の中でメイドさんたちと今日の話を確認し合う。

シェファリの話は、簡単にするとこうだ。
大まかな流れとして、きちんとしたケトン食療法に移るまでの移行期間を2週間程度もち、その間は厳格に食材やカロリー、成分を図って計算することはせず、まずは脂質を増やし、たんぱく質を増やし、最後に炭水化物を減らしていって、いよいよ具体的にすべての材料を計量してカロリーと成分計算をするケトン食をスタートさせるというもの。

まずは3ヶ月、きちんと管理した食事を継続して、効果が出るかどうかを評価する。そのためには今日から毎日かかさずすべての発作の記録をつけ続けること。そして毎日4回尿検査をすること。そして3ヶ月やって効果が出れば、2〜3年続ける。そしてさらに発作がほぼゼロに近い状態になったらそこから5年は継続する。そこで初めて、発作がゼロであり続けたのを確認した上で普通の食事に戻っていける。効果が出たからと言ってすぐに普通の食事にもどしたら、必ず発作は元通りに戻ってしまいますよ。

なんとも気の遠くなるような話である。
何がって、すべての食材を0.1g単位で計量しながら他の家族とは別のメニューを料理すること、しかもそれを残さず与え続けることもそうだし、効果があったとして普通の食事に戻れるまでの道のりがとても長いことや、毎日の発作の記録や尿検査を続けることが、である。しかもそれらをいとも簡単にできるでしょうとばかりに指示をだしてくることも、である。

そもそも頻繁すぎるハルの発作をすべて残さず記録するのは負担が大きすぎると今までは考えてきたのでだいたいでしか把握していなかっったし、ずーっと誰かがはるかのそばにいて発作を記録し続けるのはほとんど不可能だと思っていた。実際に時々ハルは一人で居間にいることも(もちろんキッチンとか別の空間に大人はいてもね)あるし、それは仕方がないことだ。他に3人力が有り余った子供がいる中で、おしっこをしたことを自分の意志で伝えられないハルのおしっこの検査を1日4回も取り続けることだって、考えただけで気が遠くなる。

コンサルテーションを終えて、車の中でハルにお疲れ様を言いながら、今日の話を確認をし合えるメイドさんたちが一緒で本当に良かった。じゃなかったらきっと私は泣いちゃってただろう。

自分の英語力のなさとヒンディー語力のなさがふがいないのはもちろんだが、シェファリが見た目通り数字にもやり方にも厳しそうだし細かそうで、アバウトにざっくり生きてきた私は自分の人生さえ否定されたような気分になったし(大げさ)、これからハルの治療を彼女の元で事細かに管理されながら(たぶん時々叱られながら)やっていくのかと思うと、とんでもないプレッシャーを感じずにはいられなかった。

とまあ、ここまで言語化はできなかったにせよ、その日は家に帰宅するなりどっと疲れがでて、一人ベッドに倒れ込むようにして夜8時前に眠りに落ちてしまった。

第一人者の自信

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私がグースカ寝ている間に、夫はせっせこ事前に取り寄せたケトン食療法についての論文を読み込んでいた。ケトン食療法には主に、すべての食材を厳格に計算して管理するクラッシックなケトン食療法と、炭水化物の上限は設定するものの、脂質やたんぱく物の制限はない修正アトキンス法というものがあり、一般に修正アトキンス法の方が取り組みやすい。そして、修正アトキンス法でスタートして効果がない場合はクラッシックなケトン食療法でも効果がなく、修正アトキンス法で効果がある場合はクラシックなケトン食療法に切り替えるとより強い効果が見込めるという論文があるらしい。(英語の論文を読み込む気合も気力も知識も足りなくて、夫伝聞によります、あしからず。)

朝目覚めた私は夫にその話を聞かされ、論文の挟まったフィイルを「読んでみてね」と渡され、また冷蔵庫のようにキンキンに冷えた病院に向かった。

二日目もシェファリは10分ほど遅れて到着し、昨日伝えたものは持ってきた?ベンダーには電話した?とまるで答え合わせをする先生のように聞いてきて、やっぱり私はドキドキして、でもその両方一応クリアしていたので大丈夫、と自分に言い聞かせて椅子に座っていた。

夫の話では、修正アトキンス法の方が取り組みやすいということだったから、まずは彼女が話している彼女のやり方はいったいどちらのやり方なのかを確認しなくては、と思って夫が持たせてくれた論文を持ち出した。修正アトキンス法でスタートして効果がない場合はクラッシックなケトン食療法でも効果がでないとされており、修正アトキンス法で効果がある場合はクラシックなケトン食療法に切り替えるとより強い効果が見込めるという夫の話をそのまま伝えてみた。だからできれば修正アトキンス法の方が私達としては気持ちが楽なのだけれど、というつもりで。

