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じわじわが

自分を無理して変える必要は無いの考えになっていた
いつからか知らないが自然とそうなっていた
世の中にいるだけでそうなると思った
世の中は、以前を忘れるぐらい
変わり続けている
もの凄く急に変わる物もあれば
ゆっくりとじわじわと変わっている物もある
毎日毎日同じ物を見て
変わって無いように思えても
じわじわと変わっていたから気がつかなかった
もしかすると、このじわじわが
かなりの策で、たまにある急に変わる物が
微妙な位置で入る事で
じわじわの部分を更に忘れさせて
人は変えられて行くような気がしてきた
身近な所に、会えば愚痴を言う人がいる
その愚痴は正論にも聞こえるが
正論すぎるようにも聞こえる
その愚痴を言う人をピーコと呼びだした人がいる
いきなりピーコというワードが出た時は
ピンと来ないで
誰の事ですかと聞き直して
次にピーコをというワードが出た時は
少し時間がかかったが自力でピンと来た
もう次からはピーコというワードへの
反応が良くなれるように思えた
愚痴を言う人はピーコという存在に
じわじわとされていくのが見えてきた
もしかすると
このピーコと名付けた人は
自分の事も別の名で呼んでいる気がしてきた
その呼び名を知りたいが
自分では聞けないワードなんだろうなと思った
ピーコと言うワードで
愚痴を言う人と認識されるまで
どのくらいかかるのか分からないが
このピーコのワードを作った人以外からは
まだピーコとは聞いた事が無い
広まるにはまだまだな気がする
次にピーコというワードを作った理由は何だろうか
何だか悪口のように聞こえるワードに思える
この愚痴を言う人は、
人から避けられている感はある
自分も愚痴に体が耐えられない時は
近寄らないが
自分で愚痴を言わないで
愚痴を代弁演説してもらいたい時に会いに行く
この代弁演説は切れが悪いのが特徴で
ある程度すると、こちらから
切りどころを作らないといけない
そこが、じわじわと体が疲れて来るが
それを乗り越えて閉めに向かった時に
すっきりするサウナみたいな感じだ
この後は一人でゆっくりと
冷たいブラックコーヒーで気分を整える

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