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C99新刊〈バベル合同〉試し読み

2021年12月31日 コミックマーケット99 2日目
東3ホール"オ"40a「中央総武線最寄りP」で頒布する新刊、
SF作家デレマス合同第6弾『シンデレラガールズトリビュートⅥ BABEL』
その収録全6作品の試し読みを公開いたします。

■01.野﨑まど『バベルの一六階』※媒体の性質上、本誌収録版と一部の演出に差異がございます(編者註)。

一八歳から。

ご鑑賞いただけます、と書かれた映画のポスターを見つめる。眺めていたところでボクはその映画を見られない。いいや正確にはそれも嘘で、たとえば今から一四〇〇日ほど、大体三万時間も眺め続けていれば、もう何の問題もなく入場できるようになるだろう。

なぜならボクは一四歳だからだ。

 R18+の警告から視線を外し、再び通学路を行く。三万時間を費やす気などさらさら無いし、そもそも見たい映画でもない。

「はよー」「おはよー」「うい」「だる」

 子供達の流れが中学校へと向かっていく。一二歳から一五歳までの少年少女で構成される群れ。社会へと巣立つために教育を施される最中の、未熟者の集団。

 ボクは大人が子供より優れているとは思わない。

成人することが即ち成熟とは思わない。年齢を重ねる中で失うものが一つもないわけがない。過程で劣化するものもあるだろう。

 だが逆に子供の方が良いとも言わない。言葉遊びだが未熟者は未熟者だ。そして同時に子供の時代にしか持ち得ないものも必ずある。良い面と悪い面が、大人と子供の両方に。

要は大人と子供という区別に貴賤を感じないということだ。どちらが上で下というものじゃない。

けれど一つだけ、間違いのない、厳然とした真実が存在する。

一四歳と一八歳の間には、四年の隔たりが在る。

 

      ○

 

朝の教室は穏やかに混濁している。まだエアコンが回りきらない空気と、エンジンの掛かりきらない雑談の声。窓からの採光のみで電気は点いていなかった。登校した生徒の一人が電気を点けるとクラスの全員が一瞬だけ天井に気を取られて、そしてすぐに元の話へと戻っていく。

「おは」

「ニノおはよ」

 おはよう、と返して自分の席に向かう。陽光に晒された窓際の机はぬるまっていた。冷たさを求めてカーテンを一人分だけ引く。シャッ、という音にクラスの視線が一瞬だけ集まって、やはりすぐに引いていった。

 注意が散った後は、一人の時間がやってくる。

 誰とも話さない、誰とも触れ合わない、ボクだけの時間。

 それは別に特別なものじゃなく、小学生でも中学生でも、誰だって経験があるものだろう。たとえば近い席の友人がたまたま欠席した日。たとえば何となく誰かの所に行こうと思わない日。外的要因か内的要因か、なんにしろ「そういう感じじゃない日」は誰にだってある。そしてボクは比較的、いや絶対的にも、かなりの割合でそういう日を過ごしている。

友人が居ないというわけじゃない。多くない自覚はあるが、それでも二、三人は話せる相手がいる。彼女らの席まで遠征すればそれなりに中学生らしい朝を過ごすことができるだろう。けれどそれをするには、多かれ少なかれ“演技”が必要なことも解っている。その行為にあまり価値と意味を見出だせず、結局ボクはほとんど毎日、窓際の席で喧騒混じりの教室を揺蕩っていた。

 耳をそばだてる。

「昨日の『ディーゲーム』ヤバい」

「でも『ミラ』ってフィルタ足りなくない?」

「やっぱティント一本買おうかな~」

 クラスメイトのさざめきが拾われる。それは多分放送中のドラマの話と、自撮りアプリの話と、化粧品の話だ。どれも詳しくはないが一応の知識としては知っている。なんなら話に混ざることだってできるだろう。

けれど、理解はできない。

ボクはディーゲームにも、ミラにも、ティントにも、みんなが夢中になるような魅力を感じることができない。こうして積極的に話を盗み聞きしていても、彼女達の言葉はすぐに上滑りして耳から耳へと通り過ぎていってしまう。多くの一四歳が好きであろう事象に、間違いなく十四歳であるはずのボクはほとんど反応できないでいる。

