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運命に愛された女院【建春門院の話・4】

鎌倉時代初期に、元女房の健御前によって書かれた古典作品『たまきはる』より、高倉天皇の行幸(=外出)部分を漫画化しました。

*原作『たまきはる』(健御前 著/使用テキスト:岩波書店 刊 新日本古典文学大系 50『とはずがたり・たまきはる』 )
*同じ『たまきはる』から、鳥羽天皇皇女・八条院の登場部分を漫画化した記事はこちら↓

『たまきはる』建春門院篇、最初のお話はこちら↓

『たまきはる』には、天皇の行幸についての記事が何回か出てきます。
今回はそのうち、朝覲(ちょうきん)行幸と、方違え行幸について書かれた部分を漫画化しました。

まず朝覲行幸は、天皇がご自身の両親の住まいを訪れて拝礼する行事です。
このときは高倉天皇が、両親である後白河法皇と建春門院に拝礼するため、平安京郊外・洛東にあった法住寺殿(ほうじゅうじどの)に行幸しました。

朝覲行幸は基本的に毎年正月に行われますが、高倉天皇が即位した年(1168年)は、八月に行われています。
即位が四月だったため行幸の時期がずれたのでしょうが、真夏にフル装備の装束で、狭い部屋の中に押し込められた女房たちがどれほど息苦しく暑かったか…ちょっと想像できません。

高倉天皇が笛を好んだ話は有名です。
高倉天皇以前にも、紫式部の時代の一条天皇や、高倉天皇にとっては曽祖父に当たる堀河天皇など、笛を得意とした天皇は何人かいました。
これらの天皇の周囲には強烈な権力者がおり、日々苦労が絶えなかったようなので、笛はストレス解消の一助になっていたかもしれません(とはいえやはりストレスが大きかったのか、どの天皇も若くして崩御していますが…)。

後半取り上げた、方違え行幸での蔵人への心配りからは、高倉天皇の優しさや賢さが伝わってきますが、こういう繊細な方であれば、日々のストレスもいっそう大きかったことでしょう。

音楽という共通の特技をもつ小督との恋愛は、そんな高倉天皇の心の癒やしだったでしょうが、漫画内の解説にも書いたように自由恋愛が許される状況でもなく。
宮中に連れ戻された小督は、のちに天皇の姫宮を産みましたが、これが清盛の逆鱗に触れ、宮中から追放されてしまいました。
数年後には高倉天皇も亡くなり、以後、小督は山里で天皇の菩提を弔う日々を送ります。

健御前の弟である藤原定家の日記(「明月記」)に、病床に伏していた小督を訪ねたという記事が残っていますが、そのころ小督は40歳過ぎ。
それが小督についての最後の記録らしいので、定家が訪れてからあまり時を置かずして亡くなったのかもしれません。

『平家物語』巻六の「小督」には、小督と高倉天皇の馴れ初めから別れまでの物語が記されています。
書かれたことがすべてが事実かはさておき、天皇の使者が月に照らされる嵯峨野で小督を探し求める場面は、後に能の作品にもなったほど。
『平家物語』中でも白眉の物語のひとつです。

『たまきはる』とは異なり、現代語訳や解説書も豊富な作品ですので、ぜひ一度、実際に読んでみて下さい。

また、今回の漫画を描くにあたって、「3D京都」さま掲載の画像を参考にさせていただきました。
フルカラーの素晴らしい復元画像の数々をぜひご覧ください。

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