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skill と kill は、何を「切る」

いつの頃からか、人の「ものさし」に「スキル」という言葉が頻繁に使われるようになりました。あと「キャリア」とかも溢れています。キャリアって重そう。

それで、このスキルという言葉にどうして違和感があるのだろうと思うのですが、おそらくその語感が怖いのだと思います。

「スキル」という英語の言葉は、「キル」という英語の言葉を知っていれば、その音から英語の kill を連想させずにはいられません。さらに日本人が耳にした時には、無意識の中で「キルが好き」とも連想されてしまう(かも)。
言葉は言霊なので、きっとその繋がりの感覚に拒否感があるのだろうと思います。

英語が母語の人たちは、この言葉を発する時、耳にするときに、どんな感覚なのでしょう。skill と kill のイメージは同じシソーラス(似ているもの)にあるのでしょうか。

スキルは skill で日本語の訳として「技, 技術, 技能, 技量, 手腕, 熟練, うまさ, 巧妙」という意味が並びます。もう一つの kill は、「殺す、死なせる、自殺する、無理をする、枯らす、勢いをそぐ、静める、効果を弱める、中和する、消す」。

このままでは、スキルはまるで何かを「死なせる技能」になってしまう。

skill と kill の印欧語源は全くは同じではないようで、skill は[skel- 切ることを表す。知識・洞察力から「鋭敏な」。kel-とも表記]、kill は[gwel- 投げること、届くことを表す。さらに、突き通したり突破することを表す]とあります。skill が日本語の切る(kiru)だというのは、偶然なのでしょうか。

ここからはアナロジー全開ですが、太古にアフリカから印欧の方向へ向かった人々は、生き続けるために、ひたすら自然と敵対的に対峙してきたのかもしれない。森を切らなければ、動物を殺さなくては、生きのびる術がない状況。そこで繰り広げられる状況を kill といい、そのために必要な「訓練・熟練を必要とする特殊な技能」を skill と呼んだのでしょう。create「創造」の創も、満身創痍の創で、傷であり、血を伴います。

一方、氷河期が終わって海面が大きく上昇し地面がなくなっていく中で、背中を押されるように南方の海岸沿いからとりあえず北に漕ぎ出して、たまたま日本列島に着くことができた祖先たちは、森を切り開かないで動物とも適度な距離をおきながら自然の恩恵で生きるという術を磨いてきました。そのために、「切実なスキル」というものに対する実感が薄いのかもしれません。なので、何千年も経ってスサノオが剣をもってやってきて、ヤマタノオロチを退治した時の驚愕はいかばかりであったかと思います。

だからといって、日本にスキル的なことがないわけではなく、西洋の征服的なスキルとは違う、古来からの「荒魂(あらたま)」があります。スサノオが代表している「荒魂」は、激しく荒ぶることによって、固く古くなったモノゴトを揺り動かし、既存の関係を切り、流し去ることによって、原初に戻らせ、若返らせ、再生、甦りができる状態にする力です。そして、そのあとに「奇魂(くしたま)」によって、新たな出会いを起こし、新たな関係を結び、さらに「和魂(にぎたま)」によって、育ち、稔りをもたらし、やがて朽ちてゆく。という循環。

この「分け(若)、結び、実り、老い」の繰り返しを、淀みなく流し動かすのが「斎」の役目です。特に「老い→分け(若)」の禊(払って、流す)のところに深く関係します。折口信夫の『水の女』ですね。

なので、この固くなって身動きの取れなくなった既存の関係を「断ち切る」(太刀斬る)ことこそが「創造」の始まりで、その後に新しい「結び」を起こすというのが「創造」である。というのが、古来からの日本本来の「創造」のコンセプトです。

『千と千尋の神隠し』の「よきかな」のシーンは、まさに再生の始まりを寿ぐ声ですね。(お能の「翁」はすべてこの「寿(ことほぎ)」です)


はじめスキルという言葉に違和感があると書きましたが、「何かと関係していることが生きている状態」とすると、その関係がなくなったり、切ってしまうことは死んでしまうことと同じなんですね。

ただ違うのは、そこで死んだままになるのではなく「切ることで生まれ変わる」を繰り返すことこそが生きている。とすれば「生まれかわることは、つなぎなおすこと」ともなりますので、スキルという言葉の見え方も多少変わってきそうです。

ホモ・サピエンスが生まれたアフリカの原初ぐらいまで遡ると、同じにも思えてきますし、私の細胞もこうしている間にどんどん死んで生まれることで、この体を維持しているのですから。

なので今は、スキルというものがあるのでしたら、それを繰り出す場面は「売上への貢献」とか「コスト削減」とか「効率化」とか「生産性」とかではなくて、「古い関係をほぐす」「原初に戻す」「新しい関係を結ぶ」のところで、躍如できたらいいな。と思うこの頃です。

あと、やっぱり。
スキルという言葉から、出会いが始まるのは、しんどいかも。そこにはすでに固定した価値観が見え隠れするので、きゅうくつなんですね。

キャリアは重くて、スキルはきゅうくつ。







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