 なぜだろうと自分に問いかけた時期もあった。けれど納得がいくような明確な答えなど無いことにすぐ気づいた。彼女達はああ育って、ボクはこう育った。同じ日本の十四歳であるボクらは、本来ならば強い共通認識と共通意識で結ばれているはずなのに。神の悪戯か、ボクと彼女達は成長の過程で全く違うメンタルを有するに至ってしまった。どちらにもやはり貴賤はなく、ただ違いだけがある。

クラスメイトの言葉は、ボクにはまるで違う国の言語のように感じられた。だからその言葉を勉強して、用いれば、会話は可能だろう。だがボクにとってそれは習い立ての外国語であって、必死になって言葉を駆使したとしても、真実のニュアンスを掴み取るような“理解”の感覚には遠く及ばない。

 ボクと彼女達は、神様に分断されている。

 カバンからワイヤレスのイヤフォンを取り出して耳にはめた。解らない言葉をずっと聞き続けられるほど酔狂じゃない。液晶の再生マークを押して撮り貯めていたラジオを流し始める。夜中の番組を朝に聞くのもまた特別の味がある。

 パーソナリティの声がボクを包む。

 三〇人がひしめくクラスで、ボクは孤独な星になる。

誰とも繋がれず星座になれなかった辺境(まどぎわ)の星は、気遣いも演技も不要で、大層住み心地が良い。

神様が選んでくれたこの星を、ボクは割と気に入っている。

■02.柴田勝家『永劫回帰の神聖異言(ゼノグラシア)』
1.

 自分の死体は何度見ても慣れない、と二宮飛鳥は思った。

 渋谷の路地裏、時刻は午前二時。街は未だ眠らず、人々は冷たいビルの隙間で朝を待つ。誰も彼もが無関心。だから規制線の奥にある惨劇は顧みられず、普段より増えた警察官の数にも気を払わない。

「こりゃヒデェな」

 飛鳥の隣に立った年配の男性刑事が呟く。

「よく見てられるな、飛鳥チャンよ」

「別に。あれは、ただのモノだ」

 路地の奥、騒がしく動く室外機の横にあるゴミ捨て場。そこの生ゴミに混じって、人間のようなものが捨てられている。まさしく「ようなもの」で結構だ。

 骨と皮だけになった手足は折れ曲がり、胸部と腹部はしぼんだゴム風船に似ている。痩せこけた顔には五つの空洞、それぞれ目と鼻、口だったもの。赤茶の髪と藍色のエクステだけが艶めいている。

「まるで中身のないかかし(スケアクロウ)だ。ただ、それならボクも同じさ」

 刑事の方は飛鳥の自嘲に付き合わず、近くの鑑識課員からの報告を受けているようだった。

「なるほどな」

「何か理解ったのかい?」

「今、鑑識から聞いたがよ、どうも薬物かなんかで体の中がドロドロに溶かされてるんだそうだ。あとは科捜研行きだが」

 大人でさえ顔をしかめるような惨状だが、飛鳥はそれに「そうか」とだけ返した。

「ボクの殺され方は、どうもバリエーションが豊富らしい」

「イヤになるよ。前は焼死体で、その前は遺体の一部が持ち去られてたんだ」

「おや、貴方はボクの残骸を遺体と言ってくれるのかい」

 飛鳥の言葉に刑事から舌打ちが返ってきた。

「いくらクローンつったってね、アタシから見りゃ、ただの女の子だ。イヤでも娘のことを思い出しちまう。許せないんだ」

「認識を変えることをオススメするよ。アレは人間じゃないし、あとクローンじゃなくて意識転写体さ。単なる培養細胞の塊にボクの人格が乗ってるだけの……」

 そこで現場検証が終わったのか、臨場した検視官から簡単な通達があった。薄っぺらな肉の塊は納体袋に包まれ、規制線の外へと運ばれていく。しかし、それが遺体安置所に行くことはないだろう。例えば事件現場に残された凶器やタイヤ痕を調べるように、そのまま研究機関で物品のように扱われるはずだ。

「さて、飛鳥チャン」

 再び動き始めた警察官たちの中から、刑事が気安く呼びかける。

「言うまでもないが、これは〝二宮事件〟だろう」

「だろうね。だから専門の探偵であるボクが来た」

 飛鳥は頷いてから、狭い路地の奥へ視線を向ける。寒々しいビルの外壁に、赤黒い模様があった。血液で描かれた文字のようだが判読できない。ただし、これまでの〝二宮事件〟で何度も同じ文言が残されていたから、内容自体は飛鳥も刑事も理解している。

