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【市川市長選挙2017-18】野党勝利の再選挙。2回の調査で分かった「2位4位連合」の失敗【出口調査】

千葉県の市川市長選挙は2017年11月26日に投開票が行われたが、当選者が出ることなく、2018年4月15日告示、同22日投開票の日程で再選挙が行われた。このレポートでは2回にわたっで独自に行なった出口調査に基づき、市川市長選挙を大胆に考察する。

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4ヶ月にわたる「市長不在」にようやく終止符が打たれた。

千葉県第3の都市、市川市。都心にほど近いこの街で昨年11月26日に行われた市長選挙は波乱の展開となった。立候補した5人全員が当選に必要な法定得票数に達せず、当選者の出ない、異例の事態で幕を閉じたのだ。そんな市川市長選の「再選挙」は4月22日に行われ、当選したのは前回1位だった元民主党衆院議員の村越祐民氏。前回3位だった田中甲氏と前回2位だった坂下茂樹氏は、立候補を辞退した5位、4位の候補とそれぞれ「3位5位連合」「2位4位連合」を組んで臨んだが、及ばなかった。

半年近くにわたる長丁場となったこの選挙。我々は唯一、2回にわたるこの選挙で出口調査を行った。今まで明かされなかった村越氏勝利の真相と「選挙連合」失敗の裏側を、数字から解明する。

2017市川市長選が「再選挙」となるまで

昨年の市川市長選では、2期8年を務めた現職の大久保博氏が8月29日に不出馬を表明。選挙から遡ること3ヶ月前のことだった。この時点で他に正式に出馬を表明した候補者はおらず、新人同士の短期決戦が予想されていた。

最初に名乗りを上げたのは元市議の高橋亮平氏。9月15日に無所属で立候補する意向を表明した。高橋氏は2003年の市川市議選に民主党公認で立候補しトップ当選。無所属に転じ2期目の途中、2009年の市長選で大久保氏に敗れており、これが2度目の挑戦となった。

その後、10月6日には県議の坂下茂樹氏が無所属での出馬を表明。坂下氏は高橋氏がトップ当選を果たした2003年の市川市議選に無所属で立候補し高橋氏に次ぐ2位で当選している。同じく2期務めた後、2011年の千葉県議選に自民党公認で立候補し当選。2期目の途中だった。

10月22日の衆院選を挟み、同25日には元衆院議員の田中甲氏が無所属での出馬を表明。田中氏は市川市議、千葉県議を経て、1993年、55年体制が崩壊した衆院選に新党さきがけ公認で立候補し当選。旧民主党、民主党の結党に参加し3期連続で当選するも、民主党を離党して臨んだ2003年の衆院選には後述する村越祐民氏に敗れ落選。2009年、2012年の衆院選にはそれぞれみんなの党、日本維新の会の公認で立候補するも落選している。選挙への立候補は5年ぶりとなった。

10月31日には元県議の小泉文人氏が無所属での出馬を表明。小泉氏は2005年の千葉県議会補選に民主党公認で立候補し当選。2期目の途中に民主党を離党し2009年の市川市長選に立候補。大久保氏に次ぐ2位で落選している。2011年には市川市議選に無所属で立候補しトップ当選。2015年には自民党公認でトップ当選を果たし、2期目の途中、後述する不祥事で辞職した直後の挑戦だった。

そして11月2日には元衆院議員の村越祐民氏が無所属で立候補する意向を表明。村越氏は2003年の衆院選に民主党公認で立候補し、田中氏などを破り初当選。2005年に落選後、民主党が大勝した2009年の衆院選で再選。2012年には民主党に逆風が吹き荒れ、比例復活も出来ずに落選し、2014年にも落選している。2016年の民進党結党後は民進党の総支部長として活動していたが、2017年の衆院選では前原執行部が希望の党との合流を打ち出したため、希望の党に公認を申請するが、希望執行部は元浦安市議の岡野純子氏を擁立し村越氏を「排除」。衆院選の不出馬に至り、市長選へと出馬した。

最終的に新人5氏による争いとなった。このうち、坂下氏は自民党から、村越氏は民進・共産・自由・社民の各党からの推薦で選挙戦へ臨んだ。いずれも元衆院議員や現職県議、以前の市長選への立候補経験者が顔を並べ、激戦となることが予想されていた。

開票の結果、村越氏が28,109票を獲得して最多得票となったものの、当選に必要な有効投票総数の4分の1に当たる29,770票に達せず、当選者が出なかった。このため公職選挙法の規定に基づき再選挙が行われることになったのだ。なお、村越氏以外の4氏の得票は、坂下氏が27,725票、田中氏が26,128票、高橋氏が20,338票、小泉氏が16,778票だった。投票率は前回を10ポイント近く上回り(+9.05%)、30.76%であった。

