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相模湖でにんまりと“難民船”に乗り込んだ話

おとなの探究 合宿に行って参りました。

今回のおとなの探究は、
相模湖周辺で2日間にわたって行われました。

9月17日の13時から相模湖駅を出発。

気になるものに足を止めて写真に収め、
面白がりながら相模湖公園に向かったFeel度Walk前半戦。
一人の時とは違い、
違うものを見ている人たちが周りにいるので
自分の視野の外にも「気になる」が拡がって、
とても新鮮な時間でした。
10分ほどで辿り着く距離を、
1時間かけてじわじわ進んでいました。

そして、
14時から相模湖公園でFeel度Walk後半戦。
それぞれが公園内を思い思いに散策し、
15時頃に一息ついて、
船で相模湖を渡り、合宿する山荘へ。

集まった方たちと、
それぞれが生成した「知図」を出しあうことで、
新たな「集合知」が生まれました。

深夜の0時まで
ジェネレートマスターりきさんの語りに聞き入り
深夜の0時から
満点の星空の下、焚き火を眺めながら語り合う

…濃度の高い豊かな時間でした。

明け方4時くらいに床に就き、
8時ごろから活動を再開したものの
不思議と目覚めはスッキリ、

9月18日13時の解散まで、
いろんなアプローチで「知」と遊びました。

Feel度Walkで気になる収集

ここからスタートして、一時間かけて公園へ向かいました。
からからと光る金麦
水たらし
思いがけず大五郎
トイレの前で目が合う森の主
相模湖を渡って合宿所へ向かう

気になるものを集めたら、合宿所で「知図」生成

お世話になった山荘
目前に広がる山々
私が生成した「知図」
(描き出した「気になる」を17文字であらわす試み)
みんなの「知図」を集めて拡がる集合知
(二日間で、歌になったり物語になったりしました)
深夜0時から始まり、明け方4時まで開かれた集い
あふれ出す「気になる」にまかせ 食べ尽くす それでも一本 通る芯かな

さまざまな「探究者」たちが集う場

合宿にはいろんな立場の「探究者」が集まっていました。

私は、この半年のうちに
滋賀行って
京都行って
熊野行って
新潟行って
和歌山行って…とあちこち巡り、
相模湖の”難民船”(と表現されていたのがツボったので拝借します)
に乗り込んだ「流れ者」なんですが、

過去の失敗から学び、今回こそは「仁義」を切れるようにと
行きの新幹線の中で現状の言語化を試みていたんです。

わたしは当事者になる「探究」をしてきたんだと気づく

私がそもそもどういう地点から
ジェネレーター修行をはじめたかを振り返ると、
「やってもやってもできてる実感がわかない無間地獄」
からの参加だったんです。

もともと、本を読んだりするのが好きで
実体験よりも耳学問に偏る学び方を
してきていたんですが

子供の頃とかは、
不平不満を言うだけで建設的な行動を避ける人が
感情的に嫌いで、
そういう人にイラッとくるたび、
自分を省みては
理屈が先に立って実行力に欠ける
(当時の)自分の性質に凹んでいたんです。

なので、
分析家より実践者になりたい
評論家より当事者になりたい

と、
わりかし「ぷんすこ」しながら生きてました。

私が思う「実践者」や「当事者」の素敵なところは、
無心なところです。
格好をつけないところです。
「誰か」からの反応に期待せず、
まっすぐ対象を見据えて突き進むところです。

わたしは私の「当事者」である

そんな「当事者」という理想の人物像に
こだわりをもって生きていた私は、そうこうするうちに
何人もの「この人を師匠にしたい」と思う方達と出会いました。

世界大戦が始まった中学生の時に、
まず自分の国を知らなくてはと
東洋思想の研究に身を投じた安岡正篤先生

「命もいらず名もいらず官位も金もいらぬ」(西郷隆盛評)
という無私の精神で、明治維新に奔走し
江戸無血開城の道を拓いた山岡鉄舟先生

牛のように超然と根気ずくで押し進み、
自分の鶴嘴ツルハシが鉱脈を掘り当てるまで
足元を掘り進めるよう後進を励ました夏目漱石先生

未熟な私は、卑屈な精神を発揮して
「私淑していると言えるようになりたい」
いう言い方をしていたんですが、

今回、
自分が「“当事者になりたい”探究」をしていたんだと
新幹線の中で自覚して
それをことばにして打ち明け、
「探究者」の方たちからフラットなことばで
フィードバックを受けたとき
長年渇望してやまなかった
「当事者の実感」が身体に行き渡ったのが分かりました。

ジェネレーターとはなんぞや

「作為」から脱け出す模索

私には、
「当事者」を実践しているつもりいた時期があります。
…割とつい最近まで。

ただ、振り返るとその実践の仕方は、
「自分の実感は捨て置いて、目的達成のために行動する」
というものでした。
師匠を外側から観察して、分析して、自分なりに定めた
「理想の振る舞い」を”なぞる”ものだったと思います。

「〇〇しちゃった」とは程遠い、
「〇〇せねば」の塊でした。

結果として、
目的を達成しても自分が喜べない、ということが起きて
「これ違うわ」と気づき
再び「じゃあどうすればいいのか」という迷いの森に
踏み入ったのです。

私がジェネレーターの存在を知った時、
「この人たちは実践している」と思いました。
そう見えたからです。

ジェネレーターは「作為」を持たない

ジェネレーターになりたくて
ジェネレーターの周りをうろうろしてきたんですが、
やはり「なりたい」側から見ているので
私自身の「ジェネレーター」像も、
私のフィルターがかかっています。

私はそれまで、ジェネレーターを
「自分をさらけ出して、周りと共振することで
歯車をまわす存在」
だと定義していました。
でも、「歯車をまわそう」という作為を持つ時点で、
ジェネレートとは別物になってしまう。

人間を自然物として観る

合宿所に集った「探究者」の方達に
話を伺う中で、

「〇〇せねば」で生きていた頃
師匠を過度に理想化して
同じになれない自分を責めていた
ことを思い出しました。

「人間関係への悩み」も華麗にスルーしていそうな
りきさんがおっしゃっていた、
ご自身のスタンス
「人間を自然物として観る」。

このことがしばらく心に引っかかって、
色々と考えるきっかけになりました。

いろいろ考える中で
「私自身も自然物なんだ」と思い至った時、
ここ1年新たに知った価値観とつながり、
腑に落ちた感覚がしました。

私の身体は、先人たちが居てこそできたもので、
私のDNAにはご先祖さまたちの記憶が内蔵されている。
私は今、そのデータを更新する係だから
ちゃんと自分事に向き合わなきゃそれこそ失礼だ、
みたいな感じです。

せっかく会えた師匠の教えは
「自分がどうするか」という問いにして
咀嚼しないと意味がない。

師匠を「ヒーロー」として
憧れ続けるだけに終始するのは、
「他人事」にしてしまっているのと
同義なのかもしれない。

自分のことも、師匠のことも
「自然物として観」ようとした時、
そんなことを思いました。

2023年9月20日拝


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