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ここは僕のWikipedia

Wikipediaってご存知だろうか。

有名人とか有名な場所とか、事象とか。そういったものの解説がまとめられている「百科事典」のようなものだ。百科事典との違いで言えば、手順に従えば誰でもが編集できるということ。

WikipediaのWikipediaを見てみよう。

ウィキペディア: Wikipedia)は、世界中のボランティアの共同作業によって執筆及び作成されるフリーの多言語[4]インターネット百科事典[5]。収録されている全ての内容がオープンコンテントで商業広告が存在しないということを特徴とし、主に寄付に依って活動している非営利団体ウィキメディア財団」が所有・運営している

ウィキペディア - Wikipedia

情報の信ぴょう性はさておき、Wikipediaを見れば調べたいことの大抵の情報はおさえることができる。残念ながら、私にはWikipediaはない。だって有名人じゃないから(笑)

芸能人の方がテレビで言う言葉で、こんなものがある。

「・・いや、ネット見ろ!」

何か不祥事を起こした後、少し時間が経っていじられる時に「〇〇さん、何かあったんですか?」という問いかけに対し、答えるやつだ。(こうやって説明するのも興ざめな感じはするが(笑))

そんな芸能人にとってのWikipediaでもあり、「ネット見ろ!」の役割も担っているのが私にとっては「note」なんだろうな、と思っている。

「塩浦良太ってどんな人?」と聞かれたら、「note見ればすべてがわかります!」と答えられる。もちろんちゃんと説明するが。

それくらい、過去・現在・未来、起こった事実・その時の心情・自分の脳内・考え方・大切にしている価値観、それらすべてが私の記事には詰まっている。

人間自分のこと大好きだから、周りにはいい部分の自分を見せようとする。ちょっと強がったり、ちょっと見え張ったり。特に学生時代の自分は本当の自分の弱いところだったり、ダサいところだったり、ずぼらなところだったりは隠している部分もあった。

でもそれじゃいけないな、って気づいたのはnoteを書き始めてから。
まずはそんな自分と真正面から向き合わないと、となって向き合い始めたのがnoteを書き始めてから。

というわけで、私のnoteのすべての記事を読めばきっと小中の同級生よりも私のことを知っていると言えるであろう記事の数々(一体何記事あるねん、という話だが)。

カッコいい言い方をすれば、1つ1つの記事は自分の「生きた証」であり、何か迷ったときとか困ったときの「道標」になってくれている。そういった意味でも、その時その時の思いや感じたことを書き続けていくことは意味があるのかな、って思っている。



【おすすめマガジン】

①家族について

良くも悪くも、自分にとって「家族」というテーマは一生向き合っていかなきゃいけないものだし、変えていかなきゃいけないものだと思っています。でもこの経験のおかげで今があるとも思ってます。


②抽象的な言葉の言語化

noteを始めた初期から、なんならnoteを始めたきっかけとも言えるのが「抽象的な言葉で満足しない」ということ。おかげさまで、マガジンでまとめているはずなのに、マガジン内に200以上の記事が、、、(笑)


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