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「舟を編む 〜私、辞書つくります〜(第6話)」紙の辞書が存在する意味と、そういう形が必要だと思う人間的な感性

今回から次回に向けて、出版界が絶対に通らねばいけないデジタル化という話が語られる。特になんでもネットで検索してしまうようなご時世に辞書は必要か?という話は、今も、これからも何度も語られる話なのだと思う。

確かに、ネットでもここでいう中型辞書は引けるような仕組みにはなっている。しかし、多くの人はネットに書かれた、あまり練り込んでいないで、校閲もされず、半分嘘も書いてあるような記事で、検索事項を分かった気になってることがほとんどだろう。そう考えると、言葉がまともに未来に継承するような時代ではないとも言える。そして、インターネットで検索をできない高齢者も、若年者に「検索しといて」みたいな一言で振ることが多く、検索自体の危うさも考えず、かといって今更辞書の小さい文字は読めないみたいなことをいう。確かに、テレビが作った「日本人総白痴化」は2024年の現在、確実に感性しようとしていることがわかる。

その前に元読モの池田エライザの辞書引き講座での一枚の写真がSNSでバズってしまうということがあり、辞書編集には特に問題になることではないが、騒がしくさせてしまった池田は落ち込む。だが、この話がここで語られるのは、やはりネットで騒がれないものは皆の興味の外になって亡くなっていくみたいなことなのだろう。そう、ネットの意見は傲慢で、他者を思うような語り場ではないことは、もはや多くの人がわかっているが、中身のないことを話したくなる現代人という、本当に処理に困ってしまう事項は辞書を編集する人とは真逆の環境にあり、一緒に語ることも難しいと思ったりもする・・・。

そんな民衆の流れが出版を大きく変えてることは確かで、SNSのインフルエンサーの本が売れていることも知っている。そう、出版もネット発のコンテンツになりつつあり、紙にしなくてもいいという極論も多く出ているところだと思う。だから、死神と呼ばれる新社長の堤真一が辞書はデジタルでいいのでは?と提案するのは当たり前と言ってもいい。

特に、小型辞書は学習に使われるし、傍に置いておくことができるが、それでも、出版部数は減っているという。確かに、少子化に加え、中高生もデジタル辞書で済ませてる人も多いのかもしれない。だが、考えてみれば、学校の図書館、公共の図書館に中型辞書を置いていないような図書館はないだろう。図書館が言語で書かれた本を集めておくところなら、辞書はそこで使われる言葉の中心になる出版物だ。そう考えれば紙の辞書は絶対に必要だと私は思う。

だからこそ、それを編集する意味はあるし、ドラマ内で岩松了が言うように、辞書とは、その時代にどう言う言葉をどう言う用法で使っていたかの基準だ。それは本として残しておく必要がある。だから、デジタルで簡単に改版できるとか、語釈の書き換えがすぐにできるという考え方は、この時代の基準というものがなくなるということなのだ。この辺り多くの人はどう思うのだろうか?そして、デジタルデータが完全に消えない保証は未だない。

まあ、現代の日本人の何割の人が辞書というものを大切に思っているか知らないが、言葉を軽く扱うと、世の中が軽くなることは確かで、インターネット中心に回る社会の中で、ここは大きな問題ではある。

だから、今回、紙の本を「付録」にする的な考えはもってのほかで、「特典」とする話も、もう一つ説得力がない。出版という業態がそれを必要だと明確に伝えるのはどうしたらいいのか?そして、どうしたら皆が辞書を引くという行為に対し能動的に考えるようになるのか?次回の話はとても楽しみである。


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