決まらない日程—再選挙が長引いた理由

公選法の規定では、再選挙は14日間の異議申し立て期間を経て50日以内に行われる。これに基づき市選挙管理委員会は、一旦は再選挙を2018年1月14日投開票とすることを決定したが、選挙の直後、11月30日に異議申し立てがあり白紙に。開票の中間発表における票の開き方が不自然だったのが問題視されたのだ。年末の12月24日には現職の大久保氏が任期満了に伴い退任。市長不在の中、選挙は長期戦の様相を帯びていった。

年が明けた1月29日、異議申し立てに対し公開での票の数え直しが行われ、選管は(1)人数、配置などを見直す(2)ビデオカメラで記録し、必要に応じて検証する、といった6項目の改善を示し、ようやく4月22日投開票での再選挙が同意された。市長不在が4ヶ月近く続いた異常事態はこれにて終結を迎えようとする。

因縁の対決?5氏をめぐるドロドロの構図

ところでこの5氏、かねてから市川市を地盤としてそれぞれ活動してきただけに、お互いに複雑な人物関係を抱えている。5氏の系譜をタイムラインで整理していこう。

2001年 千葉県知事選

時代は20年近く前に遡る。当時市川市を含む千葉5区から選出されていた民主党衆院議員の田中氏は、千葉県知事選を巡る党の対応を批判し、離党届を提出した上で党が推薦する候補とは別の候補を応援。党は離党届を受理せず、田中氏を除籍処分とした。これに伴い民主党の千葉5区支部長が不在に。一方、田中氏は「政党・尊命」を設立した。

2003年 衆院選

空白区となっていた千葉5区に民主党が擁立したのが、当時県議だった村越氏。この年の4月に行われた県議選に当選したばかりで、弱冠29歳だった。村越氏は民主党に吹いていた風に乗って有利に選挙戦を進め76,671票を獲得し、田中氏と自民党の新人・薗浦健太郎氏を破り当選。一方、田中氏は前回衆院選から票を半減させ、41,883票しか獲得できず落選した。

2005年 千葉県議補選

村越氏が県議を辞職したことに伴い行われたのがこの県議補選。ここにかつて村越氏の秘書を務めた小泉氏が名乗りを上げ、共産党候補との一騎打ちを制し圧勝した。

2009年 衆院選

ところが、この小泉氏は政権交代に繋がる2009年の衆院選へ民主党公認での出馬を画策する。千葉5区には既に総支部長として村越氏がおり(2005年衆院選で落選)、攻勢をかける小泉氏を前に村越氏はこの年の前年に公認内定を取り消され、小泉氏の公認が有力とされる。結局、2ヶ月後に村越氏は再び公認を得て当選、国政へと復帰するが、一時は国政進出への期待を抱いた小泉氏に遺恨が残り、前職の立場ながら一旦は公認を取り消された村越氏が小泉氏に不信感を抱いたことは想像に難くない。

2009年 市川市長選

直後に行われた市川市長選の対応で、民主党は分裂する。名乗りを上げたのが小泉氏と、当時市議会議員だった高橋氏、そしてこの選挙で当選する大久保前市長だ。小泉氏は民主党の公募に応募することなく離党して市長選に名乗りを上げ、なんと衆院選に出馬していたら戦うはずであった自民党の薗浦氏(衆院選では村越氏に敗れ落選)に支援を要請し、自民党からバックアップを受けたのだ。

一方、推薦を申請していた高橋・大久保両氏については民主党が対応を決めきれず、結局、推薦を得ることなく選挙戦に臨むこととなる。市川市は2002年の区割り改定で北部の小選挙区が千葉6区に編入されており、6区では民主党から生方幸夫氏が選出されていた。民主党が推薦を決められない中で両氏の対応は分かれ、村越氏が大久保氏を、生方氏が高橋氏を支援した。結果として大久保氏が当選したが、3氏の得票は拮抗。小泉・高橋両氏は市長選に再挑戦することになる。

2014-17年 切手購入問題

小泉氏はその後市議に転身。しかし市川市議会では2014年、住民監査請求により、換金目的で政務調査費から切手を大量に購入し、政務調査費を私的に流用していたとされる問題が発覚。その中心にいた小泉氏に追及の手が回る。この問題を巡り小泉氏を擁護したのが田中幸太郎市議。その幸太郎氏の父親が田中氏である。小泉氏は結局、辞職勧告決議が出る直前の2017年10月に市議を辞職。そのまま市長選へと立候補した。