「わたしの世界にない(Teach the word which )言葉を教えて(aren't in my world)」

 飛鳥の呟きに、隣の刑事が深く息を吐く。白い息が冬の空へと昇って消えた。

「今回も犯人は同じみたいだ。つまり――」

 不意に飛鳥は微笑む。その名を呼ぶ時はいつもそうだ。

「悪魔、一ノ瀬志希」

■03.伏見完「シスター・フォーギブン」
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。――「ヘブライ人の手紙」十一章一節 

 0

 彼女はマディソン・アベニューでその男を見つけた。ニューヨークに着いて二日目のことだ。それから四日、彼女は男の行動を観察し続けた。

 ジェイコブ・ヤンセン。例の五人のひとり。フィラデルフィアの美術商で、毎年、この時期になると買付のためニューヨークへやって来る。

 男は、セントラルパークにほど近いオフィスで、午後まで仕事をする。それから通りに面したイタリア料理店で遅い昼食を済ませると、タクシーは使わず、滞在しているホテルまで歩いて帰る。決まりきった生活。だから方法はすぐに思いついた。

 その日は昼から雨で、男は傘を持っていなかった。彼はコートの襟を合わせ、背中を丸めたまま足早に路地へと入っていく。彼女は広げた傘で顔を隠しながら、その後を追った。

 ――告白します。わたしは、罪を犯しました。いえ、犯そうとしています。

 路地に入るとすぐ、彼女は傘を捨てた。男は、足元の水たまりと、頭上の雨とを避けるのに夢中で、背後をずっとついて歩いてくる彼女のことには気づく素振りもない。

 ――わたしは汚されてしまいました。体も、心も、魂までも。

 角を曲がるたび、少しずつ、彼女は距離を縮めた。位置もタイミングも決めてある。あとはその瞬間が来るのを待てばいい。そして、覚悟が揺るがなければいい。

 四分の一がそれで終わる。

 ――消せないのです、この憎しみを。朝、鏡を見るたび、気が狂いそうになる。目が合えば自分自身さえ殺してしまいそうで。

 男と彼女との間は、もう十フィートもない。彼女はちらりと腕の時計を見た。

 ――殺します。それでわたしは地獄に落ちるでしょうけれど。でも、わたしひとりで落ちるよりかは。

 彼女は、ベルトに挟んでいた銃を静かに抜き、背中に回した。地面の震えをかすかに感じる。計画通りのタイミング。立ち止まって、男の名前を呼ぶ。男は二歩進んで、それから訝しげに彼女のほうを向く。

「あんた、だれだ?」

「ミスター・ジェイコブ・ヤンセン」彼女はそう言って、もう一歩だけ距離を詰めた。「確かにあなたの名前ですね?」

 男はとまどいながら、首を縦に振った。ふたりが立つ路地のすぐ裏で、轟音とともに列車が線路を通過する。瞬間、彼女は銃を突き出し、彼の眉間にまっすぐ照準を合わせる。男は驚愕の表情を浮かべる。彼女は唇をなめ、引き金を引いた。

 ――天国に入る資格なんて、きっと最初からわたしにはないの。

 1

 殺人事件の捜査というのは、はっきり言って愉快な仕事ではない。それは家具に貼られた古いシールを一枚ずつ剥がしていくのに似ている。連続殺人ならばなおさらだ。たいてい、手間の割にはきれいにならず、いつまでもべたべたしてだれも触らなくなる。一ノ瀬志希は、そういうものが好きだ。それは自分自身にも似ていると思う。だから殺人にも、それをする人間にも強い関心を持っている。

 城ヶ崎美嘉は、そういう人種ではないが、シールを剥がすのは得意だった。今、この部屋でしているみたいに、膨大な資料をめくり、志希が見たがっているものを見つける。最後に志希が、べたべたしたところを触って楽しめるように、だ。

