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有閑ムッシュー卒業します。

文章を書くときは読者を想定すべきとよく言われるが、これは将来の自分に向けての備忘メモという側面がいちばん強いと思う。とはいえ、現在の友人知人の皆さんに私の状況をお知らせするという意味合いもある。更にはまったく面識のない方にも、ミドルエイジの人間が直面する実生活を知るという点で、少しは役に立つ面があるかもしれない。駄文であるが、ご興味のある方はお付き合い願いたい。

9月初旬の以下のnoteでも書いたが、私は本来、11月から韓国の職場に復帰するための準備を着々と進めていた。

しかし過去に一度住んでいたとは云え(住んでいたからこそ)韓国での生活には不安も多く、いちばんの心配は、グスタフの言語環境であった。現在3歳5ヶ月とは思えないほど流暢に日本語を話すグスタフであるが、韓国で韓国語に触れすぎてしまうと、言語が混乱してしまうことが何よりも心配であった。
英語幼稚園を最優先で検討したが、5〜8割方の会話は韓国語で行われるということで、期待が大きく崩れてしまった。インターナショナルスクールでも似たようなものらしい。ソウルまで行けば事情は違うのであるが、私が働く地域では、日本人の幼児が通うのに適切な学校、保育園がないのが実情だ。
もちろん愛妻も一緒に渡韓する予定であったため、一般的な考え方では愛妻がグスタフ(とアマデ)を見ていればよいのであろうが、愛妻のキャパではちょっとそれが心配なのが現実だ。というか、不可能に近かったと思う。

そこで、韓国に復職する準備は進めながらも、何とか日本で働く口はないかどうか、急遽探し始めたのだ。

結論から言うと、この私を使ってやっても良いという企業様と辛うじて巡り合うことができ、今月後半から1年8ヶ月ぶりにサラリーマンに復帰することになった。
明日明後日の土日を挟み、月曜からいよいよ出勤である。今日の金曜日は有閑ムッシューとして(ひとまず)最後の日となったわけだ。

韓国の企業には、9月の末に渡韓断念の旨を伝え、事情を了解してもらった。政治的には日韓関係が最悪な時期であることもあったし、私の決断を尊重してもらえたことは本当にありがたかった。
私が韓国で働いていたときのことについては、また機会を見つけて記事にしてみたいと考えている。本当に素晴らしい職場であった。

気持ちとしては、子どものことさえなければ韓国で働くことには何の抵抗もなかったし、実際にその結論になっても(つまり日本での就職先が見つからなければ)韓国に行く覚悟もしていたし、準備もしていた。
英語幼稚園を訪問したし、家探しもしたし、自分のパスポートも更新したし、当時まだ生後2ヶ月だったアマデのパスポートも取得した。また、ビザのために大学の卒業証明書も取りに行ったし、ビザ用の写真も撮り直したし、英文の履歴書も書いた。本当に並行して動くしかなかった。正直、結構なお金も掛かったが、「今後の人生でもう一度働く(雇用される)」という目的のためには最善の策だったと思う。
自分に事業やトレードの才能がもうちょっとあればここまで再就職にこだわることもなかったのだが、人生そうそううまくいくわけはないね。

これこそが、そもそも何故「有閑ムッシュー」を卒業して再度働こうと思ったかに繋がってくる。
ひとことで言えば、お金を稼ぐ必要があると判断したからだ。第二子アマデが生まれ、愛妻も育休に入り手取りが減る中で、私もトレードと個人事業(輸入品の販売)で多少の稼ぎはあったものの、それなりの生活を維持しようとするとどうしても赤字になってしまうのだ。
減っていく一方の貯蓄残高を見て、これはもうひと頑張りする必要があるのだな、アーリーリタイアなんて、まだ無理だったのだな、というのが正直な気持ちであった。

とはいえ、韓国から戻ってからの1年8ヶ月間、プライベート(観劇ではなく子育てのこと)を最優先して生きてきたことにはまったく後悔はない。普通に働いていれば得られたであろう収入を逸したという事実は残るが、何よりもグスタフにとって、そして愛妻にとっても満たされた時間になったことを確信しているからだ。
特に愛妻が第二子の産休に入って以降の半年間は、家の中にシュフが二人いるという、通常の家ではなかなか考えられない家族最優先の家庭を形成できたと思う。貴重な期間であった。

しかしそれにしても、50歳での再就職は本当に厳しかった。いや、実際に断られた企業は数社で、比較的すんなりと再就職が決まったのではあるが、今度お世話になる会社を除けば、面接まで行かれないのだ。すべて書類選考で落とされる。それだけで本当に、ミドルの転職の厳しさを実感した。
精神的には、日本でどうしても決まらなければ韓国で雇ってもらえるという安心があったのが大きかった。そこは助かった。

話は逸れるが、実は今回の就活以外に、2018年の春に韓国から帰国した際に、「ここで働けるなら、有閑ムッシュー(主夫)にならずに働きたい」と思える企業が中途採用の募集をしていることを知り、応募したことがある。
それは四季株式会社、いわゆる劇団四季だ。もちろん役者になるわけではなく、経営スタッフとしての中途採用に応募したのであるが、これも書類通過ができなかった。採用説明会で社長にあれこれ質問したのがまずかったのか、あるいは履歴書に書いた希望年収が高すぎたのか、いろんな理由があると思う。
四季の中にいる知人は、親切にも「めるかとるさんが演劇にも詳しい上に経歴が立派すぎるからビビって採れなかったんだと思いますよ」と慰めてくれたが、ご縁がなかったことは本当に残念なことだった。

今回、(採用していただいた本命の企業以外は)あのときほどの熱意を持って就活したわけではなかったため、精神的ダメージがあったわけではなかったのだが、この年齢での就職が難しいというのは本当なんだな、という当たり前すぎる事実に直面した。
採用していただいた企業には本当に感謝しかない。こちらに採用していただけたのは通常ルートではないのも奏功した。抜群のスピード感であった。韓国に戻るかどうかを決める期限が迫っていた中、本当にありがたかった。

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