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動詞を二つ重ねて、心も言葉になっていく

今朝はちょっと早起きをしました。
仕事も休みですし、街はまだ静かで、虫も鳴いて居るので、目が覚めた時にふと思ったこと。

以前に「『書いて見た』と書いて在った」と書いた事が在るのですが、
そういえば誰かが「動詞を二つ重ねるといい」と言って居たことを思い出しました。

たどたどしい英語では「書く」ということを伝えるだけで精一杯。

だけど日本語なら

書いて見る
書いて在る
書いて居る
書き記す
書き足す
書き出す
書き留める(とめる)
書き溜める(ためる)
書き示す
書き損じる
書き上げる


と、もう少し状況や背景を合わせて伝えることができます。
少しの文字数の違いだけど、なんとなく豊かな感じ。

英語だって本当はこの辺りのニュアンスの違いを言葉で言い分けているのでしょうね。きっと同じようにラテン語の語根同士を足し算して新しい単語をつくって。


以前に「動詞を二つ重ねるといい」と聞いた時に、その本意がその時はよくわかりませんでしたが、例えばただ「noteを書いた」と言った場合でも、動詞をもう一つ重ねるとしたらと考えたら、自分の「心持ち」の微妙なところに思いが及ぶことに気がつきました。

日本語を話し出した古代の人々も、動作に伴っている「心」の在り様を伝えたくて、くっつけて来たのかも。

いきものがかりの『Blue Bird』という歌の中に

あなたへと抱くこの感情も
今”言葉”に変わっていく

いきものがかり『Blue Bird』

という歌詞があって好きなのですが、
「感情が言葉に変わっていく」ことって、本当はとてもすごいこと。

身体の動きというのは他者からも見えるので、「表」のこととして、言葉がなくても他者に伝わりますが(顔のことも「面(おもて)」といいますし)、心の中のことは「裏」なので他者からは見えません。

「感情が言葉に変わっていく」現場、人間同士の間に言葉が生まれ出したきっかけは、もしかしたら「自分の心の中の様子をどうにかして伝えたい」と切に思ったことだったのかも。

動物として五感でキャッチできない「見えない、聞こえない、匂わない、触れない、味わえない」モノ。
だけど、私の頭の中には記憶されている「情報」
これをなんとか伝えたい!

なんかもう、原始の人の、切羽詰まった、止むに止まれない状況と、なんとか伝わったとわかった時の「嬉しい気持ち」の嬉しさの大きさが蘇ってきました。

言葉でコミュニケーションをとれるようになって、ずいぶん長い時間が経って、使うことにすっかり慣れてしまったせいか、あまり「心の中の状態」を意識しないで、しゃべったり書いたりしていることが多いかも。

せっかく言葉を持っている人間に生まれましたので、
そして私は日本語を話せて、幸いにも日本語が使える環境。
日本語を大切に丁寧にしたいなぁと思います。

明石城の石垣に居たカタツムリ 2022.8.19 6:10



今日の私は「布団の中で心に浮かんだことを、noteに書き留める」でした。






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