「一人目はフロリダ、二人目はニューヨーク、三人目はイリノイ」美嘉は手元の書類を見ながらぶつぶつ唱えた。「四人目はどこの州?」

 志希は肩をすくめた。

「さあね。国外在住かもしれないし」

 そう言って志希もまた、次のファイルに手を伸ばす。イリノイ州警察が捜査資料を自由に貸してくれるのは今日の五時まで――担当職員が〝なぜか急に野暮用を思い出して証拠品保管庫の鍵を預けたまま席を外す〟間だけ――だ。来週以降になるとナンバープレートひとつ照会するのも面倒な手続きを踏まねばならない。この国ではいろいろあって、今や各州の警察組織は、合衆国の司法機関を目の敵にしている、というか、ほとんど無視している。

 十年以上前、アメリカ合衆国の全土を巻き込む内戦があった。感染症のパンデミックに端を発した経済恐慌、そして当時のドナルド・トランプ大統領が東京オリンピックの開会式で起きた自爆テロに巻き込まれ死亡すると、連邦政府は求心力を失い、やがて崩壊した。

 内戦の終結後、暴力的多文化共生主義者と呼ばれるグループが権力を掌握した。彼らはアメリカ史に残る愚行のひとつとして、七六五もの修正条項を合衆国憲法に追加した。そして悪名高き修正三四六条により、合衆国政府が任命する法執行官は、その過半数をアジア人女性が占めねばならないことになった。多様性と言えば聞こえがよいものの、要するに連邦捜査官のほとんどがアマチュアの外国人女性に取って代わられたわけだ。この実力を信じて任せろというほうが無理のある話で、実のところ、ほとんどお飾りに近い。各州は保安官制度を復活させるなど、自前の警察力を強化することで、連邦から送られてくる小娘たちを相手にしないことに決めた。

 ちょうどその時期、美城グループの法務担当役員兼アイドルとしてワシントンDCに赴任していた一ノ瀬志希と城ヶ崎美嘉は、日米両政府の政治的駆け引きにより、FBI捜査官としての契約を結んだ。それが二年前のことだった。

 以来、ふたりはバディを組んで多くの事件を解決に導いてきた。飾り物と化した連邦捜査局にあっては異例の成果で、現場の警察官たちとも独自の信頼関係を築いている。半年ほど前、マンハッタンとその周辺で大捕物を繰り広げた、あの〈ドーナツ・メイカー〉事件も記憶に新しい。そして今回の事件も、やはり複数の州にまたがる連続殺人だった。

 最初に事件が起きたのはフロリダだった。と言っても、これを一連の事件として数えているのは志希だけだ。郊外のハイウェイに放置された車の中から、男の射殺体が発見された。名前はアーノルド・ロング。マイアミで貿易会社を経営している。現場の状況から、深夜、帰宅途中に路肩で停車したところ、何者かが窓越しに発砲、殺害されたものと考えられた。

 二番目の被害者は、ジェイコブ・ダニエル・ヤンセン。彼はフィラデルフィアで、いくつかの画廊のオーナーを務める美術商だった。その彼が、美術品の買付のために向かったニューヨークで、やはり何者かに射殺された。

 当初、これらの事件は単純な強盗殺人とみられた。ところが、どちらの事件も、現場に奇妙な痕跡が残されていた。一人目のアーノルド・ロングの事件では、車のダッシュボードに、二人目のジェイコブ・ヤンセンの事件では、彼が着ていたジャケットの胸ポケットに、それぞれ紙切れが入っていた。調べてみると、それはタロットカードの破片だった。大アルカナの十六番目、〈塔〉のカード。ただしどちらもハサミのようなもので切断されていた。

「で、その意味がわかったんでしょ?」

 美嘉が尋ねると、志希はファイルに目を落としたまま、退屈そうに答えた。

「ま、結論を急がないで」

■04.三雲岳斗「7 Years From BABEL」

 第九の呪い、という言葉を、最初に知ったのはいつだっただろう。

 九番目の交響曲を書いた作曲家は死ぬ、という不吉な噂。有名な『第九』を完成させて間もなく死去した、ベートーヴェンに端を発する都市伝説だ。

 事実として、交響曲第九番を手がけた後に命を落とした作曲家は多い。

 ドヴォルザーク。ヴェレス。ヴォーン・ウィリアムズ。呪いを恐れたグラズノフの交響曲第九番は未完で終わった。マーラーが、九番目に完成させた交響曲を交響曲と認めず、『大地の歌』と名づけた逸話も広く知られている。

 同様の俗説(ジンクス)は、演劇の分野にも存在するらしい。

 たとえばミュージカル『オペラ座の怪人』は、上映直前に劇場火災などの事故が続いたため、呪われていると噂になった。また、イギリスの演劇界には、劇場内でマクベスの名を口にすると不幸を招くという〝マクベスの呪い〟が伝えられている。

