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【西宮市長選挙2018】108票差!元民主衆議が逆転勝利!勝敗を分けたのは安倍総理?!【出口調査】

兵庫県の西宮市長選挙は4月8日告示、同15日投開票の日程で行われた。このレポートでは独自に行なった出口調査に基づき、今回の西宮市長選挙を大胆に考察する。

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鮮やかな逆転勝利だった。

大阪・梅田から約10分。甲子園球場の構える兵庫県西宮市で4月15日、前市長の辞職に伴う市長選挙が行われた。当選したのは元民主党衆議院議員の石井登志郎氏。自民・公明両党が推薦する前県議の吉岡政和氏との票差は108票。得票率にしてわずか0.08%差の超接戦を制した。さまざまな波乱を巻き起こしたこの選挙。石井氏勝利の裏に、どのような民意の動きがあったのだろうか。

「改革派」市長の当選と辞職

西宮を愛する人たちすべての勝利です。

2014年、舞台は西宮。自民・民主(当時)・公明3党による相乗りの現職を破り市政運営を託された若き「改革派」市長の姿があった。彼の名は今村岳司(当時41)。西宮市の市長としては戦後最年少であった。

京大法学部卒業後、大手企業リクルートに入社。就職面接で「いずれ政治家になるので時期が来たら辞める」と宣言したという今村氏は、1999年、リクルート退職とともに西宮市議会議員選挙に無所属で出馬。最年少の26歳でトップ当選を果たした。以後、4期連続で西宮市議に当選。うち3回はトップ当選だった。

市議になった当初は茶髪にヒゲ面という風貌で話題をさらった今村氏。しかし、活動や政策課題を事細かにびっしり書いたチラシを毎月20万戸に配布するなど、市民への訴えには抜かりなかった。変革マインドを地道に醸成し続けた今村氏に、無党派層を中心に支持が集まり、その結果が市長選で実を結んだ形だ。

「しがらみのなさ」から着実に市政改革を進めると思われた今村氏。しかし、当選直後からほころびが見え始める。

2015年、阪神・淡路大震災の被災者に対し市が提供した借り上げ復興住宅に関する在京テレビ局の報道をめぐり「偏向報道だ」と抗議。今後市が「偏向報道」だと判断した場合は「メディア名と抗議文を広報誌とホームページ上に掲載する。改善されない場合、今後その報道機関の取材には一切応じない」(後に発言を修正)と発表し波紋を呼んだ。

年を同じくして、市長選で唯一応援を受けていた議会における自身の出身会派「蒼士会」が「市長との信頼関係で疑義を持たざるを得ない問題が生じた」として解散。これにより市議会は事実上の「オール野党」となり、議会との攻防が激化。条例否決や今村氏に対する批判決議が連発される事態となった。

2016年には、中高生を対象とした市主催のワークショップで「中高生時代にたばこを吸っていた」などと過去の犯罪行為を肯定するような発言を行い物議を醸す。これを批判した市議に対し「ピンクのダサいスーツに黒縁眼鏡で『お下品ザマス!』って言っている女教師みたい」などと反論し、さらに批判を浴びた。

そして2018年。市役所の仕事始め式で、任期満了に伴う市長選に立候補しない考えを表明。「市長としてなすべきことは、市長となった時点では想定しなかったレベルまで達成した」と話すも、退任の意向に関して確認しようとした読売新聞の男性記者に対し、「殺すぞ」「寄るな」「しゃべるな」などと発言。取材を拒否した。

この発言に関連し、市議会議長と副議長は今村氏に任期満了を待たずに早期の辞職をする考えはないかを問う声明文を提出。今村氏は早期辞職について「毛頭ない」と拒むも、2月に市議会が今村氏の退職金を減額する議案を定例会に議員提案する方針を示した直後の2月19日、今村氏は辞職の意向を伝え、翌日市議会によって辞職が全会一致で同意された。

