見出し画像

アジア文化論〜中国の失速まで①

いきなり挑発的なタイトルになってしまいすみません。
実は私テストがあって、その中の一つにアジア文化論という単位があるのです!大学生の方は、自分もーって人もいるだろうし、大人の方は懐かしいな〜って思う方もいらっしゃるのではないでしょうか?

それでまとめなきゃいけないから

どーせまとめるならnoteでやっちゃえ!

てなわけで、ここから数回は授業というか少し真面目な内容になってきます
(今までが不真面目だったわけではないです)

全部で3つほどに分けてお伝えしていけたらなと思います

  1. 発展途上国の歴史

  2. 中国の歴史

  3. 現代の中国の背景


発展途上国の歴史


について書いていきたいと思います。

まずは1950~60年代に発展途上国で何が起きていたのかをみていきましょう!

近代化(1950~60s)


実は途上国の流れに中国を紐解くヒントがあるんです。

この年代は多くの途上国が独立を始めました。
そのため、多くの国が資本主義か社会主義にするかを選択する必要がありました。

社会主義の方がみんなで分け与えるとかいいこと多そうって思いますよね。
(昔の人たちです)

先進国が途上国を支援しないと、社会主義に流れてしまう危険性があったのです。
「あなたの国もアメリカみたいになれますよ」
これがアメリカの謳い文句でした。

大量消費、大量生産の憧れのアメリカになれる!

もちろん、文化の違いはあって途上国にも伝統的な文化、生活があります。
そこから階段を登るみたいに成長していく「発展段階論」が提唱されました。

近代化」伝統的→アメリカ的へ
これが一つのテーマになりました。

テイクオフ」という考えも出てきました。
途上国の経済を飛躍させることを表しています。

そのためには、工業と農業について考える必要が出てきました。

途上国の工業と農業


まずは農業について

アメリカの農業をそのまま途上国に持っていく
「普及型」という方法を選択しました。

これは「緑の革命」呼ばれています。
農作物の収穫量が激増しました!

ではなぜ緑の革命と呼ばれているのでしょうか?
アメリカには敵がいましたよね?

赤=社会主義  これに対抗する意図が見られます。

「赤い革命」これは社会の構図をひっくり返しかねません
これだけは、絶対阻止しなければいけないと考えていたのでしょう。

続いて工業

「地域科学」リージョナルサイエンスなんて呼ばれています。
数値データを用いて決定していく考え方です。
中心部を発展させて、地方に普及させていく効果を狙っています。

また、国の空いているスペースに成長拠点を設けて周りに普及させていくということもデータから判断していきました。

しかし、実際は成長拠点と先進国が結びついただけでした。
加えて、都市の一極化を招く結果になりました。


次なる一手(1970s)


70年代考え方に変化が起こります。
今までは都市を豊かにすることしか目が向いていませんでした。
農業開発はしても、農村開発はしていなかったのです。

中間層を安定させる必要があった。

農村で生活できない→都市へ流入してスラム爆増…
なんてことは避けたいはずですよね。

Basic Needs」最低限の条件という考えが出てきました。
トップダウンはダメだからボトムアップの考えにいきつきました。

Basic Needsは以下のものが挙げられます。

  • 衣食住

  • 教育

  • 衛生

  • 適正技術

しかし、この適正技術に批判が続出しました。
途上国に対して相対的に先進国が上であると受け取られたのです。

「受益者」として扱われたことが途上国の方々の反感をかってしまったようです。社会を根底から見直すことになりました。


もう一つの開発(1980s)


トップダウンもダメ、ボトムアップもダメ。
これからは

  • 全体の大枠を上に上げる底上げ

  • 能力密度がを上げる

この2点が重要視されるようになってきました。

エンパワーメント」こんな言葉をお聞きしたことはあるでしょうか?
内から自分達で成長していく。従続可能性のある内発的発展等を意味します。外からでなく、自分たちの内側からの発展を望みます。

国→地域社会へ視点をシフト。
地域社会とは文化、人、政治共同体のことを指します。

今は都市に住んでいる人が半分を占めているため農村に目を向ける必要がなくなってしまいました。

また主流派と呼ばれる方々が構造調整を行いました。
その結果、市場の力で社会を変える方向に動き出しました。

  • 民営化

  • 自由化

  • 規制緩和

これらは、途上国への投資効果が見られないためとられた措置です。
クリニック、学校は成り立たなくなり、貧富の差が浮いてきただけになりました。

冷戦終了(1990以降)

社会主義に対抗する必要がなくなったのでアメリカは興味を失いました。
途上国への支援を打ち切り、内側に目を向けていきました。

ここで一つ困る期間が出てきました。国連です。
世界的対立がなくなったら国連の仕事がなくなる危機になります。

そこで国連にしかできない仕事を始めました。
それは、国同士のやりとりを一括して取りまとめました。
以下に国際会議の実例をあげます

  • 1999年 子供のためのサミット

  • 1992年 地球サミット 環境と開発

  • 1993年 世界人権会議

  • 1994年 人口と開発

  • 1995年 社会開発 世界女性会議

  • 1996年 人間居住問題 スラム


「Human development」


1990年代以降の考え方で人間開発を表しています。
理想像として選択できる人物としています。
それらを4つの言葉で表現しています。

  • Equity 選択の公平 70s

  • Productivity 経済の開発を止めない 5〜60s

  • Empowerment 選択できる力を身につける 80s

  • Sustainability 人が選択を続けられる 80s


いかがでしたでしょうか?
途上国の流れの大枠は掴めたでしょうか?

正直、これだけでは何か意味ある?って感じてしまうと思います。
私も最初はこの授業意味なくねなんて感じていました。
でも最後に結構スッキリまとまって、今の中国が抱える問題等に気づくことができました。

私も、読んでいただけた方に「そーゆーことか!」と納得して頂けるように頑張って書きますので、最後までお付き合い頂けると幸いです。

言葉足らずな部分や間違っている部分もあるかと思います。
もし見つけていただいたら、コメントしてください。

次回は、同じ時期の中国国内の動きをまとめていきます。

最後まで読んでいただきありがとうございます!
今後ともよろしくお願いします^^


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?