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la la la 45 . 全ての物事は結局”見極め”がすべて(Byラム子)

さて。今日どういったことを書けばいいかなあ、といろいろ考えていて、頭でまとめてみると今日も至極「あ・た・り・ま・え〜」なタイトルになってしまいました。

しかし「見極め」って簡単に言ってもそれが一番難しいことです。
そしてそれがまさに、わたしが考える「ラララ星人」の持つ最強のスペックであり、それをみなさまがいつも発動できるようになればもうおしまいにしていいこのマガジンでもあるのです。物事の局面には陰陽が必ずあって、陰陽と言うか今どこらへんのバランスに傾いているかというところなんですけど、周りはどう言おうとわたしはこうだなと、手前で考えて手前で動いていく。そのためには判断材料を前に、最終的には自身の磨かれた感性や直観力、または経験則を生かして、見極めていかなければならない。

以前韓国の船が沈んだ時「じっとしていなさい」と言われて子供たちがじっとしたまま亡くなってしまった、こういうことを無くしてくには「いや、これは絶対違う」と強く思える感覚が必要です。子供たちは素直で大人の言う通りにした。なのでなお痛ましいのですが、これを読んでいる人はある一定以上の大人だと考えると、自分の感性を信じる勇気、そしてまたなおそれが世間の感覚とずれていてもそれを行動していく勇気、を培うことが大切かな、と思います。

今日、本当はアファーメーション(自分に対する肯定的な誓い)のことを書こうと思ったのですが、それと同時に「国がこの”酷暑”を1つの災害と認識」と発表していたので、この双方のこと、関係性について書こうと思いました。例えばこの「酷暑」も、国が「1つの災害と認識」することでぐっと重みが出てきましたが、それを国が発表する前も今も、この酷暑に変わりはないということです。国家の判断は素早い場合もありますが、いろんな事情やシステムエラーなんかもあって「遅れる」ことがあります。
国が発表してからようやく「これは大変なことなんだなあ」と思って逃げ出したのでは遅いことがあります。

また、今、剛力彩芽ちゃんが叩かれて謝罪をしインスタを全部消すみたいな騒動が持ち上がっていますが、これ、最初の方からなんかこういう展開になりそうだなと思っていた人、経験の深い大人の人なら多いのではないでしょうか。わたしは彼女の「素直に生きたい」気持ちを応援しています。
でも、せっかくの素晴らしい恋の日々を、全然知らない人からクソミソに叩かれるなんていう「嫌なこと」が起きないやり方もあったと思うのです。
クソミソに叩いているネットの人たちを「醜い」と批判する声もあります。でもその人たちを撲滅することはできません。同時に「ファンの人のことを考えてあげて」という言い分も、了承はできないですがファン側の気持ちはわからなくない。

人って繊細な生き物で、例えばなんか心の支えに通っていたBarのマスターなんかがいて相手も独身で少しさみしいところがあるんだろうなとか勝手に思って、そういったところにシンパシーを感じていたら「あの人超いいパパさんだよ」と他の人から聞いて何かすごくショックを受ける、そういうところってありますよね。いいパパさん、無問題なのですが、接客業や芸能など、その存在が誰かの太陽になったりするお仕事では、こういった部分てどうしても出てきますよね。スナックのママさんも、なんか少し気の毒な雰囲気で彼氏がいなそうな感じが人気です。(だいたいいるけど)
だからわかりますよね、「なんで女優はみんなIT社長なんだよ!!怒」みたいな気持ち(笑 「サッカー選手はみんなモデルと結婚するんかい!」みたいな感じ(笑

わたしがこのマガジンで一貫してお伝えしたいことは、周りや社会の道徳とかモラルを変えていくには時間がかかるし、保育園問題が解決するころにはウチの子供達はみな義務教育の年齢に差し掛かってるわ! みたいなことが社会の全てなので、やっぱり「自分」が、なるべく嫌な思いをせず、健やかで穏やかな毎日を送れるよう、知恵を身につけ、いろんな視点で、いろんなアプローチで、社会を切り抜けて行って欲しいのです、ということです。

このラム子のマガジンでは「ラララ♪」なんて言ってる割に、邪気を攘う、とか、ちゃんと怖がる、とか「世の中には恐ろしいものもありますよ!」という回も結構あるのですが、物事の側面を常にニュートラルに理解するには、陰陽の存在をちゃんと同じだけ知る必要があるとわたしは考えています。つまり「マタニティマーク」が女性を守ってると同時に、それをつけている女性を突き飛ばしたいと思う女性もいるということ。
悪いものや醜いものを、まるで「ない」ように、世界は「キラキラしているわ〜」だけで生きてくのは実はとても危険です。

だから「アファーメーション」で、物事をひっくり返して好転させる、この作業は大事なのですが、そもそもひっくり返せる案件なのかという「見極め」が大切なのです。

今日最初にわたしがしたかった話は、最近よくわたしに道で会うと「今日何曜日?」と聞いてくるおばあさんがいて、2回目にあった時はちょっと怖い気がしたんだけど「この人に会うといいことが起こる」と考えることにして、そしたらそのお婆さんに会うのが楽しみになった、という話だったのですが、これは大前提として”そのお婆さんが危険な存在じゃない”という見極めの上に成り立ってるアファーメーションです。
わたしが”ぎょっ”としたのは、なんかループのように「今日何曜日!?」とお婆さんに聞かれた行為が「世にも奇妙な物語」みたいなテイストに感じて最初怖かったからなのであって、お婆さんが怖かったわけではないのです。

今日なんとなく、アファーメーションのことだけを書いて、
「なんかあの人怖い、嫌な予感がして関わりたくない」と感じている不器用さんが「そうか発想を転じればいいのだ!」と思って、その大事な直感を否定して、その怖い人と関わり続けて、より困ったことが起きたら怖いなというイメージが生まれたので、「見極め」を主軸とした回にしました。

とはいえ「見極め」は大きなテーマです。じゃあどうやって見極めたらいいの? わたしの感覚、本当にあってる?

この「東の魔女の暮らし」では、その疑問から「?」が取れて、みなの直感と見極めが確信に変わるまで、いろんな角度から根気強く紡いでいきたい、そう考えています。
今はシンプルに「心」と「体」が言ってることをよく聞いてね、と伝えたいです。「この暑さは尋常じゃない」と直感が言っているのに学校が「校外学習に連れて行きます」と決断していたら「じゃあウチは今日休ませます」と言うような判断や、仕事場での取引先とのやりとりが「なんか微妙な流れだな」と思った時に「取り越し苦労」と思わないで取越した苦労をしておく。

こういう時も「べき」が本能を鈍らせます。「わたしたちの時代はクーラーなんてなかったし」とかいう”ここにいない”時間座標でものを考えるのも、判断を誤らせます。「今」本能的に「感じること」を最優先して欲しい。

おおごとみたいな言い方ですが、今、地球はそんな局面にきています。

今日はなんだか水色がテーマです。
チャクラで言えばコミュニケーションを司る「第5」ですね。
本来「青」ですが「水色」なので、少し白が入って、ピュアさや優しさ、真摯な想いが混ざった感じかな。
「言いたいこと」「伝えたいこと」
その ”言いかた” ”伝えかた" がキーになりそうです。
ダイレクトではなく、すこし柔らかい感じが今日は良いのかもしれません。

それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

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<ラム子より不器用さんたちへ>
「東の魔女」に聞きたいことがあれば、気軽にコメントしてくださいな。
それをテーマに次の記事を書くなど、一緒にこのマガジンを作っていきたいと思っています♪ la la la♪


嬉しいです ( ´ ▽ ` )ノ