【続編】歴史をたどるー小国の宿命(93)

会津藩が組織した「白虎隊」は、今で言うならば、中3か高1の少年たちのグループであった。

会津藩には、少年隊だけでなく、婦女隊もいて、女性たちも刀やなぎなたで戦った。

NHKの2013年の大河ドラマ『八重の桜』で話題になった新島八重(=綾瀬はるか主演)は、婦女隊に入らず、男装してスペンサー銃を所持して、男たちとともに戦ったことで知られている。

このドラマで、会津藩主の松平容保役は、綾野剛が務めた。もう10年前のドラマである。

白虎隊も、果敢に新政府軍と戦ったが、当初から戦力差は歴然としていた。彼らは、残り20人になったとき、飯盛山の中腹から燃え盛る城下町を見て、もはやこれまでと自決した。

新政府軍はさらに北上し、仙台城に迫ってきた。

旧幕府軍には、昨日の記事でも触れたが、土方歳三がまだ生き残っていた。それに加えて、榎本武揚(えのもと・たけあき)が江戸から艦船で仙台に移動していた。

榎本武揚は、東京生まれであり、幕府の海軍の副総裁を務めていた。当然、勝海舟との関わりも深かったが、勝海舟がこれ以上の戦争を望まない立場だったのとは正反対で、徹底抗戦を説いた。

だが、慶喜も勝海舟も首を縦に振らないので、自ら最期まで新政府軍と戦う覚悟を決めたのである。

榎本武揚が仙台に寄港して10日後、仙台藩が新政府軍に降伏してしまった。慌てた彼は、翻意するように説得しようとしたが、時すでに遅しであり、仙台藩からの支援物資を船に乗せて、海路で函館入りをしたのである。このときが、1868年の10月であった。

ここから、最終的に戊辰戦争が終わるまで7ヶ月も時間がかかった。

榎本武揚は、北海道に上陸すると、そこにいた新政府軍を撃破し、五稜郭を占領した。また、当時は、北海道は蝦夷地と呼ばれており、開拓もほとんどされておらず、未開の地だった。

蝦夷地の開拓が本格的に始まったのは、戊辰戦争終了後、1870年代に入ってからである。

だからこそ、新政府軍を函館で倒した榎本は、蝦夷地平定を自ら宣言し、初代総裁に名乗り出たのである。

そこへ、1850年代以降、開国圧力をかけていたイギリスとフランスが、自国艦隊を率いて様子を見に来た。

思い出してほしいが、函館の港は、1854年に日米和親条約で、静岡県の下田港とともに、真っ先に開港している。

そこへ、旧幕府軍が上陸してきたとなると、列強諸国が関心を持つのは当然である。

榎本武揚は、英仏を味方につけて、最後の悪あがきをしようとした。

もちろん、英仏公使が榎本の味方につくわけがなく、榎本の情報は外国公使から新政府軍に伝えられていた。

新政府軍は態勢を立て直し、じりじりと本土から追い詰めていったのである。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?