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「厨房のありす(第10話)」ASDの娘がこの小難しい大人の嘘っぱちを理解できるという話でいいの?

北大路欣也が最後に門脇麦と永瀬廉に謝りはしたが、元はと言えば、CEOである彼が義理の息子にした萩原聖人の嘘というか企みに全く気づかなかったことが問題なのですよね。そういう意味では、この男はまだ反省していない感じに見える。その辺りは脚本がへたっぴーなのですよね。

つまり、この萩原聖人が横領して、それで業者に裏金を渡していて、愛する国仲涼子を殺してまで、それって本当にクズ男なわけで、それが見破れない北大路の目は本当に節穴だっていう話にならないのは変だということです。というか、萩原が横領していた犯人だったと聞いた時、私は麻雀で負けが混んだのだろうなと思ってしまいましたよw昔は、それなりにクールな青年役もやっていた萩原だが、昨今はこういう役が多いよね。まあ、なぜそうなったかはよくわからないが、自然にヒールに引き摺られていく役者さんっていますよね。

で、萩原はクズなのだが、大森南朋がこの真実をほぼわかっていながらなかなか言い出せなかったみたいなところももう一つわからないよね。あくまでも、門脇を守るためというところなのだろうが、彼の心の位置みたいなものをもう少し前からちゃんと描いていても良かったのでは?

それよりも、前回も書きましたが、この話にASDの門脇の存在は必要だったのでしょうか?サスペンスチックな話が解決して、まあ、その場で門脇が本当のお父さんより育ての親を選ぶという話はいい話なのでしょうが、DNAが半分同じの萩原もお父さんなわけで、そういうところをASDの人間でも特別に処理はしないという終わらせ方なのですが、ほんとうにそうなの?ASDの人の脳の中で親とはどういう存在かみたいなところが結果的はよくわかりませんでしたよね。

そう、このドラマ、もっと門脇の主観で描くともっと違う形のものにできたのではないだろうか?人に合わせて食事を考えるシーンも、門脇の心からそれが発信されるようなところを視聴者が体現できる形ならなお面白くなっただろうし、最後の事件を追い詰める時も、門脇が自分の心の中で葛藤しながらそれを認識していくみたいな方法なら、ASDの特性みたいなものも上手く描けた気がする。門脇の演技が最初に見た時に神がかり的だったので、まあ、最後の展開というか、定まった方に無理やりまとめる方法はつまらなかったですよね。

ということで、出てくる料理は美味しそうだったのは合格点。出てくる人も皆いい人そうだったのだが、門脇が怖がる前原瑞樹という存在が意味不明だった。意味不明のキャストが平然とレギュラー気取りで出ているのも日本テレビのドラマの特徴ですよね。本当に、どうにかしてほしい!

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