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la la la 73. Deepな闇の”Shake it out”を試みよう 【祓い清め給えシリーズ④】(Byラム子)

こんにちは。[la la la 72]に続き、今日も楽曲紹介をしますが、わたしがお伝えしたいことは「この曲を聴きましょう!」ということじゃないので、別に曲を繰り返し聞く必要はありません。前回の ”Shake it off” に引き続き今日 "Shake it out" を紹介するのは、皆さんに「闇の濃度」を可視化してもらいたいからです。闇の濃度が理解できてくると、それらを早めに拭い消滅させることの重要性がすごくよくわかってくると思うのです。つまり、わたしが繰り返し、そちらの方が優先事項だとお伝えしている、まさに【祓い清め】の重要性が伝わりやすいかなと思うからです。

英語の解釈でいうと、
Shake it offは(Shake=振る)(Off=離す)という意味でつまり”振り払う” ”振り落とす” "逃げ切る”などの意味から「気にしない」という意味になっています。テイラーの歌詞だと「雑音は気にしない」という感じになっています。それに対してShake it out は(Out)に=中に入っているものを外に出す、という意味が含まれます。つまり(It=それ)がある程度、中に、内に、入ってしまっている状態を現します。日常会話だと、瓶に入っているパスタソースを最後までShake it out、という感じでしょうか。

わたしが何を言いたいかというと、最初の段階でShake it off(振り払え)なかったものは、知らず知らずあなたの内側や細胞に入り込んでいくから、それをShake it out(かき出す)のは、Offするよりも困難だということです。
くだらない例えですが、ウォータープルーフのペンシルのアイラインなど、きちっとオフしないと、知らない間にタトゥのごとく染み込んでしまって取れなくなりますよね、そんな感じ。

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わたしはこのフローレンス・アンド・マシーンというアーティストが好きなのですが、一般的な理屈ではなく”スピ的”な言い方をすると、このアーティストやSia(シーア)の楽曲やPVにはどことなく妖しい、闇と契約をしているような気配があります。光と闇の境界線を猫のような足取りで歩いているようなそんな感じ。わたしは長くじぶんの中に人魚を棲まわせていましたので妖しくて美しいものは昔から好きでした。何度もお伝えしていますが悪は美しいんです。悪魔は妖しくて美しく魅惑的です。歌舞伎町の有名ホストや銀座の有名なママなどが持っている気配です。笑。

わたしは「悪を正しく恐れて欲しい」と以前もお伝えしています。この歌は曲の気配と歌詞の内容がスピ的なオーラ的には連動していないのですが、
まず言葉としてShake it outをお伝えしたいので少し引用します。
ここが出だしの部分。

「後悔」は古い友達に良く似てる                   何かというと集まっては
忘れてしまいたい思い出まで
わざわざ思い出させてくれるから
一体どうすればいいか全くわからないのに  
思い出したくない出来事が
墓場の亡霊みたいに蘇って
ますます自分を苦しめる
                                  だけどそんなものにつぶされて
自分まで失ってしまいたくない
心を強くもっていたい
今は確かに苦しいけど
もうじききっと終わりが来る
だって夜明け前が一番暗いんだから

そう、中に入ってじぶんの中に棲みついてしまったものには「過去のトラウマ」もあります。後悔や、傷、痛みや、虚無。それらは机の上にコンパスの針で何度もギギギとなぞった線のように、心に、心臓に刻まれて、簡単にOff(オフ)できるほどその課題はたやすくありません。
中には、じぶんでは気づいていなかったじぶんの傷、というのもあります。

じぶんの例えで申し訳ないのですが、最近じぶんが気づいたのは、じぶんは本当は社交的ではないのに長年、接客業ーーしかも酒場でーーをしたり、なるべくたくさんの人と平等に関わるようにしてきたんだけど、そこには相当量のエネルギーの消耗と、無理が生じていたのだなということです。
友人がこれを読んだら「今頃?」と笑っていると思うのですが、わたしは”まざまざと”は自覚してなかったのですつい最近まで。
わたしは本来ガリ勉で哲学家気質、おそらく机の前に座ったり何かを調べたり検証したり掘り下げて考えて、人とは接せず、答えのでないことの答えを探したりするのが向いている、ミステリードラマでいうとゲストで登場するトリッキーで空気は読めない解剖医や専門家タイプなのだと思うのですが笑、かつて作家になる前、わたしには当然芸術的収入はありませんでしたから、「何か」をして稼ぐ必要があった。しかも役者業と両立するためにそれはある程度高収入でなくてはいけなかった。それで13年ほど前に水商売を始めたわけなのですが、その頃当然自分は接客に向いてないし水商売にも向いてないと自分でわかっていたしもちろん”使えない” やつだったのですが、わたしはちょうど体育会系世代の最後の生き残り世代なので「根性」と「努力」をするタイプでした。また働いたお店にはずっと恵まれているので、次第にそこで居場所ができていきました。

