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「舟を編む 〜私、辞書つくります〜(第3話)」辞書は物事を知る入り口であり、生きるとは変わることだとは、腑に落ちる言葉

私のような、どちらかといえば知識欲の強いものにとっては、このドラマは大変面白い。そして、ドラマオタク的には、ここでの池田エライザの演技がとても興味深い。今までは、もう一つ特筆するような役に恵まれなかったような気もする。個人的には、「名建築で休日を」の素に近いように、何かを学ぶ感じの演技が印象に残っているが、考えれば、それに近いということなのだろう。そう、こういう知的な役が似合う人なのだ。それもあって、野田洋次郎が「あなたは辞書作りに向いてると思います」というところもあるのだろう。そして、こういうファッション雑誌編集に似合ってる感じの人が、辞書作りにのめり込むという役の中で彼女の無国籍性みたいなものがうまく馴染んでいるとも言える。NHK的にはこのキャスティング、なかなかナイスだと思います。

そして、今回は、彼女の引越しから始まる。野田と池田と美村里江の共同生活というのも、なかなか面白そうではある。そして、その3人暮らしの話から、夏目漱石の「こころ」の話が出てくるとはね。このドラマの中での話を聞いて、私も、もう一度読んで見たくなった。それとは関係なく、各々が各々の世界に入ってしまうことがあり、その国に行っている間は邪魔しないという美村の話は面白かったし、そういう夫婦関係ならうまくいきそうだという気もする。そして、後から本物も出てくる便箋15枚のラブレターは、それを受け取る方がその波動にズキュンされれば、それはアリだろうと思ったw 

ここに出てくる野田演じる馬締さんは、ある意味、とても変わった人ではあるが、その割には人のことを気遣っている。つまり、日本語の一言一句を気に留めるということは、人に気を留めることでもあるということもわかってくる。しかし、毎回見るたびに、辞書というものを引いてみようと思わせるドラマであることが、このドラマ自体のパワーであるというところがとても良い。

そして、今回は編集部の人たちが、みな用があって、ここでは一番新人の池田一人が編集部に取り残されるという事態が起きる。こういう設定作ってドラマ作るの好きです。そして、前日に、長すぎるから辞書の執筆要領に則して語釈を直して、執筆者に送り直したものに、クレームが入る。その言葉は「水木しげる」。

個人名は、その方が亡くなったと同時に辞書に入れる対象となるという。それは、生きてる間はその人の肩書きや職業や考え方も変わるからだと説明されると、池田は「生きるって変わること?」と呟く。その通りだ。私たちは生きている限り変化の中にいるのだ。そう思ったら、やはり今日を楽しむことが人生だとも思えてくる。そんなことも教えてくれるこのドラマ、なかなか奥が深い。

そして、一人、その執筆をした大学教授の勝村政信のところに向かう池田。そして、彼の水木愛に満ちたその長い語釈を使わないなら、全ての執筆項目を取り下げるなどと言い出される。こういうことはよくあることなのだろうが、ここで、辞書とは何かという話にはならない。辞書と百科事典は違うわけだというのが、今回の話の肝だ。

で、池田が帰ると、関西にいる野田からは電話がかかってくるだけ。それも、公衆電話から。そう、彼は、このドラマの冒頭から、スマホで写真を撮るシーンが何度となく出てきてるのだが、そのスマホが電話としては機能していないということがここで開示される。これ、ドラマの中で使える案件ですね。まさか、カメラとしてのみスマホを使ってる人がいるなど、誰も考えないものね。確かに中古で只当然のスマホをカメラとして購入する人はいないでもないということでしょうね。

で、池田の周辺は何も変わらないと思ってたところにやってくるのが向井理。野田がもう一人の編集部員という、元ここにいた今は営業部にいる男である。彼に事情を話すと、一緒にリベンジに行こうという。そして、彼は営業マンらしく、相手の心を掴むために嘘をつきながらも、辞書というものの意味について語る。どういう人が辞書で水木しげるという言葉を引くかという話だ。多分、その名前を初めて聞いた人がほとんどだろう。そして、引いた時に「ゲゲゲの鬼太郎」という表記があれば、そうなのか!とつながる。それが、水木しげるを知る入り口になるという話だ。それができれば、興味を持った人は、次々に資料やネットなので彼のことを調べ出すはずだ。そう、それが人間の本能であり、学習能力なわけだ。だから、辞書には入り口が存在することが必要だと。長年、水木しげるに希望をもらっていた勝村は、それになんとか納得してくれる。確かに辞書とはそういうものだと思った。

で、ここで何故「水木しげる」という語釈がここに取り上げられたかといえば多分、向井理が水木しげるを演じたことがあるからだろう。「水木しげる」の語釈の脚本があったから、彼を配役したという考え方もあるが、多分、前者であると思う。単純にNHK的なCMである。だいたい、その前に、固有名詞の話のきっかけは「やなせたかし」の作詞した「手のひらを太陽に」の一節であり、来年の今頃は、その「やなせたかし」の話がやはり朝ドラとして始まるわけだ。最近のNHKは平気でこういうことをやる。それはいかがなものか?とは思うが、日本全体がそういう社会なのだから仕方ないのかな・・。

そして、いろんな経験をする中で、池田が辞書の紙の担当になるというラスト。矢本悠馬と良き関係になりそうだが、なかなか他では組めないカップルというかコンビである。ここの話も面白くなりそう・・。

このドラマ、私を辞書の国に連れて行ってくれる1時間だ。それは、とても楽しく奥が深い国であることも素晴らしいことだと思ったりするここまでの展開だ。


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