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性を売ることがエンターテイメントになる日が来たら

東京藝術大学美術館で開催中の大吉原展


なかなかの見応えで、2時間半もいたのに全てをじっくり見ることができなかったほどの展示の数々。


この展覧会、”吉原は人身売買と同じだから人権無視だ、こんな展覧会をやるということは人権侵害を容認しているのか”といった声が上がり、ネットで炎上した模様。そのせいなのか、本展覧会ではいかなる人権侵害も許しません、みたいな注意書きが冒頭にあった。

なんていうか、なんで日本ってこうめんどくさいんだろう・・・。

何もかもいちいち一から十まで説明しないといけないんだろうか。


だって、じゃあ、戦争なんかはどうなるわけ?
戦争なんて強制的に召集令状が来て、兵隊にいくのは名誉だ素晴らしいことと持て囃し、ばんざーい、ばんざーいで日の丸降って見送り、特攻で死ぬことは英雄だと崇めていたことは?

それこそ最上級の人権侵害じゃないの?
だけど、今まで戦争関連の書籍や展示や映像作品なんかで
私たちはいかなる人権侵害も許しません、的な主張は見たことない。

なんで戦争はよくて吉原はダメなの?
女は可哀想にしたくて男は英雄にしたいわけ?

まあこれは考えても仕方ないからこれ以上は深掘りしないけど、
大吉原展は大盛況で、平日にもかかわらず、かなりの人数で賑わっていた。
吉原とか遊郭とか、興味のある人は多いし、性のコンテンツはいつの時代も人を魅了することは事実だ。

だから吉原も、ここまでの歴史があるわけで
映画や小説、漫画などの舞台にされ、一つのコンテンツとして確立している。

以前読んだこの著書 

この本は吉原が何かというのを知るにはちょうどいい著書だと思う。
著者の田中優子氏はこの展覧会に関わっているらしく、
展覧会のイベントとして解説もしている。

表向きは、売られた可哀想な少女が年季が明けるまで働き続けるしかない、という
とても悲惨なものとして取り上げられることの多い遊郭。

だけど、私は性の楽しさを発信するものとして、こんなにも多くの人を魅了してやまない吉原の煌びやかさや美しさ、夢のような部分、そして日本人の根底にある大和魂みたいなものを見つけたいし、伝えていきたい。

遊郭にも階層があってやっぱりそれは下にいくほど危険で惨めで可哀想なのは仕方ないのだけど、最高級の遊女たち、花魁と呼ばれた彼女たちは
良家の子女のように教養や芸を叩き込まれ、美貌にも恵まれ、
豪華な衣装を纏って最高級の客を相手できるという幸運に恵まれている。

現代でもそうだが上流階級の人間から文化が生まれていき、それがやがて一般庶民にも伝わっていく流れだ。
最高級の遊女、花魁と同じく格上の男たちが作る男女の、色恋の文化。

遊郭は性を売っていたのではなく、恋の理想(夢)を売っていたのです。
性だけの世界は貧しく、恋の世界は贅沢なのです。

遊郭と日本人

そうだ、まさにそう。今の日本で性を売ることがとてつもなく不幸で貧しくて危険で暗いのは、そこに文化がないからだ。

ホストにはまって借金が回収できずに立ちんぼで身を落とす女たち、
気軽にできる、金銭目的だけのパパ活。

恋がなく、愛のない性の売り買いはまさに灰色でなんの楽しみもない、
何も生み出さず、治安を悪くして社会を貧しくするだけだ。

性を売ることを文化にするということは、そこにさまざまな楽しみが絡み、
産業や業界が潤い、人々に活気が出てくることだ。
男女二人が心を通わせ合って恋に落ちて床に入るまでにはさまざまな楽しみがある。身なりを整え美しくあろうとし、食事を共にし、歌や楽器を演奏し、会えない時は文を書き、所作や魅せ方を研究し、芸術や芸能も楽しむ。
この過程こそがまさに恋であり、人生に彩りを添える文化になる。

「好色な人」とは、決して、性的なことに関心がある人、という意味ではありませんでした。流行に敏感でセンスがよく、口の利き方も洒落ていて、人への気遣いも洗練されており、教養があって、三味線その他の音曲や絵画などの芸術、芸能の能力も高く、恋心についてもよく理解できる、というような人をさしたのです。

遊郭と日本人

今は遊びを知っている”好色”な人が少ないんだと思う。
いくら使っただとか、この女をものにしたとか、
わざと女の子を侮辱するような言動をしたり、
自分の社会的地位を誇示したりと、
とにかくそこに”色”がなく、灰色で暗い世界ーーーーー。

現代はとにかく余裕がなくて変化は目まぐるしく、
ほとんどの人が疲れてギスギスしていて、他人を陥れたり、
毎日山のような情報が入っては消えていき、何が真実か分からず
殺伐とした時代だけど、でも、だからこそ
男女の”色”が大事で、性をもっと享受することが大事なんだと思うし、
これだけテクノロジーが発達したのだから、
もっと楽しくて

私は本でも書いたけど
やがて性がエンターテイメントとして楽しむ時代がやってくると思うし、
それがまさに現代の吉原遊郭になり得るだろうし、
性を売ることも楽しむことも文化になり、人生に彩りを与えるものになると確信している。

そう、まさに好色のエンターテインメントだ。

遊郭は性を中心にそのような総合的な文化を創り上げた場所です。
食欲が料理と演出によって真に贅沢で幸福な時間に生まれ変わるように、
性欲や愛欲も、贅沢で夢のような経験に生まれ変わり得るのです。

遊郭と日本人

でも、今の日本ではまだまだ理想郷でしかない、性を巡る問題は山積みだ。

何かと性被害や性暴力を囃し立てるメディアや世の風潮。
セックスができない、楽しめない大人たち、
正しい性教育を受けられない子供たち、
そして愛もなく、色のない性を売る若者たち。

今は色々な価値観があって、性に興味のないアセクシャルの人や恋愛をしない人もいる。
性に嫌悪感やトラウマがあったり傷ついた人もいる。

だけど私は言いたい。
セックスをすること、
性を楽しむことはすごく幸せなことだし、
精神の安定充実に繋がるし、健康にもなる。

これは別に確固たるデータや根拠があるわけじゃないけど、
性生活が充実している人は誰もが本能レベルで実感していることだと思う。

もちろん、光があれば闇があるように
良いことだけではない、どうしても向き合わないといけない性の問題も無視できないが、
私は、私のこれまでの経験をもって
どうにかして性を明るく楽しくて色のあるものにしたいんだ。

何年もかけて作り上げられ語り継がれてきた遊郭の歴史があるように、
私のこの挑戦も、何十年ってかかるかもしれない。

だけど見てみたい。
生殖や欲望を超えた先にある性を。
成熟した人類の色文化を。

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