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「舟を編む 〜私、辞書つくります〜(第2話)」"恋愛"という言葉が変化したというか、"恋愛"の認識が変化した?

二話目は、まずは他社の中型辞書の改版が発売され、それを全て読んで、自社の辞書、および、改版前の辞書との違いを明確にする作業を行うというところから…。その前に国語辞典の、大型、中型、小型の説明も。つまり、ここで作られる「大渡海」という辞書は、「広辞苑」並ぶ中型辞書だということ。

しかし、当たり前だが、辞書の編集というのは、辞書を読み、考え、そして言葉で言葉を書くことなわけだ。そんな、ある意味単純な作業がその時代の日本人がどんな言葉でどんなことを表現していたのかを明確にする。そして、それが記録としても残されると考えれば、このドラマで辞書を使ってみようと思う人も多いだろう。でも、そんな地味な話を小説にした三浦しおんさんもすごいのだが、それをドラマにするというか、映像で見せていくのはなかなか難しいですよね。それが見事にできていることがこのドラマの見どころ。

そして、主役を池田エライザにしたところが、すごく興味ぶかい。今回は「恋愛」という言葉の話の中で、彼女の中の恋愛観があり、「恋愛」を「異性とか男女間」のものとして説明する辞書の語釈は違うのでは?という疑問からドラマは動く。確かにLGBTが毎日のように話題になるような時代には、そういう辞書の語釈が、そういうマイノリティーの人の心を責めるようではいけないのではないだろうか?という疑問が起こるのは自然なことだ。そして、池田が今まで担当していた「ファッション雑誌」は、書くことで半年先の流行を作ることがあるが、辞書もそういうスタンスがあってもいいのでは?という意見が出る。

それに対し、学者の柴田恭兵は、辞書は今の言葉を説明するもので、流行を作るものではないという。そして、新しい言葉の認識に関しては、何年かその言葉が使われ続けるかどうか観察してから、日本人の生活に馴染んだところで初めて、載せるかどうかの議論をするというスタンスを明確に池田に説明する。

しかし、毎回、柴田恭兵と岩松了を囲んで言葉の話をするシークエンスは、セミドキュメントっぽくてとても興味深い。このシーンに持っていくために、池田の失恋話が入っているわけで、そのあたりのシナリオの構成もなかなかですな。

そして、今回は辞書の紙の話も出てくる。紙の担当の矢本悠馬と池田の共演というのも新鮮だった。そして、軽くて薄いが、裏表透けて見えてはいけないとか、ぬめり感が必要とか、紙の品質というものにこだわる話は面白かったです。

で、オチとして、池田が彼女なりの「恋愛」の語釈を作り、それを柴田に理解させ、ここからその言葉を見守る役にさせられるというのは、一つのモヤモヤが解消された感がありスッキリしましたが、そのアシストをした前田旺志郎がLGBTのひとりだったとは、ドラマ的に新しい風を入れてますね。

そして、ドラマをなかなか濃厚にしているのは、主任の馬締役の野田洋次郎。朴訥ながら、新しい話に敏感な真摯な空気感をうまく醸し出している。彼がいることで、池田の芝居も生きている感じがするのだ。最後に、彼の家に下宿することになる池田。彼の妻役の美村里江も出てきて、「大渡海」の編集、面白くなってきました。


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