la la la 117. 冷蔵庫にあるものを腐らせない(By ラム子)

こんにちは。これは不器用さんへ、というよりむしろ我が叔母に向かって、大きな声で言いたいことなのですが、笑。今日本当に強くそう思ったので。
「冷蔵庫にあるものを腐らせない」

わたしの叔母の話なのですが、こういう感じのことが起きているタイプの人なのです。まず叔母は「まちがい貧乏」で「まちがいもったいながり」
ちょっとした買い物でも「それっていくらすんの?」「高!」「それポイントつく?」そんな感じで、なるべく安いコストで得しようということをいつも考えています。けれど節約家かというとそうじゃないんです。
なぜかというと目的がいつも「これが欲しい」「これが必要」というところから「この方が得」「得なものが欲しい」というところにすり替わってしまっていって、必要なものでなく得なものを買う、
しかも得だと思うとどんどん買う。(なのでお金ないと言ってる割に買い方は豪快ゴージャスなので真の貧乏性ではないな、と思っています)
それで祖母の冷蔵庫には叔母が買ってきた2割引とか特売の食材が全く整理されないままどんどんテトリス的に上から放り込まれて行って、もう何が入っているのかわからない。そしてそれらはだいたいそのまま腐っていく。得をするために欲しくもないのに3セットまとめで買っている、使われぬままどんどん奥へ押し込まれていく何かしらの食材や加工品たち。

(かなり辛口ですがこれも前回のいとこ同様、本人にはもっときつく、笑、直接言っているので陰口ではない。笑 )

9月に帰省した時も冷蔵庫の断捨離をがっつりやったのですが、
(というか冷蔵庫の断捨離って本当は存在しない方がいいですよね)
今日改めてまたその冷蔵庫をあけるともう未開封賞味期限切れのソースとか食材とかが山ほどでてきました。チーズとかも冷蔵庫のあっちこっちから出てくる。なるべく捨てたくないので、悪くなりそうな野菜と、12月頭に賞味期限の切れたチヂミキットみたいなのを使って今日はチヂミを作りました。

(⤴︎とある日の持ち寄りランチ)

欲しがってしこたま買った食べ物をどんどん溜めて腐らせて捨てる。

これねぇ、本当によくないです。Happyが一番遠ざかる行為。
今日の例はデラックス級の特例なので、誰もがそれは「あちゃーだね」と思うと思います。でもこういうこと、ここまでとは言わないけれど、ありませんか? 一番わかりやすいのがビュッフェで取りすぎて残すケースですよね。笑。わたしも目で食べるタイプなので、必ず欲しくなった分量を食べきることができないタイプで昔はよく失敗しました。

パーティやもてなしの中でお酒も料理も「余るほど振る舞う」これ自体はわたしは賛成。元旦に親族一同での大すき焼き大会がありましたが、やっぱりたらふく食べてもまだ食材が残っているくらいが贅沢で豊かな気分になれます。だからこそ、そこで残った食材とかを上手にみんなにもたせてはけさせるのが上手な人とか、それらを全く違うレシピで、作り変えて使い切れる人って素敵だなあと思います。わたしは演劇をやっていたのですが演劇って千秋楽に花を全部捨てるんですよね。それをいつも悲しいなと思っていたのですが、ある劇場で、終演までに小さな花束を作って観客の人が持って帰れるようにしている劇団を見てとても感銘を受け、自分が携わった公演でもそうすることにしました。

今日のこの写真たちを見ても伝わると思うのですが、食べ物も「生きて」いますよね、何かこう、パワーやエネルギー、光みたいなものを発しています。それをプラーナと言ったり、します。それらを上手に、余すことなく体内に取り込める人の方が、生き方上手と思いませんか?

わたしはこのマガジンで道徳とかモラルについて話したり諭したりするつもりは全くなくって、常にすべての物事は「己(おのれ)アタック」
己のアクションが常に宇宙と同期されてやまびこのように返ってくる、それに関してだけお伝えしていくつもりです。つまり叔母の話に戻すと、わたしが言いたいのは世界には貧しい人が云々・・・ではなくって、これで叔母は本当の意味で自身がいつも望んでいる「得」をしたのか? ということです。だって結果的にこれってゴミを買ったことになるじゃないですか、タイムラインを逆説的に考えると。

わたしが一人でチヂミを食べていると叔母が帰宅して「チヂミ食べたい」というから半分を叔母といとこにわけました。後から内線がかかってきて(祖母宅と叔母宅は渡り廊下で繋がっている)「チヂミめっちゃ美味しかったわぁ♩」と叔母は喜んでいました。
わたしはなんかsoooo wired(奇妙)な感覚。

あれは、あなたが完全に見捨てて、いたものたちだよ。
冷蔵庫の中で忘れ去られていた食材たち。
わたしがここに「プラーナ」として調理しなければ、叔母に見向きもされぬまま、数ヶ月は放置されたのち、生ゴミの袋に入れられて焼却されたものたち。これはチヂミという極小の例だけど、人が目の前にある何かに気づかないってこういうことになると思うのです。

つまり、この世界にあってじぶんと出会うすべてのものたちを、
生かすも殺すも、己次第ってことなのだと思うのです。

それは同時に、生かされるも殺されるも、己次第とも言えるわけであって。

たった一つの冷蔵庫から、あなたの今日、明日を変えられる。
もっと生き生きした冷蔵庫に変えれば、あなたの日々もそこにチューニングされていきます。そう、冷蔵庫にあるものを腐らせない。笑。
(もはや今日泣く泣くたくさん捨てて、命を大量虐殺した気分。これはわたしの切実な叫び)

それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆


嬉しいです ( ´ ▽ ` )ノ