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「厨房のありす(第4話)」諦めた人たちが行動するということ

門脇麦が永瀬廉に促されて、行動したことによって、隠れていた事実が浮かび上がってきた。しかし、国仲涼子、「光る君へ」では、1話目で殺され、今回は最初から亡くなってる役、そういう役にされるのは何故?あと、気になったのは、北大路欣也。大手メーカーの偉い人が言葉使い悪すぎて萎える。こんなトップがいる会社に描くことがまずいのではないかと思う。日本の大企業が皆劣化してるのはわかるが、ドラマの中ではちゃんとしていて欲しいものである。知らない人に対し「誰だこいつ」という言い草はないし、永瀬が渡した弁当を、つまり食べ物を邪険に扱うトップがいるような会社には将来性はないですよ。そして、北大路が門脇を「こんな役立たずが家の人間のはずがないだろう」というような差別発言していることも、描くだけで問題だと思う。役立たずは北大路の方である。

で、今回は先週、門脇が母親だと思っていた木村多江が訪ねてきたところから。それをみて、一気に怒り出す大森南朋。昔、何があったかは知らないが、こういう訳のわからぬ怒りも見ていて不愉快だ。脚本の表現の仕方が全体的に子供っぽいということだろう。

そんなことは関係なしに、永瀬は門脇がお母さんに会いたいと思い、行動を起こす。自分自身も、いろいろ諦めてる人間だから共感できるというところも今回で見えてきた。永瀬の父親が犯罪者で、彼もそれで疑われて警察に連れて行かれたことがある。それが、彼の暗さの原因だったようだ。だからこそ、マイノリティの門脇に共感できることがるという作りらしい。

最終的には、弁当屋として木村の会社に入り込み、なんとか面会できる。そこで、門脇の母が木村の妹である国仲涼子だということを知らされる。そして、帰ってから、大森南朋に、国仲が死んだ理由を聞くと、そこで幼い時の記憶が蘇るという流れ。ある意味、トラウマにならないで隠れたものを引き出された感じ。そして、その火事が事故ではなかったという話が最後に大森と萩原聖人の間でなされる。

ただの料理中心のハートフルな物語かと思ったら、ここでサスペンスに転換してきた。日本テレビ、「となりのナースエイド」もそうだが、ドラマのテイストをどうするか、はっきりしてない感じがダメですよね。こちらはオリジナルだから自由に作れるのだろうが、それでも、似たような変な作りになる。この辺のドラマ班の創造する能力のなさが「セクシー田中さん」問題を引き起こしたというのが本当のところじゃないかな。原作者が怒っても直さない的な部分も、「面倒臭い」からきている感じがする。その辺り、日本テレビの見解がちゃんと出てきていないのだが、自分たちでもわかってないのだろう。はっきり言って、ポンコツの一言。(日テレに対して、北大路欣也になった気分だが、そんなに私は口は悪くない)

まあ、このドラマは、門脇と永瀬の好演もあって、なんとか佇まいができているが、本当にもう少し、ドラマ全体の目指すところがわかりやすいように製作者は頭使って欲しいと思います。

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