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新しい朝

必ずやってくる。
昨日とは違った気温と、空気を連れて。
一夜分の夢をくぐり抜けて、昨日とは確実に違う自分が起動する。

もちろん連続性のなかに、今日も生きている。
それでも徐々に薄まっていく感情、欠けていく記憶がある。

時間は傷を癒すけど、忘れることが悲しい

「それが歳をとることだし、人生を歩むことだよ」と言われれば何も言い返せない。けど、「忘れる」ことがとてもとても悲しい。

いまこの瞬間にだけしか覚えられない感情はどこまでもリアルなのに、明日には、一年後には雲散してしまう。強く記憶の釘を打ったとしても、忘れてしまう。それが悲しい。

願うこと、穏やかな気持ちで朝を迎えること

インドの瞑想体験を全11回の連載形式で綴ったnoteに、同名「新しい朝」の回があった。

いま、読み返してみると、ユクスキュルの「環世界」や老子の言葉に思いを巡らせながら、自由であることの意味や、自己救済へ至る瞑想的方法論について考えていたことが、ありありと、思い起こされる。

新しい朝は、確実に来る。生きている限りは。
かすかな連続性を自らの深奥に抱きながら、今日も新しい人に出会い、新しい考え方にたどり着き、新しい想いを覚えながら。

「今日より若い日はない」新しい朝は、いつも教えてくれる。

ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。