 だが、このような都市伝説の中でもっとも恐れられているのは、二十世紀初頭に発表された、あの作品にまつわる噂話だろう。

 旧約聖書の中の一節を基に書かれた短い戯曲と、それを原作に作られた歌劇。同作の作曲家である無名のスペイン人男性は、のちに、こう言い残して自ら命を絶ったといわれている。

 歌劇バベルを演じてはならない――と。

          1

 堕ちていく。

 退屈で美しい、楽園を追われ。

 幻想の翼を灼かれ、権能を失って。

 そして――

 減圧を終えた輸送機のカーゴベイから投げ出され、高高度の荒い気流に振り回されながら、 ボクたちは自由落下を開始する。

 上空八千メートルから見下ろすその街は、かつてと同じように美しかった。オーストリアの首都ウィーン。欧州有数の世界都市。ハプスブルク家の栄華を象徴する楽都。音楽の都だ。

 暗視装置で補正された視界が、ドナウ運河の周辺に広がる旧市街の姿をとらえている。シュテファン大聖堂。ホーフブルク宮殿。ベルヴェデーレ宮殿。そして国立歌劇場。世界遺産にも登録された建物たちの姿が、ボクの心をかすかにざわつかせる。その美しさや荘厳さのためではなく、死と退廃に彩られた彼らの歴史の重さゆえに。

 重力に引かれて速度を増すにつれ、大気が壁となってボクらの前に立ちはだかる。風圧に抗うボクらの姿は滑稽で、鳥類のような優雅さからはほど遠い。そのことが否応なく真実を突きつけてくる。ボクらは空を飛んでいるのではなく、ただ墜ちているだけなのだと。

 対地高度が二千メートルを切って、霧のように薄い層積雲を抜ける。現在の市街の様子が鮮明に見えてくる。灯りの消えた街。倒壊した建物。色濃く残る火災の爪痕。美しかったウィーン市庁舎の建物も今はない。二年前の暴動で破壊され、無残に焼け落ちたのだ。

 その光景に驚きはなかった。むしろ既視感を覚えるほどだった。この都市で起きた騒乱は、世界各地を襲った悲劇の一部に過ぎない。ボクたちはそれをよく知っている。

『地形照合完了。終端誘導開始。制動翼(ドラツグウイング)展開まで三秒・二・一……展開』

 ボクの全身を衝撃が襲った。戦術支援AI〈ジュエル〉の無感情な声が、風切り音にかき消された。降下速度が急激に低下し、強烈なマイナスGを受けてチタンの骨格が軋む。見えない糸で空から吊られた刑死者(ハングドマン)の気分。操り人形たるこの身には、お似合いの感覚だ。

 高抗張力フィルムの制動翼が小刻みに角度を変えて、機体を着陸目標地点へと誘っていく。カーボンフレームが伝えてくる振動が、ボクの視界を激しく揺さぶる。

 ドナウ運河の南岸、シュヴェーデンプラッツ駅の付近でオレンジの光が瞬いていた。市街地で火災が起きているのだ。駅を占拠した市民たちが、警官隊と小競り合いを続けているらしい。

 その騒ぎに紛れてボクたちは降下を続ける。対地高度三百メートル。地上到達まで約六秒。戦術偶像(アイドル)の機体に落下傘はない。ボクは滑空してきた勢いそのままで目標地点――ウィーン工科大学のキャンパスへと突入する。

 校舎の屋上に激突する寸前、機体背面のロケットモーターが燃焼ガスを一瞬だけ吐き出した。降下速度が無理やり中和され、直後、ふわりとした着地のショックが伝わってくる。金属製のヒールがコンクリートを削り、激しい火花を撒き散らす。

 甲高い騒音が周囲に響き渡るが、市街地の騒ぎがそれを上手くかき消してくれていた。無謀な降下作戦は、今のところ順調といっていいだろう。

「リベレイターより、ナイトブライド。降下終了。機体状況クリア」

 骨伝導スピーカーを通じて、ボクは分隊(エレメント)の僚機へと呼びかける。〈夜色の花嫁(ナイトブライド)〉――速水奏の戦術偶像(アイドル)は、ボクがいる校舎の隣のビルに降下を終えたところだった。

