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木の間の月の影ぞさし来る (真夜中の月光)

昨夜は満月でした。ずっと家の中にいて外に出なかったので、月に気がつくのが遅くなってしまい、月を見たのはもう随分高くなってからでした。

でも昨夜は夜更かしをしてしまったおかげで、丑三つ時をすぎてから窓から月の光が差し込んでいるのに気がつくことができました。

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2021.2.28 02:38

うれしい。

月光は、月がそこに舞い込むようで、西行のこんな句を思い出しました。

濡るれども雨漏る宿のうれしきは入りこん月を思ふなりけり
                  (山家集 中 955)

[体は濡れてしまうけど、雨漏りがする宿がうれしいのは、入って来る月を想像するからでした]

雨漏りがするのは、月も漏るからうれしい。   

なんて。西行、すごいポジティブ!

この歌は西行自身が自分が詠んだ1553首の歌を集めた『山家集』という歌集の中に入っていますが、この歌の前後には、旅の中で出会うさまざまな月と、そこから思い起こされる自分自身の心の景色がたくさん詠まれています。

尋ねきて言問ふ人のなき宿に木の間の月の影ぞさし来る
               (山家集 中 949)

[尋ねて来ていろんなことを話したりする人が誰もいない宿に、木の間から月の影が差し来てくれる]

上のポジティブは、6つ前の歌に、こんな経験があったからなのですね。。

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『西行 全歌集』岩波文庫

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夜一人でも月が一緒にいるのがうれしい。って、
世界中いつの時代でも変わらないのかもしれない。

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アンデルセン『絵のない絵本』(新潮文庫)

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電気やガスがなかった時代。
夜は暗闇で、月の満ち欠けだけが夜を照らす灯となっていたであろうことは、現代の生活の中ではもう、想像で描くしかありません。

でも思いがけず、今でもなお、街灯やビルの灯りが届かない場所が密かにあったりして、時間と空間が重なる瞬間を捉えたら月の影に逢うことができて、そのことが心に残って、いつでも月夜を想うことができそうです。

平安時代の人も、「月が漏れる」ために、ちょっと無理やりなことも思っていたみたいで、こんな歌もありました。

  *荒れたる宿に月の漏りて侍りけるをよめる
板間より月の漏るをもみつるかな宿は荒らして住むべかりけり
     (良暹法師 りょうぜんほうし 詞花和歌集 294)

[板間から月が漏るのをみました。ああ、やっぱり宿は荒らして住むべきでした]

良暹(りょうぜん)は百人一首にもでてくる平安中期の比叡山の僧で、のちに大原に隠棲して、晩年は京都の北、紫野にある雲林院(今は大徳寺の塔頭となっています)に住んだといわれています。

歌のでてくる『詞花和歌集』は、のちに讃岐に流されることになる崇徳院が、天養元年(1144年)に下命して編纂された勅撰和歌集ですが、この頃から「荒れた宿の月」こととが人々に好んで詠まれたようです。

荒れた宿なら寝ているときに月に逢える。ので。
ちょっと後の藤原定家の「幽玄」への兆しが見えますね。

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この『詞花和歌集』の良暹法師の歌のことは、西行も当時の人も承知していて、だから冒頭のポジティブにみえる西行の歌も、そんなに突拍子がないものとは捉えられなかったのだと思います。むしろ新鮮で素敵かも。って。

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そして、崇徳院と西行は親交があり、院が亡くなった後、西行は院の面影を偲んで讃岐の地を訪ね、庵を結び、何首もの歌を詠んでいます。

*同じ国に、大師のおはしましける御あたりの山に庵結びて住みけるに、月のいと明くて、海の方曇りなく見えければ
曇りなき山にて海の月見れば島ぞ氷の絶え間なりける
(山家集 下 1356)

大師は弘法大師・空海のことで、讃岐の国の金毘羅宮の山の北の麓にある善通寺は海に近く、空海の生誕の地といわれています。西行はこのあたりの海の見える山に庵を結びました。
歌に「氷」とあるのは、波のない静かな海を月明かりが差し照らして、まるで銀盤の鏡面のようになっていることを喩えて詠んでいます。

瀬戸の海。いつかきっと、こんな月夜の海を見たい。


註)*タイトルの絵は、昭和28年ごろ、画家の田中一村が、千葉寺(千葉市中央区千葉寺町)の農家の庭先を描いた絵の一部です。『田中一村作品集』NHK出版編より

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