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孤独になりきってわかった、調和した共存

ちょうど3年前
半年を越える休職から復帰しました
会社の駐車場に着いて建屋に向かうのも
ソワソワしながら歩いていた。
昼休みもそっとしておいてほしくて
一人で孤独に食べていた。

なぜか職場の人たちは
一見無関心なようにも見えて、実は
そっとしておいてくれたのかもしれない

ぼくは毎日毎日、自分が
できることにひたすら集中した。
不安を打ち消しながら。。

数か月は簡単な提案書1枚書くのさえ
締切りを意識すると
ドキドキしてしまったが
・・・・・
自分の土台を信じられるようになり
・・・・・
いつしか大勢の前で、自分の企画、
そして取り組んだ結果を発表したり
・・・・・
しかし2年くらい大きな反応はなく
わずかに響いても、空を切る感覚
・・・・・
そして3年経った。

いつの間にか、
昼休みにはランニングの話で
押しかけてくる人が現れたり、
仕事であちこちから
こんなことやってくれないか
と相談が来るようになった。
この4月は、まさかの異動になったが
ますますぼくの力を発揮できるように
配置転換してくれた、とのこと。

ずっと孤独になりきっていたことで
周りから束縛されることなく
周りに依存することもなく
そんな自立した状態でも
調和して共存できる
ということがわかった。

たまたま、運に恵まれ、人に恵まれ
ぼくは仕事が好転してきている。
しかし、どうにも結果が出ない人もいて
自分も、いつどうなるかわからない。
世の中全体で、うまく回ってほしい。
調和した共存があればできるはず。

孤独かどうかは、人間関係の表向きの形
それはどちらでもよくて
大事なのは、人間関係の実質的な中味
周りから束縛されない、周りに依存しない
そんな自立した状態での共感共鳴
「調和した共存」があるかどうか

とにかく、世の中が調和していく
そんなサイクルを究めていきたい。

そして、つなげていきたい...

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