私たちは罪悪感の苦痛を埋め合わせるためだけに、「無罪感」を利用している

私たちは罪悪感の苦痛を埋め合わせるためだけに、「無罪感」を利用している。
この使い方に慣れているため、「無罪感」それ自体を価値あるものとしては見ていない。
罪悪感と無罪感どちらも価値があり、その二つがそれぞれ提供していないものから抜け出すことを意味してると考えている。つまりこの二つは単独では望まない。両方とも持っていなければ「自分は全一で幸せ」だとは見ないからである
本当は無罪性においてのみ全一であり幸せなのである。

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