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蛇腹⑧



初めてスキーをした時、同行した上級者にゴンドラでいきなり頂上まで連れていかれた。四苦八苦しながら板を履くと「あっちに迂回コースがあるから」と進んだ先に見えたのは好天に映える雪山の連なりだ。

足元の地面が数10センチ先から直角と見まがう角度で唐突に下っている。その先の駱駝のコブが幾重にも重なるデコボコの崖みたいな斜面を颯爽と駆け下りる姿も見える。

雄大な景色と華麗なスキーヤーに感心したのも束の間、背中への衝撃と共に視界が後方へと鋭角かつ急激に流れ去る。

「何が起きたか理解できなかった」
こんなシーンでは常套句だが、どう考えても同行者に突き落とされる以外にこの状況は起こり得ない。

不安定極まりない板切れに載せられたまま勢いに任せて突き進むべきか、自ら転倒して進むべき方向を考え直すべきか?優柔不断な僕にしては迷う事なく前者を選択したのは未だに不思議だ。

迫り来る大小のコブを目の当たりにし、避けるか乗り越えるかを瞬時に判断しながら駆け下りるのは、まさに人生そのもの。

止まる術をそれ以外には知らず、とは言え意思に反し転倒した。どれだけの局面を切り抜けて来たかと振り返ってみたが、そこには小さな膨らみがふたつあるだけだった。距離にしてわずか10数メートル…

「…たったこれだけ?」

背中を押してもらった事で未知の境地に踏み出すことができたのは確かだった。だが、経過した時間の感覚と実態の間には大きな隔たりがあった。
眼下に延々と続く斜面を目の当たりにし、それでもここで引き返すという選択肢など当然なかった。

………

覚悟を決めた。

何がそうさせたのは定かではない。あのトラックの運転手の表情かもしれないし、初めてのスキーの記憶かもしれないが、そんなことはどうでもいい。

下半身に覆い被さっている女のカシミヤセーターの首元から左手を滑り込ませた。

そうだ。慌てて滑降する必要はないのだ。柔らかな起伏には初心者スキーヤーのようにゆっくりと優しくシュプールを描いてやればよいのだ。

だが、そこにはなにもなかった。例えるなら休耕田に拡がった雪原だ。起伏はなく、しかし耳たぶに近い手触りのものが左右対称に案山子のように起立している。

真冬の田園風景と女の裸体が交互に想像され、脳裏にちらつく。
左手を童謡に歌われた雪の日の犬みたいに駆けずり回す。時折、案山子にじゃれついてやると女は腰から下を器用に数回くねらせた。その軌跡をしばらく見ていると、限りのないことを示す記号を描いているように見えた。

愚息は絶頂を迎えたわけではないのに、その様子を目にした途端、リズムを刻んで砲撃を開始した。

ターンタターン、ターンタターン

軽快な音色ではないが、こんなリズムを5,6回繰り返しただろうか。
最後の1回は、固形物がひとつ放出されたような感覚を伴った。痛みはまるでない。

また、自動音声がアナウンスを始めた。

「このバスは、あかだま空港行きの直通バスです。途中…手コキなどで発射しちゃってもティッシュはありませんので、ごっ…ごっくんして下さい。」

発射後の局部のあの独特のくすぐったさも手伝い、自動音声が何を言ったかは聞き取れなかったが、女は口の中で転がすようにその味を味わうとアナウンスに従って一滴残らず飲み干した。

口内に異物を感じたのか、起き上がった女はスイカの種を飛ばす子どもみたいに吹き出すと、そいつはバスの車内を前方の床に弾み、いくつかの放物線を描いたのちにサイコロを落とされた茶碗が鳴らす

「チリン」

という音色だけ残して止まった。

空間移動してくれればいいのに

暖房と複数のカップルによる人いきれで淀んだ空気の車内で、僕は衣服も直さずにバスの天井にまで器用に貼り付けられたボタンの【とまります】の文字を何度も追い続けていた。


…つづく

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