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本文とあとがき

大学生くらいから本をちゃんと読むようになった。
最初は漏れなく興味ある本の中身に惹かれた。
そりゃそうだ。本の主役は本文なのだから。

でも段々と注目ポイントが変わってきた。
変わった、というとちょっと語弊があるかもしれない。
「増えてきた」とでも言うべきだろう。何が増えたのか。

「あとがき」にも注目するようになったのだ。

たいていどの本にも「あとがき」というのがついている。
あとがき部分には著者に所縁のある人が、著者の人となりを踏まえて上でその作品を読んで感じたことを書き連ねる。

本文には当然素敵な言葉がたくさんあるのだが、このあとがきにも素敵な言葉がたくさんあるな~、というのが最近の気づきだ。

そりゃそうだろう。
自分が思う「素敵な人」が書いた作品だ。その素敵な人に関わっている人は素敵な人であるに間違いない。それが文章に言葉選びに出ている。

「本文とあとがきがセットで作品として出来上がるんだな」

きっと著者もどんなあとがきがくるか楽しみにしているんだろうな。


そう思った時、noteもそんな関係性と似てるなぁって思った。

もちろんnoteを書くということは本を書くということと違う。誰かに向けたものというよりかは自己満足、そう思っている。自分による、自分に向けた、自分のための本だ。それを覗き見してもらっている感覚。

だけど嬉しいことに何者でもない自分が書いた、何でもない文章に、共感したり、考えるきっかけになったり、時に「それは違うんじゃない?」となったり。そんな形でコメントを残してくれる皆さんがいる。感想を伝えてくれる人がいる。それがすっごく嬉しい。そしてとても学びになる。

もちろんコメントを残すことがすべてじゃない。時間を割いて読んでくれているというだけでとてつもない幸せ者だ。きっとプラス、マイナスの違いはあれど何か感じる部分があるから読んでくださっているんだと思う。

思うにそれらすべてが「あとがき」なのかもしれない。
読んでくれた皆さんそれぞれが、抱いた感想、どう受け取ったか、それが付随して初めて私の記事はその人の作品になるんだろうな、と。


私が書く記事ってほんと上でも書いたように「自分のためだけに書いたもの」で。いただくコメント、いただくコメントすべて、

「そんなふうに受け止めることができるあなたがすごい」

って思っちゃう。

だから安心しちゃうんです。

これからも自分のために書き続ければいいな、って。

誰かに合わせようとしなくても、自分の記事を読んでくれる人はそれぞれが自分事にして読んでくださる人が多いから。

なので引き続き一緒に作品作りをお願いします。


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