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自己決定の「練習」が自由な未来を切り開く

この数日、家族と旅行に行っていて、十分に自分自身の振り返りをしたりする時間が無くなってしまっていました。
ルーチン化することが大切だという記事を書いた直後にnoteの連続更新が途切れてしまいましたね(笑)
まあ長い目でみて取り組んでいけたらと思っているので、それほど気にしていませんが。

さて、休みを取るタイミングとかもわりと自由なので、平日に休みをとって宿泊先のホテルでのんびり朝過ごしていたところ、台風のニュースと、その台風明けの通勤の混乱の様子がTwitterなどを通じて拡散されていて目にしました。

なかなか激しい風雨に被害が出て、その後の停電もあり、被災された方たちにはお見舞い申し上げます。
ただ、台風翌日の通勤の混乱は見ていて大変そうだなという感想を持ちました。

それを見て僕がどのような思考をしたかということについて書きたいと思います。


自由な働き方が良いが、そういう働き方ばかりでない

まずそもそもとして、僕はリモートワークとかも含めた自由な働き方推進派の人なので、ああいう台風明けのニュースを見て、みんなもっと柔軟な働き方とか出勤の仕方をしたらいいのに、と思う派ではあります。

今の僕の働き方は、毎度の話ですけどフリーランスなので自由に動いています。ちょうどこの台風の時は快晴の西日本にいたので関係ないですし、そもそも家族旅行の予定だったので、ますます関係ないですけど。
仮に台風が仕事のある日に来てたらどうしてたか。

まあ間違いなくお休みにしていたことでしょう。

ただ、これは今の僕の立場だから言えることかなと思っています。
あと、前職の人事部のような部署に勤務していた時代も、比較的リモートワークであったり、在宅勤務とか自由な裁量が(公式化非公式はさておき)あって。
去年関西に直撃して大変だった台風の時もそうですし、大阪北部地震の時も、交通機関がマヒした時などは、躊躇なくお休みを取らせてもらったり、在宅勤務に切り替えさせてもらったりしました。

そういう働き方を許容する、いわゆる「ホワイト」企業であったのも事実です。大変ありがたい職場環境だったなと感謝しています。

でもおそらく、世の中のすべての職場にこれが当てはまるかというと、もちろん難しいのが現実なのでしょうね。
そもそもこういう時の鉄道やインフラ関係の人、病院などのほかにも入所系の福祉関係施設。行政関係や警察消防といった公務員の人たち。
今回のような台風のタイミングこそ働かないといけない人たちがいるわけです。

そういう人たちがいてくれてですよね。ありがたいことです。ホント。



でも可能な限り自由な働き方を目指すべき

しかし僕の基本的な考えとしてはこちらで、繰り返しになりますけど、自分の好きな働き方自由な働き方をめざしたいと思っています。

台風などの自然災害関係の時にまで無理して定時出勤を目指さなくていい働き方。
仕事も大切だけど、家族との時間を大切にしたいと思っているのなら、それを選択できる働き方。
自分の裁量で、時間や場所などの仕事をする環境を調整できる働き方。

などなど、例をあげるといくつかあります。

でもこういう働き方をすることについて、僕は誰かに直接何かを言われた経験はないのですが、ネットとかを見ていると批判的な意見もよく見かけます。

僕だって、本質的なところまで掘り下げて、その行動が必要なのであれば、もちろん頑張ろうという気持ちになりますけど。
でも、本当に必要なのかどうか、大して議論せず、ただ惰性で昔から続けているだけ、というものも多いのが実情かなと感じています。

朝9時に出勤して、12時から13時まで昼休憩をとり、18時まで働く。
というのが当然であるという環境で過ごしてきた人にとって、それ以外のものがピンと来ないのかもしれませんね。

今は世の中的に週休2日が普通みたいな感じですけど、僕が子どもの頃は土曜日も働くのが普通だったように。
未来の子どもたち「へー昔はみんな同じ時間に出勤たりしてた時代もあったんですねー」みたいな関心のされ方をする時が来るんじゃないかな。

ところでそういう、自由な働き方をしようと思うと、逆にいろいろ求められることもあるんですよね。
その中で、僕としてわりと大きな割合を占めているんじゃないかなと思っているのが、「自己決定」を迫られるということです。


自己決定論とその限界

たとえば、三叉路くらいになっている交差点で、こちらの道をいくとあなたは自由に働くことができますよー、という道路があったとして(比喩ですよ)。

何もしなくても、わざわざ右に曲がらなくても、道はずっと続いている(ように見える場合)。
見通しのない角を曲がる労力と勇気をかけるより、そのまま惰性で直進しようという心理が働くのも無理ないかなと思うわけです。
そもそも右に曲がる道があることさえ気づいていない人も多いかもしれませんけど。


どちらにしろ、三叉路で右に曲がるという変化を選択するのは自己決定なのでしょう。確かにここでは行動が伴いますね。

よくTwitter上でケンカしている人たちって、「右に曲がりにくかったし曲がれない事情もあったし」、という人たちと、「右に曲がったらいいのに曲がらなかった(曲がれなかった)あなたが悪い」、的な議論が多いなと。

自己決定論って基本は強者の理論みたいなところがあって。自分でそれを選んで、いい感じの結果を手に入れた人にとっては、自分自身の行動の結果手に入れたものだという自負があって。
なのでそういう状況になっていない人をみると、自分と違って行動していないからだと批判したくなるんでしょうね。

こういう話はある側面では正しいところもありますし、僕個人としても、行動してその積み重ねチャンスを掴んできた感覚もあるので、自分に対しての厳しさとしてはありだと考えています。

でもこれを万人に当てはめるのは違うと思っていて、やはり変化を選択するのにはそれなりの環境的なフォローがあってのことだと思うわけですね。
助けてくれる人与えられるチャンス、失敗しても大丈夫という心の安心感

持って生まれた素養もあるかもしれませんし、その人の努力や行動量に比例するところでもありますが、多くの場合は自分以外の環境を構成するモノやヒトによって影響を受けることなんじゃないかなと思っています。


自分で考えて決めて行動する練習が必要

僕なりの今のところの答えとしては

自分で考えること
自分で決めて行動すること
あきらめずに継続すること

あたりをコツコツと積み重ねていく、「日々練習」していくことが大切かなと思っています。

朝起きて、仕事(学校)に行って、ただ淡々と当たり前のように日々が過ぎていくかもしれませんが、この当たり前が自分にとってどういう意味があるのか。
本当に必要なのか、もっと違う選択はできないのか、考えるわけですね。

そしてその考えたことを、全部実践するのは大変かもしれませんし、急に仕事辞めてフリーランスとかになっちゃうと(僕みたいにw)、大変なのですが、ほんの少しだけでも違った行動をとってみることが大切ですね。

そしてその行動が、どういう意味があったのかを日々振り返り、その変化と気づきをまた自分の頭で考える。
この繰り返しだけでもずいぶん違った人生を歩んでいくことになるんじゃないかなと思っています。


ぶつぶつTwitter上で文句言って終わりするだけでなく、そういった小さな積み重ねの先の未来に、自由に自分らしい働き方が待っているのかなと思ったりします。

今日はこれくらいで、ありがとうございました。

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