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重度、シスコン

今日で四日目となったが、今日も今日とて無職だ。
この四日間働かなければと思いつつも職探しをした時間は一秒もない。
こんなにも己が無職であることを忘れるな、恥じろと律したところですぐに働く気は微塵もないのだ。

二日目にも言ったが、シェアハウスする物件、大まかな場所が決まらない限り職探しをしようにもできない。という言い訳に加え、六月半ばに沖縄に出張する姉と初沖縄旅行をしたいというのもある。

話は変わるが私は姉が大好きだ。私と違って優秀なところも含めて。
姉は就活に成功し、入社一年目にして大手企業で人事を担当している。
学生時代も中三、高三と大事な時期は学級委員長をしていたし、常に上位カーストにいて学生時代は恋人が途絶えることはなかった。
しかもただの陽キャではなく、いわゆるオタクといわれる文化にも詳しかったので、相手に合わせた話題で盛り上がれる姉は本当にみんなに好かれていたと思う。
大学でもそれは変わらず、サークルの幹部を任されていた。
姉の自慢話のようになってしまったが、私はそんな姉をとても誇りに思っているし、大好きなのだ。

しかし、昔は今とは逆で姉が私にぞっこんだった。
姉はもともと本が好きな大人しい子で、その頃はまだ縦に成長する前ということもあってかややぽっちゃりしていた。
逆にその頃の私は小さく太りづらい体質だったために華奢で二歳差とは思えない体格差だったこともあり、あの頃の月菜は凄く可愛かった、とのちに姉は語っている。
そう、お察しのとおり、私は華奢ではなくなってしまった。早く痩せねば。まったく、自分一体いつまで雌豚なのだ。

姉は成長するにつれて身長が伸び、すらっとしたモデル体型。一方の私は整列の際は常に前方、一度も先頭になることはなかったものの2、3番目のどちらかだった。
そして実は体格だけではない。顔も姉と私で成長するにつれて明確な違いが出た。
姉は身長が伸びるとともに、顔だちもすらっと整っていくという最高なイレギュラーを果たし、私は成長につれ完璧だったはずの顔だちが崩れていく典型的な例となった。
なんとも悲しい成長の差である。

だが、年齢を重ねるにつれ可愛げがなくなってきた私に昔ほどの愛情を注がなくなる姉の心理は分かるが、私はなぜ姉にこんなにも執着するようになってしまったのか。
実はその答えはすでに出ている。過去になぜ自分はこんなにもシスコンなのだと考えた時、ふと思い出した出来事があった。

まだ姉が幼稚園児の頃、父方の実家に家族で帰省した時のこと。一軒家のその家は、古いながらにとても立派でいくつもの部屋がふすまで仕切られている。かつては遊ぶのに適しており大好きだったその構造も、今では憎い。
ふすまの先に姉がいるとも知らず、祖母は母に言ったのだ。

姉ちゃんよりも月菜ちゃんのほうが可愛いわね、明るくてはきはきしているし。

祖母にとっては何気ない一言だったかもしれない。しかしまだまだ他人に精神的に傷つけられなれていない年齢の時、しかも身内から傷つけられたのだ。
義母ということもあり愛想笑いしかできない母にも相当なショックを受けたことだろう。
そんなことがあったとも知らない私は呑気に祖母に甘えていたはずである。
そんな私を、一体姉はそのときどんな心境で見ていたのか。
このことを知ったのは十年近く経ってから、私が小学生高学年の頃。母と姉がこんなこともあったと話しているのを偶然聞いてしまってからだ。

その後、祖母は私にとって姉を傷つけたおぞましい存在、姉はその時悲しい思いをしたにも拘らず変わらず私に優しく接してくれた尊く守るべき存在、と極端ではあるが思ってしまった。
父方の実家は農業をしており、よく野菜やお米を送ってくれていた。そのたびにおかしやお小遣いを同梱してくれていたため、お礼の電話をするというのが昔からの流れだった。が、その話を聞いてからというもの、数年の間は電話越しに聞こえるように変わりたくない、いやだと言い続けた。
姉を傷つけた奴なぞ傷ついても自業自得、クソくらえとさえ思っていた。

それからさらに十年近く経った今、私も大人になったこともあり私だけで祖父母の実家に遊びに行ったりもするようになった。
完璧に許したわけではないが、私が嫌いと連呼し続けたことと、成長するにつれて姉の眠っていた魅力がどんどん開花したことにより、私より姉のほうが好きそうな態度をとっていることが私を満足させている。
ただ、幼く純粋な姉を傷つけたことを、姉本人が許しても、忘れたとしても私は絶対に忘れない。昔の人であれば口は禍の元、ということわざぐらいは叩き込まれておけよ。

だがそんな祖母にも一つだけ感謝していることがある。
それは、いつどこで誰が聞いているかわからないから、誰かが傷つきそうと少しでも思えることは絶対に口外するな、ということである。
それを着実に守って生きてきた私は、決して人に悪口や愚痴をこぼさない天使としてたくさんの人に好かれてきた。

そのおかげでたくさんの人間から信頼を得ることができた。面白がって話を言いふらさない人だと、大して仲良くない知り合いにも相談されるようになった。
実際に私は相談されても言いふらすことなどなく、気づけば私の親友は月菜ちゃんと言ってくれる友人がたくさんできた。
とても有難く素敵なことである。
だから、生い先が短くなければ、その最低な発言を忘れていなければ、私と祖母以外の関係性がぎくしゃくしなければ、伝えたいことがある。

たとえ反面教師としてだったとしても孫の人格形成に携われてよかったね、おばあちゃん!大好きだよ。


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