嫉妬とは、憧れでなく、寂しさである。
また嫉妬してるよ、いい加減やめたら。
もう1人の僕が話しかけてくる。
そんな簡単に、やめられたら、どれだけ楽なんだろう。
嫉妬に敏感になったのは、最近。
正確には、嫉妬という負の感情を認められるようになったのが最近。今までもなくはなかったけど、「興味ないし」「俺は俺だし」なんて言い聞かせてないことにしていた。
嫉妬って、非常に扱いづらい。
あまり大きな声で嫉妬してますなんて言えないし、そもそも気付くのが難しい。でも、この感情に気付かないと、知らないうちに斜に構えて楽しみの機会を失ってしまうのが世の常だと思う。
誰しも、嫉妬してる。
嫉妬をやめるのが難しくて、難しくて、考えて、ふと気が付く。あの人のあの言動も、この人のこの行動も、根底は嫉妬にベースがあるのかな。
だったら、ちょっと深掘りしてみようか。
1.嫉妬する人、しない人。
1:自分よりすぐれている人をうらやみねたむこと。「他人の出世を嫉妬する」
2:自分の愛する者の愛情が、他の人に向けられるのを恨み憎むこと。やきもち。悋気 (りんき) 。「夫の浮気相手に嫉妬する」
なるほど。
自分より優れている人をうらやみ、、、
、、、
ちょっと待て。
自分より優れている人でも、嫉妬する人と、嫉妬しない人が確実にいる。例えば、イチローは野球の技術で自分より遥かに優れているけど、イチローには嫉妬しない。
この差は何なのだろう。
そもそも、優れているとは、何だろう。
確かにイチローは僕より、野球も上手いし、物事に取り組む姿勢も素晴らしいし、お金も稼いでる。でも、イチローが僕より優れているかを証明しようと、案外難しくなる。
いちいち自分とイチローを比較して、自分の方が劣っているなあなんて、考えすらしない。
一方で、身近な人には、嫉妬する。
お金の稼ぎや世間の有名度だけで比較をすれば、比べるに足らない身近な存在に、私たちは嫉妬をする。
自分にないモノを持っている人を、心から称賛できない時がある。特に自分より優れた容姿を持つ人に対して、羨ましいと思うことは、誰もが経験しているのではないかと思う。
2.嫉妬させる隙もない人
ただ、例外もある。
憧れの存在ではあるものの、嫉妬する存在とは違くて、心の底から称賛し、応援したくなる人も、この世の中には存在する。
そういう人と話すのは、本当に心地よい。
会話が楽しいのは勿論、その人が見ている世界を知れる時間も楽しいし、人のことを嫉妬せずに尊敬できている自分の自己肯定感まで上がる。
昨年の冬、そんな人に出会ってから、自分の価値観が大きく変わったのは、記憶に新しい。新しい環境に飛び込んでみたのも、その人の影響が全てである。
一体、何が違うんだろう。
ちょっと違うけど、僕にとっては、家族もそんな存在だ。よく考えてみると、家族全員を尊敬しているが、嫉妬することはない。だから、一緒にいて、非常に、心地が良い。
少し、見えた気がした。
3.嫉妬とは、寂しさではないか。
分かった。
寂しいのだ。
その人の価値観では、自分に興味がないと分かった瞬間に、心苦しさを感じてしまう。
僕は論理思考がバックグラウンドであるから、論理では説明できない美的なセンスや、哲学を持っている人に嫉妬しがちである。
その人にとっては、「論理的」とか「数値」とかはどうでもよくて、芸術に疎い僕は「つまらない人間」だと思われる感覚がある。
感じる興味のなさが、寂しいのだ。
一方、
あなたと私は違うけど、あなたはあなたで素敵なのよ。
を雰囲気から発せられる人には、確かに、嫉妬しない。嫉妬しない。嫉妬しない。。。
これだ。家族に嫉妬しないのも、説明が付く。
嫉妬の正体は、
相手と自分を比較して感じる劣等感ではなく、相手が自分に興味がないことが分かる寂しさなのではないか。
だから、イチローには嫉妬しない。
前澤社長にも嫉妬しない。
イチローや前澤社長が自分に関心を持つか、否かなんて、考えることもないので、寂しさを感じる必要がない。
思い返せば、恋人の異性の友人にする嫉妬も、寂しさなんじゃないか。だって、100%自分のことが1番好きだと信じられたら、嫉妬なんてしないでしょう。
4.斜に構えること
自分が理解されなくて、悲しいから、オタクを否定したり、パリピを否定したり、ギャルを否定したり、意識高い系を否定したり、東大生を否定することを、"斜に構える"と呼ぶ。
人は理解されたい生きものなんだけど、理解して欲しいなんて、中々言えない。
一方的に理解されないのは悲しい気持ちになるから、こっちも理解できないことにして、均衡を保たないと精神が持たなくて、批判してしまうことを、”斜に構える”を呼ぶ。
普通の人が、普通に生きていたら、埋もれてしまって、褒められなくて寂しくなる。
そうして、ありのままの自分を捨てて、人と違うことをして、少しでも寂しさを紛らわそうと必死に生きることも、”斜に構える”と呼ぶ。
5.嫉妬と憧れ
嫉妬を憧れと勘違いして、盲目的に好きになってしまって、傷つくこともある。
自分に興味がなさそうなところが好き
なんて、気になってしまう人が後を絶たない事実が、嫉妬と憧れの近さを物語っていると思う。
現実はただ、寂しいだけ。
モテるはずの私に惹かれないことで、何だか満たされない感情が生まれ、それを満たすために、憧れと嫉妬を勘違いした先にあるのは、お互いがお互いの人間性に興味がない地獄のような関係性なのかもしれない。
心穏やかに生きたかったら、自分を好いてくれる人とだけ、一緒にいればいい。
でも、たまに、自分をできない人と一緒に過ごす方が、社会のことがよく分かるから、嫉妬がなかったら、それはそれで危険信号だと思う。
6.嫉妬させたくない
じゃあ僕はどうなのかという話に帰着するのだけど、それはもう決まっていて、
嫉妬されない人間になりたい。
例え自分がどれだけ成功しても、自信満々に生きていても、妬ましい、羨ましいと思われないくらい、関わる人の魅力を見つけて、肯定できる人でありたい。
今年1年そういう人とたくさん出会って、心から憧れた感情を、大切にしてみたい。
謎に伸びた昨日の呟き。
嫉妬とどう向き合うか問題でした。
斜に構えずに、嫉妬と憧れを間違えて軸をブラさずに、嫉妬じゃなくて、寂しさなんだと理解して、「寂しいです」って素直に言えればいいんだろうね。
こんな生々しい話を書くのは、とっても恥ずかしいけど、こんな弱い話をしたら、嫉妬されなそうだから、まあそれでいいのか。
~fin~
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