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ひとりでロックスターになる方法 ep.01

私と音楽のきっかけはいつ頃からでしょうか。自分でなんとなく覚えているのは保育所に通っている頃のこと。お昼寝をするときに自分で枕元に大きなラジカセを運んできて自分のすきなカセットテープ(コロちゃんパックではなく、偽物の歌手が歌ってるパチモンカセット)を入れて聴きながら寝ていたそう。

保育所の年長のころは光GENJI。内海くんのファンで、STAR LIGHTを踊りながら歌ってたのをなんとなく覚えている。

次に音楽に触れだしたのは、小学生3、4年のころ。6歳年上の兄がいることもあり比較的早めに流行りの音楽に触れていた。実家の近所にレンタルCDショップができたタイミングで兄がSONYのCDコンポを購入。レンタルで借りたCDをカセットテープにダビング、インデックスに曲名を書いて繰り返し聴く毎日だった。最初は兄弟揃って流行りの音楽ばかりを聴いてたが、いつしか私は私の好きな音楽を見つけることに喜びを持ち始めた。フリッパーズギター、筋肉少女帯、嘉門達夫(嘉門タツオ)、Mr.children。好きだと思えるものはとことんハマって聴き続けた。

小学5年生の誕生日。母親に何が欲しい?と聞かれて、自然と「ギター」と答えた吉岡少年。初めて買ってもらったギターはYAMAHAのフォークギター(多分FGシリーズ)。そこから吉岡のギター人生が始まるわけです。

小5、小6と教則本を睨みながらひたすらコードの練習。若干の挫折を抱いたまま地元の中学に入学。そこで衝撃的な音楽との出会いをすることになる。

それが LUNA SEA

LUNA SEAに出会ってからの自分は変わってしまった。目に見えるものすべてが紫色に見えたし、狂い咲く毒の華とか机にカッターで刻んでしまうような情けない男の子に変化してしまった。

可愛い可愛いフォーク少年だったはずなのに、中1の誕生日はエレキギターをおねだり。グラスルーツのホライゾンを購入。一歩でも半歩でもSUGIZOに近づきたい系男子になってしまったわけです。

しかし、このエレキギターとの出会いがとても良かった。何が良かったかというと私と相性が良かった。フォークギターで苦戦していたギターテクが、みるみると上達。邦楽のコピーでは足りなくなり、洋楽へシフト。とにかく誰よりも速く弾きたい!という曲がったテクニックの磨きへと変わっていくのである。ここでしっかりと基礎を磨いたおかげで、のちにたびたびギターをバリバリと弾かせてもらうきっかけを貰うのだが、それはまた別の機会に。

そして高校にあがると同時にバンドも結成。世間ではビジュアル系全盛期なので、もちろんビジュアル系バンドを組む。1mmも思い出したくない思い出だが、実家に帰ると大量の写真が出てくるので定期的に鼻の奥が辛くなる。

流行りものとして結成しただけなので、特に続くわけもなく自然消滅。大学に進学後もパラパラとバンドをやったりやならかったりを繰り返す毎日。その当時BUMP OF CHICKENがインディーズ界隈を賑わしており、私自身ももろくそに影響を受けてギターロックバンドを結成。特に目標もなく、漠然とかっこいいことしたいという感情だけで活動開始。しかし私が集団行動が苦手で若干のノイローゼになり、なんとなくで自然消滅。

それでも何かを表現したい。諦められない私は思い切って一人で音楽をすることを決める。(集団行動は無理と判断)

バンド当時ライブをするために出演していたライブハウス「神戸ARTHOUSE」。ブッキングを担当してもらっていた稲村氏にソロ活動を始めたい旨を伝える。心の広い稲村氏は二つ返事で承諾。「おう、やれやれ」みたいな軽い感じだったと思う。稲村氏に当時のことを振り返ってもらうと、「どうせ弾き語りか何かで出るもんやと思っていた」とのこと。まさか、楽器も持たずにカラオケスタイルで下ネタコミックソングを歌うとは微塵も感じていなかったらしい。

話は少し戻って、ソロ活動をするにあたって必要な機材をそろえる旅に出た。もちろん弾き語りという案もあったが、楽器を弾くことに若干の飽きを感じていたのでなんとか楽器を弾かずに済ませたいという一心だったことを覚えている。当時はまだDTMもそこまで普及しておらず、MTRに打ち込んだものを同期再生するパターンが多かった。それもなんかちょっとダサいな、と感じてた私の目に入ったのがYAMAHAの単体シーケンサーの最上位機種QY-700である。

初めて店頭でQY-700を見たとき。これだ、と思った。この無駄にでかくてごつい感じ。確実にダサい。今ならソフトケース付いてきますよ?というしびれる売り文句をとどめに現金で即購入。当時結構高かったと記憶してます。

さて、機材は購入した。作曲も出来る。リズムマシンの経験もあったし、操作は多分問題ない。では、何をしようか。ここでしょうもない音楽(よくある音楽、日本国民全員が味がしなくなるまで咀嚼したような音楽)は絶対にしたくなかった。数日間悩みに悩んだ。

当時はインターネットも普及しておらず、情報源は自分の目と耳。新しい情報も古い情報も時系列を問わず混在している。これが逆に良かった。

シンプルに自分のことを見つめることができた。

自分には何ができるのか。何がしたいのか。

まず、何がしたいのか。目立ちたい。特異な存在になりたい。それしかなかた。

次に、何ができるのか。音楽は出来る。歌も自分の作った歌なら歌える。じゃあ、何を歌いたいのか。メッセージ性のある音楽なんて興味がない。そんな偉そうなこと言える立場じゃない。

あー!もうわからん!一旦リセット、リセットと自慰行為をするためにおもむろに引き出しから取り出した「スーパー写真塾」

表紙でニコリと笑うギリギリ可愛い女の子を見て、これだ!と思ったわけです。

私は自分の机の引き出しが底から崩壊するほどにエロ本をコレクションするタイプの重度のエロ本コレクターでした。どの本のどこに何があってナニがあるかも知り尽くしていました。この知識と発想を使おう。

当時流行っていた昭和歌謡ブームに少しあやかり、この時、エロ本と昭和歌謡をミックスした「ピンク歌謡」というジャンルが生まれたわけです。

#エッセイ #音楽 #バンドマン #リバーシブル吉岡 #ひとりでロックスターになる方法

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