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「95(第2話)」あの頃の高校生が、最後のこんな感じなのですかね?

確かに「チーマー」と言う言葉があったのは覚えている。調べると、それは80年代の渋カジ族由来と書いてあったりする。私は70年代の高校生で、その頃はタバコ吸って酒飲むことが、今のように強制的に禁止になってはおらず、そういう大人の真似をすることで社会がわかってる的な感じもあった。そして、そんな都内の高校生の気質みたいなものは80年代までは続いていた気はするが、このドラマの舞台の95年には、かなり今の世の中に近づいていた様に思うから、ここで、半グレではなく、目標が見えぬままに自分たちの力で何かやろう的な輩はそれなりにいたのだろう。この辺は、その時代にその年齢でいない限りわからない世界だ。でも、高校生というのは、そういう時代感覚がシンクロしてくるからこそ面白いのだ。そう、青春とは無謀であり、わがままで、まやかしみたいなものだ。そういう点では、最近の高校生たちの気持ちなど、わかるはずもなく、勝手にしろというのがジジイの言い草ではあり・・。

2回目は、主人公の高橋海人が、中川大志と共に鬼ごっこを始めるところから。そう、走る=青春であり、こういうシーンが最近のドラマには少なくなった。刑事ドラマでも、走ることはあまりない。だからこそ、青春の余ったエネルギーを画にするには、こういうのが一番ではある。今回の城定秀夫の演出は、なかなか動きがあっていい。そして、彼の映像本来のエグ味がしっかり出てるところも好感が持てる。

で、高橋は、一緒に走って楽しかったにも関わらず、チームには入らずにカラオケボックスのバイトを始める。そう、95年にはもう通信カラオケがあったし、そこで小室哲哉の音楽が歌われることがステイタスにはなっていた。だから、ここに出てくる女子高生みたいな輩が出来上がったということだろう。ミニスカ、ショートパンツで髙橋を責めるようなシーンがあったが、こういうことはあっただろうし、そこに興奮したバイトもいただろう。

そんな髙橋に参考書だと細田佳央太が持ってくるのは少女マンガ。そう、この辺りの読者がボーダーレスになっていくのもこの頃か?ジェンダーの区別が社会的にボーダーレスになっていくことで、社会が変化していったのだ。その起点をこの年にとっても、それは論ずることができるような気はする。

そして最後に高橋はスカウトされる。彼がスカウトされたことで、前回から出てくる雑誌に中川たちも載ることになったというまでが今回。つまり、髙橋がここでは仮入部な訳だが、時代の中にチームとして放り込まれるというところまで。そこから先、この時代に何があるのだ?と思うところは多いが、自分的にも時代を振り返る意味では興味深い流れにはなってきたみたいな気がする。

まあ、青春で考える革命的なことのきっかけは単純だ・・。

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