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連続テレビ小説「スカーレット」終了に際して。戸田恵梨香の更なる可能性を見た。

2019年度後期の朝ドラ「スカーレット」が本日、無事終了した。ここ数年、BK制作の朝ドラは、AK制作のそれに比べ、完成度が高いと私は思う。ただ、ただの女性の一代史的な内容でなく、現代への提言を忘れていない感じがそう見えるのかもしれない。

かまどの炎から始まったドラマは、その炎を再度見せて終了した。特にドラマチックな演出もせずに、元夫婦であった二人(戸田恵梨香と松下洸平)がそれぞれに旅立ち、そして主人公は、新しい作品を生み出そうと終わる。

この最終回、最初に、息子(伊藤健太郎)との熱い時を見せて、綺麗に3年後に飛ぶ。こういう省略を、何もためらわずにやり続けた脚本であった。そして、それがすごく心地よかった。ラスト1話は、明らかに半年間が終わってからのエピローグ的な1話であった。

そう、昨日の回の方が、明らかに最終回ぽかった。信楽で開かれた「みんなの陶芸展」に、懐かしい面々を呼び、ジョージ富士川の登場で、芸術の素晴らしさを見せる。そして、親しい人たちとの琵琶湖旅行。記念写真を撮って、そこでエンディングでも誰も文句は言わない展開であった。

でも、そうしなかったのは、このドラマで書きたかったのは、やはり、それほど派手さはないが、地に足をつけて歩き続ける、主人公、喜美子の歩き方を視聴者に考えて欲しかったからだろう。ものつくりに恋し、同じ考えの人と結婚して、芸術のために離婚し、子供がまたその関係を修復させ、違う良い関係になるという、今までの朝ドラでは、題材として難しかったと思えるものを、ちゃんと描くことをしたかったのだと、私は思った。それは、誰もが持つ人生の起伏を乗り越える強さみたいなもの。

水橋文美江さんは「夏子の酒」の時から、私は安心して見ていられる脚本家の一人である。初の朝ドラ脚本は大変だったと思いますが、私は完成度は高かったと思っている。

この脚本、後から考えると起承転結は結構はっきりしている。「起」は信楽にやってきて、大阪で修行し、信楽で結婚するまで。「承」は陶芸家としての覚悟が離婚しても、穴窯でまだ見ぬ自分自身の作品を作れるようになるまで。「転」は息子を一人で育て、元旦那との関係が修復されるまで。「結」は息子の病気を共に生きることで、自分の人生を省みながらも、未来を見つめるまで。

特に、この作品、「承」のところで、自分の作品ができた瞬間に、時空を数年飛ばしてしまう。多分、一度ものつくりがうまくいったからと言っても、その後も多くの苦労があるはずなのだ。だが、そこを飛ばすということは、水橋脚本はあまり、ものづくりの本質には興味なかったのだろう。もちろん、そこに至る過程の思いは視聴者には濃く感じたが…。あくまでも、主眼は喜美子という人の生き方、考え方にあるのである。

その、主眼になる喜美子を演じた、戸田恵梨香は、この半年で、一皮剥けたと言っていいだろう。15歳のセーラー服姿には、少し無理はあったが、見事にそこから50歳くらいまでを演じきった。特に、最後の方の、完全な地味なおばちゃんの喜美子の演技は、戸田恵梨香の真骨頂を見た感じがした。今後、役の幅も広がっていくと思うし、この半年の経験は彼女にとって役者に再度興味を持ったような感じではなかったのか?

この朝ドラという世界は、元々新人女優の登竜門的な役割があった。だが、最近では、オーディションをやらずにそこそこ経験のある若手女優を使うことが増えてきている。戸田恵梨香は現在31歳。そろそろ、中堅女優と呼ばれる位置でこの大役は、すごいチャレンジでもあったと思う。経験値を考えれば失敗はできないし、新しい何かを掴まなくてはいけないというチャレンジ精神も多く感じていただろう。結果は、それが良い方向に出たと私は思う。

ちょうど、世界的な外乱でエンターテインメントの市場が未確定な今後であるが、彼女の今回の経験は、必ずやかまどの炎のように緋色に輝くことと思う次第である。

朝ドラに関して、あまり興味もない人も多いのは知っている。しかし、日本の映像コンテンツの中で、半年間にわたる毎日の連続コンテンツは、確実に俳優の修行の場であることは事実である。それを通ってきた女優たちは、やはりそれなりの大きさを見せてくる。そういうコンテンツは素晴らしいものだと私は思っている。

スタッフ、キャストのみなさまお疲れ様でした。来週から、百合子役の福田麻由子さんの笑顔に会えないのは、ちょっと寂しいです。


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