政治家今村岳司とお付き合いいただいたみなさま、さようなら。これまでほんとうにお世話になりました。そして、人間今村岳司とお付き合いいただいてきたみなさま、すでに心配のお声をたくさんいただいておりますが、十九年ぶりに目覚めたような清々しい気持ちです。ただいま帰ってまいりました。

精力的に更新がなされていた今村氏のブログは現在、以上の一文で締められる「【市長を辞職しました】」と題されたエントリーを除き、すべてが削除されている。聞こえのよい言葉とは裏腹に、「改革派」市長の最後は、あまりに呆気ないものだった。

混乱の裏で乱立する候補者

今村市政による混乱の裏で、市長選には多数の候補が名乗りを上げた。

市長選の前年となる2017年。最初に名乗りを上げたのは元衆院議員の石井登志郎氏。7月4日に無所属で立候補する意向を表明し、10月28日に正式に立候補を表明した。石井氏は元民主党の衆院議員で、民主党が大勝した2009年の衆院選で西宮市が含まれる兵庫7区(現在は一部が区域外)から初当選。自民党の前職が獲得した90,661票に対し176,017票と圧勝だった。

しかし民主党が大敗・下野した2012年の総選挙では自民新人と維新新人の後塵を拝し3位に終わり惨敗。2014年の総選挙ではさらに票を減らし、一時は引退を表明していた。

だが、「子どもが生まれて地域活動をする中で、市民と市政の遠さに問題意識を持った」として出馬を表明。「しがらみのない候補」を掲げ、かつて支援を受けた連合兵庫の推薦も受けずに選挙へと臨んだ。

その後、9月1日には県議の吉岡政和氏が無所属で立候補の意向を表明、12月20日の会見で正式に立候補を表明した。吉岡氏は西宮市の北部、生瀬町生まれ。議員秘書を経て、2007年に西宮市議選に自民党公認で出馬し当選。2期務めた後、2015年の兵庫県議会議員補欠選挙に自民党公認で出馬しトップ当選。2期目の途中だった。自民・公明両党の推薦を受け、組織力を強みに選挙へと臨んだ。

さらに11月29日には元市副市長の本井敏雄氏が無所属で立候補の意向を表明し、12月1日の会見で正式に立候補を表明。本井氏は今村氏の前の市長、河野昌弘氏のもとで副市長を務め、後に今村氏が当選した市長選の争点となるアサヒビール西宮工場跡地整備計画の策定などに携わった。河野元市長や矢田立郎前神戸市長、労働組合などから支援を受けて選挙へと臨んだ。

年をまたいで2月7日には元共産党市議の上田幸子氏が、3月8日には市議の村上博氏が、同22日には元加西市長の中川暢三氏がいずれも無所属で立候補する意向を表明。複数の有力候補を含めて新人6人が乱立し、地元紙はどの候補者も公職選挙法が定める法定得票数に達さず当選者なしとなる「再選挙」の可能性すらささやきはじめていた。

自公陣営の楽観論と逆転勝利

政権与党の推薦を受けた吉岡氏の陣営は楽観的だった。候補が乱立すれば無党派層の票が分散し、相対的に組織力が有利に働く。実際、選挙期間中から優勢との下馬評があり、陣営では「4万票は取れる」との楽観論が広がっていた。昨年の衆院選で自公が兵庫県内の全小選挙区を制してから半年、無理もない読みだった。

迎えた投票日、投票箱の蓋が閉じられて4時間が経った16日の未明、我々が耳にした報は石井氏の当選確実だった。石井氏37,831票、吉岡氏37,723票。わずかに108票差の接戦だったが、そこに「4万票」の数字は無かった。ここでやはり疑問となってくるのは、なぜ吉岡氏が目標とした4万票を獲得できなかったのか、そして逆になぜ石井氏が逆転勝利に至ったのかである。実は、その理由は思った以上に鮮やかに数字として出てきた。ここから衝撃のレポートをご覧いただきたい。

Twitter : る*た / 出口調査の人@rutaq_
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