するとシェファリ、「へえ、それはどの論文のどの部分に書いてあるの?見せて?」とおっしゃる。私は夫が読んで教えてくれたことをそのまま伝えただけで、論文は当然車の中だけで読み込めるはずはなく、答えられない。私の中にあるのは日本語のサイトで読んだ知識のみである。それを見透かしているようなシェファリ。

いわんこっちゃない、当てられてつまっちゃって浅い答えを追求された中途半端な生徒みたいになって私は固まる。「あの、そうやって書いてあるって夫が読んで教えてくれたので…」と、観念しておどおど言うしかない。

するとシェファリ、「ふん、あなたは英語は読めめないってことね。かしてごらんんさい」(※注:日本語訳には私の主観が多分に盛り込まれています)とばかりにファイルを受け取り、また私は鼻で笑われたような気がした。もちろん気のせいかもしれない。とにかくなんともいたたまれない気持ちになって押し黙った。

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しばらくするとシェファリ、「この3番目の論文は、私が書いた論文だわ。ほら、ここに私の名前があるでしょう?」と執筆者の名前の欄を見せてくれた。幸か不幸か、気が付かなかったけれど、確かに彼女の名前が書いてある。多分本当に彼女はインドでのケトン食療法の第一人者なのだろう。そして経験値も知識も自信も十分すぎるほどあるのだろう。

しばらくしてファイルを閉じた彼女はいった。

「クラシックなケトン食療法も、修正アトキンス法も、どちらも大した違いはないはずなのよ。修正アトキンス法のほうが負担が少ないというけれど、脂質とタンパク質の制限があるかどうかだけよ?大して違わないわ。なんにも難しいことないわよ。しかもすべての食事を私がすべて材料から計算してレシピを作ってあげるから、あなたたちはただ料理をしてそれを残さずハルに与えるだけでいいの。難しくないはずよ。ハルは自分の意思で食べる食べないということができないし、味がわからないはずだから与えるのだって簡単よ。それから、私がやっているのはクラシックなケトン食療法でも修正アトキンス法でもないわ。難治性てんかんを持つ、この子(ハル)のような小さな子のために考えられた“ケトン食療法”なの。私の元には、バングラデシュからもパキスタンからも、インド国外からもたくさん患者がきて、そしてたくさんのよい成功体験をみてきたのよ。」

なるほど。彼女はれっきとしたケトン食療法の第一人者で、実績もあって自信もあって、そしてすべて管理してくれるというわけだ。いっていることはわかるけれど、なんとなく馬鹿にされているような気がして仕方がない。負担が大きいかどうか、難しいかどうか、継続できるかどうかは、こちらが判断することなのではなかろうか。それに声を大にして言いたいのは、ハルは立派に味がわかる!ということだ。

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子育てなんてただ子供と遊んでればいいだけだろ、俺が1週間のスケジュール作ってやるからお前はただ毎日そのスケジュールをこなすだけでいいんだ、なんにも難しいことないじゃないか、子供だから時間の感覚なんてないだろ、決めたとおりにスケジュールをこなすのなんて簡単だろ、

...と子育て経験のない教育専門家に言われたような違和感(実際に言われたことがあるわけではない)に近いものを感じつつ、そうですか、全部管理してくれるならありがたいですね、わかりました。と棒読みする私。

でも全部メニューを作ってもらって管理してもらうとなると、1ヶ月後の日本への一時帰国時のことは心配ですね。せっかく軌道にのってきたところで日本への移動で食事がうまく管理できずに状態がもどってしまうのは不本意ですもんね。だから、スタートは日本への一時帰国が済んでからでもいいですか?

「もちろん構わないわ。両親がスタートしたいと思っているのであれば、いつから始めればいいかも両親が決めてしかるべきだわ。連絡をとりあって、7月の頭に改めてまたコンサルテーションをしましょう」

とりあえず、ストレスの種を先延ばしすることに成功したのであった。そして例外なく今日も冷蔵庫のようだった病院内からむわっと熱気漂うインドの現実にもどってきてホッとする。

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主役をハルに取り戻せ

新しい治療法の第一歩は、こうして幕をあけ、そして第一幕を閉じた。そして私が少し気になったのは、「はるるん、栄養士シェファリと出会う」という第一幕であったにもかかわらず、シェファリが一度もはるるんに声をかけることも触れることもなかったことである。はるるんの人生の中に果たして本当にシェファリは新しい人物として登場したのだろうか?

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少なくとも先日友人宅でたくさんペロペロして癒やしてくれたワンちゃんの存在の方が、ハルにとっては大きな存在であることは間違いないだろう。ワンちゃん。可愛かった。

一抹の不安をいだきながら、むせ返るような46度の灼熱のインドのなかで、第二幕の主役をなんとかはるるんに取り戻せるよう、夫と私、そしてメイドさんたちは動き始めることになる。

(つづく)



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