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la la la 8.「さもなくば」呪いにかからない(by ラム子)

こんにちは。と言ってもまだ夜中なのですが、今日は1日中珍しく外に出ることになりそうなので今のうちに更新しておきますね。

今日のタイトルは「”さもなくば”呪いにかからない」ですが、
広く、そして深い意味で「呪い」のこと。間違って呪いにかからないで。そして知らず知らず呪いをかけないで。

ちょうど5年前の今頃祖母が亡くなりました。そのときに来てくださったお坊さんが本当に素敵な説教をされる方でした。そのときにお坊さんは、故人が亡くなってからの初7日や49日、1周忌、3周忌以降、そういった法事は、
「こうじゃないとダメ」なんてものは一切ないから、神経質にならないでと諭してくれました。今は昔と違うから親戚が集まりやすいのは土曜日日曜日、だから日にちが多少良くなくても法事を週末に行う、それでなんの問題もありません。その時お坊さんが言いました。
「こうしないと不幸になるなんていうのは仏の教えにありません」

「こうしたらとても良いよ」という提案の裏に「その代わりこうせねばならない」という呪いがセットになっていることが、現実社会では良くあります。例えば最近増えてきたスピリチュアル系のページでも、
「世界には波動の低い人がたくさんいますが、それでもこれを今読んでいるあなたもいることに安心します」みたいな言葉、良くあります。
それって一見じぶんが選ばれた感じがありますが、言葉を返せば、これを読まなくなったらまるで、その時は覚悟しとけよ的じゃありませんか。

先日も預言者のTwitterで「何度も警告しているのに皆が全然気をつけないから、このままだと、このtwitterのフォロワー以外は滅びてしまうかも」というつぶやきをみました。わたしはこれは「呪い」だと思いました。
これを読め、さもなくば死ぬ、という極めて強いタイプの呪いです。

このマガジンは「はじめに」という但し書で、不器用さんに贈るマガジンだから、アセンシャーな先陣には物足りないかもしれないということは伝えました。けれど同時に、このマガジンが必要ではないということはそれでそれでHappyだと伝えてあります。

つまり「こうするといいよ」ということは「こうしないとダメだ」ということではないんです。仏壇はこっちの方位におかなくてはならない、とか言っても間取りの関係でおけない時。ご先祖様や仏様が、置く場所一つでその家の家族を祟り殺すかというとそうではありません。
(よっぽど嫌な場合は数度に渡りお知らせがきっとあります。夢に出てきたりとか、やたらその部屋の電球が切れるとか。あくまで例ね)
もちろん開き直り、は良くないのだけど、ごめんなさいね、ここにしかおけないんです、という気持ちがあればそれで良いと思います。

方位の悪い引っ越しもそうです。
基本的に方位を侵すのは正直あまり良くないです。
でもそれを知った上で、でもどうしてもそうせねばならない事情があるんです、という場合は、その地でより徳をつむよう頑張るなど、他のやり方で、それらをフォローできます。
「あまり良くないこと」ですらこんな風にカバーできるのに、
「むしろより良くなること」をただ ”しない” ことでなぜ不幸にならなくてはならないのでしょうか。

「さもなくば」呪い、とあと取引。
人魚姫は足の代わりに声を失いました。
得るものの代わりに払った犠牲が多すぎる、と、ラララ世界的ラム子は、今そう感じています。そういった物語が悲しく美しいと考えた時もあったけど、今はそんなの全然ダメ、そう思います。本当にそんなに凄まじい何かを差し出さないと、欲しいものは手に入らないのでしょうか。なりたい自分にはなれないのでしょうか。対価、は必要です。先日話したようにエネルギー泥棒にならないために。わたしはこのマガジンをとても大切に感じているから週1で、みたいなゆるいことはできないなと思って、毎日更新しています。大切なものに対するじぶんのエネルギー提供として。
断捨離も必要です、もう自分の中では古くなってきた考えや、今の自分とは違う感じになってきたものとのさよなら。

けれど取引は大抵、今とても大切にしているものを差し出さなくてはいけません。それって、人生において、その取引自体がマイナスだなあと思うのです。失って終わりかというとそうではなくって失ったわたしを生きていかなくてはいけないから、いわゆるローン返済のような感じというか。

人生が学びであるとするなら、その人生の宝箱には、学んだ分、宝が増えていっていいはずです。時に「交換」はあるでしょう。でもその場合、
双方が嬉しい納得の上に成り立つべきものかな、と考えます。
ちょっと無理をして差し出す時もあります。姪っ子が、じぶんの大切にしている飴を、残り少ないのに「あげる」とくれた時。
でもそこには愛の体験があります。じぶんの大切なものを失っても、相手が喜んでくれたらこんなに胸が嬉しくドキドキすること、とか。

わたしは交換はそういったものであるべきと考えます。

「呪い」は、うっかり相手にかけてしまうこともあります。
例えばあなたが誰かのことを本当に想っていて、相手が良くなると思って何か提案したことがあって、それをなんとなくかわされたというか拒否されたりした時に、「じゃああなたはもうそのままでいいんだね」「変わりたくないんだね」みたいなやつ。
心で思っているのはちょっぴり悲しい気持ちもあって、わかるのですが、口に出してしまえばそれは呪いです。それは極端に言うと、結果的にはこのブログを読んでない人死にますよ、系、になってしまいます。

「さもなくば」は呪いです!
それを頭に入れておくといいですよ、さもなくば・・・・・笑

この「ラララ世界」もそうですが、取り入れたらもっと世界がla la la♪ するかな?ってことを書いていますが、そうしなくったってあなたの世界は7000パーセント最高なんです。すでにラララなんです。
だから何かを取り入れなくても、今の状態から何かHappyが引かれることはありません。世の中には優しい言葉の呪いがいっぱいあります。
呪いはこわいです。でも呪いは怖いという呪いにかけるつもりはありません。笑。呪いは怖い。でもちゃんと怖がっていれば大丈夫。
ちっとも怖くありません。

それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

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<ラム子より不器用さんたちへ>
「東の魔女」に聞きたいことがあれば、気軽にコメントしてくださいな。
それをテーマに次の記事を書くなど、一緒にこのマガジンを作っていきたいと思っています♪ la la la♪

嬉しいです ( ´ ▽ ` )ノ