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「君が心をくれたから(第7話)」触覚が亡くなると杖が必要な理由がよくわからない。

今更ですが、変な話だし、ファンタジーにしてもこの展開についていけてる人は、かなりのお花畑の心の持ち主だと思うのだよね。本当に下手なストーリーが邪魔なくらいに永野芽郁は美しいのに、その美しさが無駄に使われている感じしかない。

とはいえ、山田裕貴の家で永野芽郁が歓迎会を開いてもらったシーンは良かった。でも、永野には味覚がないのですよね。そして、今回は触覚もなくなった。触覚が全てなくなるなど基本的にはあり得ないでしょう。あえていうなら、幽霊になるとそんな感じかな。「婚活1000本ノック」で幽霊が微妙に浮いているという話があったが、それならわかりやすいのだが、ここでは、地に足はついてるわけで、足があるのに、そして動くのに触覚がないから杖をつくという発想はどこから出たのだ?脚本家の想像力が本当にわからない。そして、触覚が失くなっても永野は笑顔が作れるのだよ。もうこの時点で彼女は天使みたいなものなのか?

そして、そんな中、山田裕貴に斎藤工と松本若菜から、本当のことが伝えられる。この事実に耐えられる山田もどうなのかと思う。そう、彼が自ら死を選んでも永野の五感は戻ってはこない。そういう場面に遭遇したら、あなたはどうするの?ということを考えさせられるのなら、ドラマにシンクロできるのだが、そんなことあるはずないのでシンクロできない。

そして、斎藤工の貧乏神にしか見えないルックスが怖すぎるのだが、いつもながらに、刹那い旋律が流れる中で、よくわからないままに1時間が過ぎていくイメージフィルムである。というか、これで感動したとか、悲しかったとかという反応を期待しているならそれはそれで怖い。ドラマのプロがそう思うなら、それは本当に怖い。

ずーっと昨年から月9ドラマをディスってきたが、ここまでドラマにもなっていないものを見せられるとなかなか感想も書きにくいというところである。山田のたわいない愛と永野のひたむきな心に感情移入せよというなら、それは変な新興宗教である。ある意味、日本のキリスト教の聖地でそんなドラマを作ってるのではない!という言葉しか出てこない。

で、次に失くなるのは視力。そして、失くなるのは花火大会の日。山田裕貴よ永野に最後の花火を見させてやれるのか?というか、こんな話の中で山田が色覚障害があるというのも無駄なストーリーである。奇跡の花火が打ち上がることもあまり想定できないのはきついところだ。

そう、私たちはラストに何を期待しながら、この後の3回か4回を見ればいいのか、全く見えてこないのだが、・・。しかし、よくこの脚本で、永野芽郁、綺麗なままで演じ続けられるよね。ある意味、拍手ではある!

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