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イスラエルへ行く。ただの旅行で【3】

イスラエルへバカンスしに行った話。前回までの話はこちら→【1】【2】

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テルアビブからエルサレムまではバスツアーを利用することにした。

バスツアーはマサダという世界遺産と死海を回る1dayツアー。テルアビブとマサダの間にちょうどエルサレムがあり、手配してくれた宿のおじさんの計らいで、バスツアーの復路のエルサレム近くでバスを降ろしてもらえるようになった。

テルアビブからマサダまでは約2時間。マサダに近くにつれ、緑が減り、あたり一帯が砂漠化してくる。

マサダに到着する前、バスはお土産屋さんに立ち寄った。死海から取れるミネラルだったか何かの化粧品が主な商品で、この高い物価と「土産屋の土産」という条件の元、私たちがお土産を買うのは想像し難かったので、まっすぐ売店のアイスクリームへと向かった。

しかしながらここでも凄まじいインフレーションが巻き起こっていて、アイス、普通のスーパーで売っているパッケージ入りのアイスが二つで1000円。ハーゲンダッツでもなかなかこの価格は叩きだせないと思う。間違いなく人生の中で一番高級なスーパーで買えるアイスだった。

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最初の目的地マサダは、砂漠の真ん中に佇む2000年前の要塞だ。道中薄々気づいていたけど、暑さは尋常じゃない。余裕で40度は超えていたと思う。

ちょっと暑すぎてガイドさんの話がまともに頭に入ってこなかったけれど、ここはユダヤ戦争の重要な地で、ローマから攻め立てられたユダヤ人が最終的には捕虜になることよりも死を選び、集団自決した場所なのだそうだ。

要塞は崖の上にあり、徒歩コースもあるそうだがケーブルカーで登った。要塞からは死海も望め、かなりの高さに足がすくむ。

人々が暮らしやすいよう随分と整備されていたようで、水をこの崖の上まで組み上げるシステムが2000年前に存在していたのは驚きだった。

相方は「老後に読むから」と、やたら遺跡の説明の写真を撮りまくっている。

センター試験に向けて必死に覚えた世界史の序盤部分、ユダヤ戦記に出てくる遺跡を、随分と時が過ぎたあと実物をこうして自分の目で見ているなんて、なんとも不思議な気分だ。いつかあの時の世界史の恩師に会うことがあったら自慢しよう。

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マサダ観光が終わり、次に目指すは'Dead Sea'こと死海。
バスが走り抜けて行く脇には、廃墟と化した建物が転々としていた。それはかつての死海の周りにあった旧リゾートたちで、死海は年々水位下降で面積を減らして行き、それに伴ってリゾートは移動、衰退した遺産なのだそうだ。ここでバカンスを過ごしたであろう架空の家族を想像して、勝手に切なくなる。

バスが到着し、現・死海のリゾート地にビジターとして入ることが許された。死海の塩分濃度は普通の海の10倍。「海水が目や口に入ると本当にやばいことになるから絶対入れないように」と注意を受けて、粘着質の泥のビーチへ繰り出す。

が、裸足で歩けないほど地面が熱い。リゾートに掲示されている温度計の表示は42度。私史上最高気温だ。もう本当に暑いじゃなくて、熱い。日差しも空気も痛熱い。

どうにかこうにか死海の淵に辿り着き、泥に足を取られないよう気を付けながら、水、というかもはやお湯の中を進んで行く。

そして、ついにアレを試す時がやってきた。体が水(お湯)に浮くアレ。テルアビブの海で頑張って練習した成果を!と思ったが、そんなのを発揮するまでもなく、私の体はいとも簡単に浮いた。なんなら浮き過ぎて、バランス崩して転覆しないか心配なくらい。

向こう岸に見えるのはヨルダンで、絶対無理だが泳ぎ切って渡れそうなくらい近い気がした。

ぷかぷか浮遊してみたあとは、死海を楽しむ人々に倣って泥で全身をパックした。パックはしたのはよかったのだけれど、洗い流すために共同のシャワーにたどり着くまでがまた熱く、シャワーはまあまあ争奪戦だった。

バスの集合時間ギリギリまで死海を満喫し、ツアー参加者の一人をバスが置いて行きそうになるハプニングがありつつ、私たちを乗せたバスはエルサレム方面へ向かった。

ー続く

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