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お金そのものよりも、扱う人や企業への不信感があるのかもしれない


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お金は心が生きるために必要な物

前提条件として、お金は生きるために必要な物。
でも私の場合、身体がというよりは、心が生きるために必要な物という印象です。
一般的なヲタクなので、この世界で生きることに、正直頓着がありません。
ただ死ぬと痛いってのと、死ぬと私そのものが消える可能性が高いから、この世界に留まっているという認識です。
(向こうの世界に私が存在できる確証があるなら、すぐにでも逝きたい)

もちろん、身体を健康的に維持しなければ、心もある程度は左右されるってのは、あります。
だから、いやむしろ心もある程度身体に影響されるからこそ、衣食住のためにお金は必要って感じですかね。
(ヲタ活というか、趣味のために必要というのは大前提で)


稼ぐよりは節約したい

ただそのせいなのか、お金を稼ぐことにあまり執着がありません。
子供の頃が恵まれていたからと言われれば、まあ否定はできません。
どちらかと言えば、今ある資金を節約しつつ生きていきたい。

稼ぐことは、お金を得ること以上に、負担がかかっている気がします。


節約だけではプラスにならない

そして当然なのですが、節約していっても使わないわけではないので、いつかは0になります。
というのが、私の中で1つの大きな矛盾であり悩みです。

心が、身体が生きるために必要と分かっていても、お金を得る以上の負担を考えると、節約で済むならしたい。


投資はギャンブルより安心なのか

話は少し変わるでしょうか、あるいはこれからが本題ともいえるかもしれません。
稼ぐ以外の手段としては、今の資産を増やすという手があります。
だいたいは投資かギャンブルかの2択でしょうか。

投資にも興味はありますが、たまに宝くじなどを買ったりする程度です。

そして気になるのが、なぜギャンブルより投資の方がマシという風潮なのか。
いえ、100か0かのギャンブルよりは、確かに1でも残る可能性がある投資の方が、文字通りマシなのでしょう。

でも、ひたすら積み立てし続けて、最終的に増えていないなら、積立貯金でも重ねて行って増やす、それ以上はないけど減りもしないプラマイ0を維持する方がよりマシなのではと、思ってしまいます。

最初から1回、一定額しか投資せず、それが増えた減ったならいいのですが、全財産を(分散させるとしても)その都度積み立てて行って、プラスにならない可能性があることに、納得がいかないです。
少なくとも、積み立てた分から減ることはないようにして欲しい。

そういう意味では、0になることを隠さないギャンブルに、潔さすら感じます。

マイナスの可能性があることではなく、伝達が少ないことへの不審

投資は、プラスになりますを打ち出して、最後にちょっぴり「元本割れのリスクがあります」と書くだけ。
商売でよくある、「嘘はついてません」商法に見えてしまうんです。
なぜギャンブルのように「減る可能性もあるけど増えるかもしれない」と、半々感覚で訴えないんでしょうか。

あるいはローリスクローリターンの投資なら、よほどのことがない限り損をする可能性は低いのかもしれません。
それでも、どこか不信さが残ってしまうんです。
でも、仮に怪しいですと直接言ったところで、大丈夫ですと確約はしないでしょう。
可能性は0ではないので。
それならばなぜ、最初から確約できないことをもっと大々的に行わないのか、正直、そこへの不安が大きいです。
(契約段階や、個別相談の時は、きちんと話してくれる方もいるのかもしれませんが)

商売だから、自社が損をすることはないと言われればそれまでですが、それをなぜ隠すのか。
商売では当たり前のことなのに。
むしろ、調べなかった顧客側の責任にすらなっている。
(ギャンブルのような、ハズレたら終わりという誰もが知っている知識レベルにはなっていない)
まだまだ、投資は専門知識を要することだからかもしれませんが。


私が投資を始めるとすれば、投資を運営している組織への信頼が高まった時かもしれません。
むしろ、リスクについて大々的にアピールしているところがあれば、そちらにしたいぐらいです。

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