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#1 学びは真似ることから始めよう

どうも、おもさんです。

連載企画もいよいよ佳境に差し迫ってきました。え、まだ始めてすらいなくないって? いやいや、常に気持ちは佳境です。
ひとまず今回の連載企画の個人的なゴールを設けようと思います。

このnoteの目的と運用方法

  1. 2024年7月10日に講演予定があるので、それまで休まず書き続ける。

  2. ざっと100記事以上書くことになるので、記事を厳選して編集し、電子書籍出版する

  3. 出版した電子書籍を名刺に組み込み、相手の時間を多大に奪う

  4. 被曝する情報量と時間が多くなれば好きになるという傾向があることを悪用してモテたい

  5. モテたい

ざっとこんなところでしょうか。
なんか下心しかないみたいで自分のことが嫌いになってきました。

気を取り直して本題に入りましょうか。

あなたはどうやって学んでいますか?

学び舎から離れて久しくなりました。私の場合は理学療法士になってから彼此10数年が経過しています。療法士になるために学校へ行き、その学校に入るために、今は頭の片隅にもない暗記物を脳内に拵えたもんです。机上の勉強というのは比較的得意な方でした。学生時代はほぼノートをとったことがありません。なので、テスト前はとても困るわけです。すると、どこからともなく救いの手が。友人がまとめたノートを見せてくれるというのです。そして、私はテスト前に友人のまとめたノートを見せてもらいその友人より良い点を取りました。「持つべきものは友達だよね!」と言うと、友人は私のもとを去っていきました。甘酸っぱい思い出です。

そんなこんなで自分自身の記憶のキャパを用いて、正解のあることに対する思索は比較的得意な方だったみたいです。
なぜ、このような書き方をするかというと、苦手なものに出会ってしまったからですね。それは「自分で考えなきゃいけない課題」というものです。

私の場合の学びの始まりは、療法士という立場で人と出会ってからでしょうか。新人の時に一番初めに担当したケースは病院を脱走しました。これには困りました。何せ教科書には患者さんの脱走について一言も記載されていませんから。次のケースはなぜか特別室(他の入院患者在籍)のトイレで大をしてしまう人でした。それも蓋の上に。これには困りました。ググってもその理由など見つかりませんでした。

一体何を勉強してくればこれらのことに焦らずにスマートに対応できたのだろう。結論、これらはその場その場で対応するしかない問題なわけですね。
もちろん、最初のケースなんかは結果としての脱走があっただけであって、患者の取り巻く状況や自身への認識、それに対するストレスや発散方法の確認。これまでのストレスコーピングの手段など把握しておかないといけないことはたくさんあったと思います。
でも、どれだけ準備しようが勉強してようが、予期せず起こってしまうことってあるんですよね。

事故が起こらないようにすることも大切だけど、事故が起こった後にどうするかも大切。学問上で知りえることというのは、「こうすればこうなる」の方法論があって、そしてその方法論を支える基礎知識を学習し、理論を固めていくわけですね。そうすることで、うまくいく確率を高める。
正解ではない。あくまで上手くいく確率を高めるために方法を学ぶんです。その際に、あらゆる方法を試して実験するのもいいですが、時間と労力がものすごく必要になります。なるべくなら時間短縮したいですよね?

ならば、答えは簡単。すでに自分自身が求めたい結果を出している人を見て、真似をしましょう。
まなぶの語源はまねぶだそうです。つまり、真似をすることが学ぶことの源流ということです。

最初の2ケースに関しては、主導で動いてくれた看護師やソーシャルワーカー、ケアにあたってくれた介護福祉士の方から始末の仕方を学びました。
療法士としての自分にはその仕事は関係ない?
そんなこと思えるはずもなく、とかく職種の垣根をこえて分からん事は聞きまくり、やり方は一つずつパクりました。

思い返せば、真似ることは中学から始めたバスケットでもそうだし、小学生時代も絵の上手な友人の書き方をよく真似していました。真似をするだけで、いつもと異なる結果や成果が出る。
それは幼少期から身をもって理解していたのかもしれません。

そんな真似人生を歩んでいると、二つ重要なルールがあることにも気づきました。
それは「真似をするときに自分なりの解釈を挟んではいけない」ということ。「いいとこどりなど都合の良い受け取り方をしてはいけない」ということ。
真似をする対象にもよりますが、今の自分よりは良い成果を出していたりする人だとしましょう。
今の自分はそうではないわけですから、評論家のように真似る対象を分析したところで意味ないんですよ。「意味」はその人のようにできるようになることで初めて持てるでしょう。また、この部分は良いけど、いやな部分は見ないことにしておこうといった断片的な受け取り方をすると、今の自分にとって都合のよいという前提に立つので、取り組みやすいことしかやらないという点で大した変化はでないんですよね。当たり前ですよね。自分にとって苦手だないやだなと思うことが出来るようになるほうが幅が広がりますよね。

真似ることは非常に価値ある取り組みだと思っています。何かを学ぶときに、特に新しく始めるときにはとんでもなく有効な手段です。
真似るときのコツというか、ルールはさきほど記載しました。

文の途中で出てきた「自分で考えないといけない課題」という伏線。
果たしてこれをどうやって回収するのやら。

今日はこの辺で下車したいと思います。

では、また明日。


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