これを踏まえ、再選挙までの各候補の動きを見ていこう。

波乱!「自民の紛糾」から「選挙連合」まで

昨年の選挙が終わった後、再選挙には当初は5人全員が出馬する構えであった。最初に動きがあったのは自民党。党県連は選挙前の9月、推薦した坂下氏と出馬を画策していた鈴木衛県議の2人を推薦する方針を決めていたが、鈴木氏が出馬を断念。自民系市議の一部から不満が出ていた。このような経緯から、坂下氏の推薦願を市支部が再び県連に申請したのに対し、一部市議が県連に慎重な対応を求める文書を提出。県連は推薦願を市支部に差し戻し、坂下氏は市支部の推薦に格下げとなった。

一方、坂下氏の推薦に不満を持つ一部市議は、市支部長の承諾なしに独自に田中氏の推薦を県連に申請。これに対し市支部長は反発。自民系市議の一部が独自に田中氏を支援する分裂した状況を生み出した。

また立憲民主党は前回、生方氏が高橋氏を支援するなど自主支援にとどまっていたが、今回は村越氏を推薦した。前回自主投票だった公明党は直前になって坂下氏と市議団との間で政策協定を結び、坂下氏の支持に回った。

大きな動きが起こったのは4月に入ってから。2日、立候補表明していた小泉氏が出馬辞退を表明。「革新市政を誕生させないため。保守集合の流れをつくる」として、田中氏と待機児童対策や福祉・医療、まちづくりなどで政策協定を結び「田中氏を支援する」と表明した。小泉氏と田中氏との関係は上述した通りで、小泉氏を擁護した田中幸太郎氏の父・田中氏に対し、今度は小泉氏が田中氏に恩を売る形となった。

さらに6日、同じく立候補を表明していた高橋氏も不出馬を表明し、坂下氏の支援を表明。自らが掲げた公約「新市川構想100」を坂下氏が自らの政策にすべて反映させることで合意したという。これまで大久保前市長による市政批判を展開してきた高橋氏と、大久保氏の後継を自認する坂下氏との「選挙連合」には衝撃が走ったが、高橋氏の関係者は「薩長同盟」だと強調した。

高橋氏としては、2009年の市長選で対立した小泉氏の推す田中氏を支援することも憚られるし、もとはと言えば村越氏は大久保氏を支援し大久保市政を誕生させたひとり。田中氏や村越氏を追い落とすために、かつて市議会同期で同じ会派としても活動した坂下氏を支援するのは、ベストとは言えないまでもやむを得ない判断だったのだろう。

こうして再選挙は5人の争いから村越氏、坂下氏、田中氏による三つ巴となった。2,000票に満たない差であった前回1位、2位、3位に対し、「2位4位連合」「3位5位連合」が組まれたのだから、数字の上では選挙連合を組まない村越氏が最も不利な立場に置かれた、はずだった。

一本化むなしく村越氏当選—「選挙連合」の失敗

序盤の段階で、優勢が報じられたは村越氏だった。計算と合わないその情勢は、驚きをもって受け止められた。そして22日の投票日、蓋を開ければ情勢は覆ることなく村越氏が当選。村越氏46,143票、田中氏42,931票、坂下氏41,880票。接戦でこそあったが、田中・坂下両氏がそれぞれ小泉・高橋両氏と組んだ「選挙連合」は村越氏を前に票を上回ることができなかった。投票率は33.97%で、前回をさらに3.21ポイント上回った。

3氏がそれぞれ前回選挙から積み増した票数は、村越氏18,304票、田中氏16,803票、坂下氏14,155票。投票率が上がっているので全体の有効投票数も増えているが、次のように整理することができる。

前回選挙で田中氏が獲得した票数は26,128票。これに支援を受けた小泉氏の前回の票数16,778票を足すと42,906票で、田中氏が今回獲得した票数42,931票にほぼ合致する。一方、前回坂下氏が獲得した27,725票に、支援を受けた高橋氏の前回票数20,338票を足すと48,063票。これは坂下氏が今回獲得した41,880票より6,183票も多い結果となる。逆に村越氏は選挙連合を組んでいないにも関わらず、18,034票を上積みしている。

つまりこの選挙を分析するにあたっての焦点は、なぜ坂下氏と高橋氏による「2位4位連合」が票を伸ばすことが出来なかったか、そしてなぜ村越氏が選挙連合を組まずに票を伸ばしたのか、という点に収斂される(それらは実際には表裏一体なのだが)。

2回にわたる出口調査は、その結論を鮮やかに弾き出してくれた。衝撃のレポートは以下からご覧いただきたい。

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