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「丁寧さ」と「わかりやすさ」は違う

自分の中の悪い癖がある。
それは何かを説明する時についつい情報量が多くなってしまうこと。

最近もちょっとそういう場面があり、フィードバックをいただいてハッとした。

情報量が多くて丁寧だけど、逆にわかりにくい。

あんまり詳しくない相手に説明するために細かく説明しようとするとかえって文字量が多くなり、一度に摂取するには胃もたれしそうな内容になる。
だけど簡潔に伝えようとすると、「大事なこと、これで全部伝わっているのかな?」という不安に陥る。

ここの塩梅って難しい。


長い間、ずーっとnoteで何かを書いている。
noteって文字数制限のない、いわば自分の書きたいことをつらつらと書き連ねることができる場所だ。だから自分が詰め込みたい要素を全部詰め込むことが出来る。そうしたらいつの間にか1000字くらいの文章になっちゃう。それを文章の組み立てでわかりやすくするようにしている。

それが違う場面でも反映されちゃう。

何かを説明する時、間違って伝わってほしくないという思いがあるから「あれも大事」「これも大事」とどんどん詰め込んでしまう。結果的に”何が一番大事か”が伝わらないものになってしまう。

「丁寧」ではあるんだけど、「わかりやすさ」はない。
もちろんどっちも追求できるのが最高だけど、どちらかを手に入れようとすると、少なくともどちらかの割合は減ってしまう。

作家でもない限り、目指すべきは場面に応じた使い分けなんだと思う。

刺さる人、届く人に向けてやっていけばいいのであれば自分の思うように自由に表現をすればいいんだと思う。

でも届けなきゃいけない、伝わらないと意味がない、そういった時は「自分らしさ」よりも「相手のこと」を優先的に考えないといけない。相手のことを考えたうえで、どれだけ自分らしさを入れられるか、の優先順位だ。


今の時代、便利なもので「長い文章を短くする」「短い内容を長くする」そういったことは「ChatGPT」に質問すれば一瞬で答えが出てくるようになった。もちろんそういうのを使いこなせることは大事だ。

ただそれに質問すればいい、ということで自分の頭では考えなくなるということは避けたい。やっぱり「自分はどう思うか、どう表現するか」は大事にしたい。

noteでもXでも、文章の長短いろんな表現を練習して、「丁寧さ」も「わかりやすさ」も使い分けられるようになっていきたいな。

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