元来人間のことを愛しているので対峙する目の前の人に一生懸命になるのでお客さんも喜んでくれる。そのうち力もついてくるので「お店に貢献できる人材」にまで育ちました。(もはや、向いている人がサクサク辞めていく中、わたしは13年も続けてこられてしまった)けれど元来それが「向いている」わけではなかったのに、なんとなく続けてこれてしまって、わたしに会いにきてくれる人が割といたりとかして「外向きには」対応できていることでさらに、自分の内なる声を聞きそびれてきてしまったのです。

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何を伝えたいかというと、最初に「向いてないけどこれをやるしか選択肢がない」と決めてしまったら、それから時間が経つうちに「やると決めてしまった」決心だけが残っていて「向いていないけど」というじぶんの内なる声をねじ伏せた過去の出来事をじぶん自身が忘れてしまっていることがあるということなのです。「苦手か知らんがやらなきゃ」ということは、何かを達成する過程の中では必要ですが、多分、ラララ的に言うとそういう時は明確な期間を設定しておくべきだったと思うのです。でも13年前、わたしはこんなに目覚めていなかったので、笑、”無期限設定の小さな呪い契約”(仕事の内容ではなく不向きなことを自己を抑えてやるという)を結んでしまっていたのですね。

でも気づいた今、わたしはそれをShake out(かき出そう)と意識しています。じぶんを偽らないということ。偽る、という言葉って語弊があって、そう言われたら別に偽ってなかった、と思ってしまうのです。わたしはお客様に嘘もつきませんし、極端なお世辞も言わないし、極めてフラットに正直に接してきたつもりなのです。でももう一つ掘り下げてみると、お客様に向かい合う前に無意識レベルで(接客はもともと向いていないんだから一生懸命やらなきゃ)っていう気合いを毎回注入しているのです。それはわたしがこのマガジンや、原稿用紙に向かい合う時にはないものです。わたしは「頑張って書かなきゃ」と思ったことがありません。それよりも必要な言葉を正しく魂を込めて伝えることしか考えていません。小説であれば脳内にある世界をなるべくそのまま原稿に落とし込むことしか考えていません。だから執筆に関して不自然な疲労というのはわたしにはない。書くことが向いているから。書くことはじぶんにとって自然な行為だから、です。

なのでそういう意味ではわたしは「わたしじゃないわたし」で接客をしていたのだなと思いました。そして次にしようと思う、わたしなりのShake outは、接客業をやめるか、すぐ辞められないならば「一生懸命やらない」ということです。それは業務への怠惰ではなくって、気合いを入れないということ。それで必要最低限の仕事のラインに到達しないなら別な仕事を探すということ。13年も染み付いた感覚をShake it outするのは容易いことじゃないと思いますけれど、気づいたらShake it out してより無理のない自分へ。

だらだら自分のことを書いたのは2つ理由があります。

① 無意識レベルでのじぶんの、反ラララ行動に気づくのはけっこう難しいのでじぶんの内なる声により耳を傾けて欲しいということ。そして無意識レベルのことは結構重症なものも多いので、気がついた時Offでは拭えない。でも気がついたならば、そして変えたいと思ったならば、意識的に”Shake it Out”してみてほしい、ということ。

②意識レベルでの自分の深い傷、何かあると思い出してしまう過去の傷や、今もPTSD的にフラッシュバックしてしまう何か、大きな失恋や、誰かの裏切りやDVなどによって受けたトラウマや幼少期のことなど。
それら「いつも意識下にあるのにどうにもできないこと」に関しては、時間をかけてほしいということ。
無理に掻き出そうと、拭おうとしなくていいです。
その傷は時を経てもまだなお焼けただれています。または一見健やかな肌の下で、静かに傷んでいます。
拭えないことを弱いとか、闇に絡みとられているとか思わないで。

光だけでできている人間なんていません。だから人を、明るい人、暗い人とか、根アカとか根暗とかそういう風に分けてしまう考え方をわたしは乱暴だと思っています。あと相手に対して「けっこう根暗だよね」とか「わたしは意外とくよくよしないので」とか言ったりすることはそこに「比較」が入ることで、それは実のところ自分の問題を相手にぶつけていることになります。なので「暗いね」と言われてもそれは相手の問題であって、逆に相手に「わたしはこう」と伝える必要もないということです。
先日お亡くなりになった樹木希林さんが、それを体現してくれています。

そんなわけで今日は「祓い清め」るのがたやすくはない案件もあるよ、ゆっくり行こう、という回でした。笑。すべては”気づき”から始まります。
”気づき”の段階で120度くらい視点が変わっています。そこからはあなたタイムで、ゆっくり、あなたがあなたの中からさよならするものを決めてください。あなたの人生はあなたのものです。だからあなたの時間の使い方も、誰かに管理される必要はありません、Take ur time.

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それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

ラララ世界の中心はあなたであって、いつどんな瞬間からも ”「今」にさえいれば” その一瞬先の未来の時系列を変えることができます。


嬉しいです ( ´ ▽ ` )ノ