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三つ子の魂はいつまでもクリック音を刻む〜わたしとYMO

イエロー・マジック・オーケストラ・・・YMOのことを思い出せる一番古い記憶は、今は無い母屋の2階。
モノラルのラジカセから流れる「TECHNOPOLIS」をいとこと囲んで聴いていた7歳の秋。
その日は祖父の葬儀の日。

ボワボワとしたサウンドと、どこか寂しげに感じたメロディーライン、そして胸をざわつかせるボコーダーボイスが、「お葬式」という非日常感と相まって強く心の中に印象付けられ、その日を境にYMOは、何度となく私の記憶の表層に現れることになります。

SOLID STATE SURVIVOR:1979年9月
https://music.line.me/launch?target=album&item=mb000000000177984e&cc=JP

年の離れた兄の陰謀で、その後の私の「人生初のミュージックライブラリ」はYMOのカセットテープのみで早々に構成され、年齢不相応な「BGM」や「テクノデリック」を愛聴する小学生としてすくすくと育っていきます。
ただ、やっぱり「BGM」のラストを飾る曲「LOOM / 来たるべきもの」はよく分からなかったし、「増殖」のスネークマン・ショー・コントは、何が面白いのか今ひとつわからないのでした。

BGM:1981年3月
https://music.line.me/launch?target=album&item=mb00000000018c75ef&cc=JP
増殖:1980年6月
https://music.line.me/launch?target=album&item=mb000000000182157e&cc=JP

そんなYMOは、1983年に「散開」し、その活動を(一旦)終了することになります。
そんなことも知らず、化粧品のCMで流れる「君に、胸キュン。」やNHKで頻繁に流れる「以心電信」を特別な思いで聞いていた私も、その年の大晦日に放送されたNHK「YMO SPECIAL」で散開を強く意識せざるを得ませんでした。

武道館での散開ライブの模様とメンバーの紹介を中心に編集されたその映像と音は、これまでアルバムで聴いていたソレとはアレンジが異なっており、特に「TECHNOPOLIS」から「RYDEEN」への遷移には鳥肌が立ったのをはっきりと覚えています。
それが、小学生最後の冬でした。

アフター・サーヴィス:1984年2月
https://music.line.me/launch?target=album&item=mb00000000019772f6&cc=JP
なお、この「YMO SPECIAL」は私の中で素敵な記憶としてのみ存在していましたが、後年、YouTubeで感動の再会をしました。鳥肌が立ちました。


こうして、小学生の間にYMOをリアルタイムで体験してしまった私は、その後いろんなアーティストと出会い、ファンになり、CDを買ってきましたが、その間もYMOのオリジナルアルバムを幾度となく聴き、またYMOに戻ってくる日々を過ごします。

ベスト盤、秘蔵音源、多くのアーティストによるカバー・・・それらを聴いてもなお色あせない、むしろ更に際立つオリジナルアルバムの曲の数々。
LINE MUSICのカタログにも含まれていますので、当時を知らない皆さんにもぜひ聴いてもらいたいと強く願っています。

その後・・・
「YMO散開」から四半世紀以上が過ぎた、2010年8月8日。
いつまでも小学生の頃の記憶を頼りに歩んできた私も、遂にYMOを生で体験することができました。

東京・江東区、夢の島公園で開催された「WORLD HAPPINESS 2010」。
高橋幸宏がキュレーターを務めるこの野外フェスの、大トリがYMO・・・Yellow Magic Orchestraだったのです!

「LOTUS LOVE」のイントロでいきなりチカラが入り、
「DAY TRIPPER」でビートは早くも最高潮に、
「TAISO」では2人のダンサーと教授のメガホンに合わせて叫び、
「BEHIND THE MASK」では涙が滲む。

自身のYMOの記憶を、最良の体験で上書きできる喜びを味わうことができました。

そして今も尚、「いちYMOもの」である私の耳には、メンバー3人と同期するためのクリック音が聞こえ続けているのです。

サーヴィス:1983年12月
https://music.line.me/launch?target=album&item=mb0000000001976ef9&cc=JP

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