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「消せない「私」~復讐の連鎖~(第13話)」21世紀はデジタルタトゥーを入れたら消せない時代ということなのか?

現代の復讐劇は配信を使えば、簡単にエンタメになり、そして、どんな凄惨なシーンが提供されようと、それは傍観者たちに消費されるだけだ。そして、死に至らないまでも、そんな事象の連続が今日もどこかで繰り返されてるのでは?と思わせる最終回ではあった。

とはいえ、後味がいいドラマではなかったですよね。そして、主人公、志田彩良は生き残る。彼女自身は死ぬ気でいたのに、本多奏多がそう仕向けたというところ。それは、彼が吉本実優を殺したというところにあったと考えるべきだが、この殺人を行なったことで志田と同じ位置になった感じなのか?この辺りはわかりにくい。

そして、そんなことがわかり、最後の復讐である柄本時生に対しては自ら焼き殺すという最も凄惨な復讐をするという結末。ここで、焼き殺す前に、かなり意味ありげな問答をする柄本と志田。

このネット社会は、大きく2極に人を分断するようなことが当たり前に起きている。そして、そういう感覚はこれからも強くなっていくだろう。そう、ネットで勝手に勝ち負けを決めるような状況の中で、心がそれをそういうものだと受け取るのだ。だから、中庸などという考え方やアイデアはあまり起きてこない。そして、人生が破壊され、「やられたらやり返せ」みたいな単純な結果に人は導き誘われる。

このドラマは、そういう話だ。だから、ここでの柄本が語る理屈みたいなものには何も意味を持たず、彼のような人の不幸を暴露して喜ぶものは、焼き殺されても、その先に何も残さない。リアルな世界でのガーシーを見ても似たようなものだろう。つまり、ネット民としては、ホリエモンやひろゆきみたいに国の犬みたいに使われている前世代から、もはや、自虐的な崩壊を迎える世代に移り、それも終末を迎えてるということなのだろう。過去も現在もネットに振り回される輩はみんな金に塗れて、本当に面白い生き方ができていないと私は思うが・・・。

だが、そんなこと言ったって、我々は、人を脅かすネット情報と共に一緒に生きていかなければならない。そして、それを追っていくと、その世界の循環の中に自分も存在していることに気づいたりもする。刑事の片山友希が、自分の仕事をしないで、志田の感情の中に入っていってしまうのは、そんなことに思える。これを見ると、ネット犯罪を追う刑事さんはかなりの心労があり、そこに善悪の判断ができないような事象がいっぱい起こっているのではないかということも感じさせるが、実態はどうなの?

とにかく、昔なら単純な個人に向けた復讐劇が、今はもっと広い世界の復讐劇になってしまうような展開はありうるということを感じさせるだけで、興味深いドラマだった。

ただ、もう少し重厚にするために、柄本時生の日常の危うさと、志田の本当の母親の犯罪みたいなものを詳細に描いて、そこが最後にシンクロするようにさせたら、かなりの問題作になった感じがする。深夜ドラマとして、そういう重厚な世界などどうでもいい感じにしたのが、すごく勿体無い作品である。

前回も書いたが、志田と片山の演技はなかなか良かった。次の出演作が楽しみだ。この生き残った志田の新たな人生のドラマも見てみたいですよね・・。


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