 346部隊が装備する戦術偶像(アイドル)の外見は、いわゆる球体関節人形の素体によく似ている。

 体高は百七十五センチ前後。避弾経始を考慮した機体表面はなめらかな曲面で構成され、関節可動域の広い女性型骨格は、バレエダンサーのように細く均整が取れている。ヴェネチアンマスクに似た無機質な仮面は、見る角度によって能面のように表情を変える。それを美しいと感じる者もいれば、恐怖の象徴と受け取る者もいるだろう。

『ナイトブライド、了解(コピー)。降下装備を廃棄後、構内に侵入する』

「了解(コピー)」

 奏の指示に従って、ボクは〈ジュエル〉に装備の破棄(パージ)を命じる。分離ボルトが弾け飛び、制動翼(ドラツグウイング)が背嚢(バツクパツク)ごと吹き飛んだ。内蔵のテルミット材が発火し、高抗張力フィルムの翼が瞬く間に焼け落ちる。

 すべての戦術偶像(アイドル)の機体は同型のはずだが、その動きは操縦者によって意外なほどに個性が出る。奏のナイトブライドの印象は、いかにも繊細で神秘的だ。青白く燃える翼を背負ったその姿は、〈蒼翼の乙女〉の異名がよく似合う。

『攻撃優先順位(セットリスト)はわかってるわね、リベレイター?』

 奏が悪戯っぽい口調で尋ねてくる。

 もちろん、とボクは短く答えた。ほかの誰かに言われたのなら反発を覚えたかもしれないが、奏は昔からボクの扱いが上手かった。あの一ノ瀬志希ですら、奏のことは認めていたと思う。

 だから奏が今の世界の状況に責任を感じているのなら、それはまったくの筋違いだ。

 呪われるのは、ボクだけでいい。

『――移動体捕捉。四時方向。Xプラス4、Yマイナス3。総数四』

「武装は?」

 戦術支援AIの報告に、ボクは投げやりな口調で訊き返す。突入予定だった建物の正面を、ラフな服装の若者たちがうろついていた。この大学の学生という可能性はゼロではない。だが、深夜二時の、暴動が起きている街の閉鎖された大学に、まともな学生がいるはずもない。

『映像解析。銃器の保有を確認。ステアーAUG、及びTMP系のコピーモデルと推定します』

「バベルの使徒(バビロンズ)か……面倒だな。どうする、ナイトブライド?」

『私が処理するわ。陽動を兼ねて少し派手にやるから、貴方はその隙にライブを終わらせて』

「悪くないな。リベレイター、了解した(コピー・ザット)」

 ボクは奏の提案を受け入れる。人殺しはボクらの目的ではないけれど、戦闘を忌避して、作戦目的を果たせないのでは意味がない。

『行くわよ、飛鳥。夜を楽しみましょう』

 ボクに向けて投げキッスをひとつ飛ばすと、奏の戦術偶像(アイドル)が跳躍した。六階建てのビルの屋上から音もなく地上に舞い降りて、バベル(バビロ)の使徒(ンズ)との交戦を開始する。

 奏は男たちを挑発して、わざと彼らに銃を撃たせたようだった。その発砲音を聞きつけて、構内にいた使徒たちがそちらに集まっていく。

 ボクはその隙に屋上から、建物の中へと侵入した。ウィーン工科大学化学工学部の実験棟。そこがボクたちの目的地。MEの密造工場だった。

■05.渡辺零「ラ・プティットゥ・モール」
 二〇世紀フランスの哲学者。

 ジャン=ポール・サルトルはこう言った。

 もっとも猥褻(わいせつ)なものは、縛られた女性の身体である。

 確かにそうかもしれないとボクは思った。

 目の前に、縄で縛られた女がいる。サルトルと同じフランス人だ。

 乳白色をしたその肌に、深紅の縄が幾重にも渡って喰い込んでいる。この手のプレイではお馴染みの後ろ手縛りだ。

 縛られた女をじっと観察していると、サルトルの言ったことが次第に理解できるようになってくる。

 縄や枷(かせ)など物理的手段で自由を奪われた女体というのは、人体よりも「モノ」に近く、さらにいえば「オブジェ」という言葉さえ想起させる。「モノ」あるいは「オブジェ」がヒトのように主体的意思を持つことはないから、他者の意思で自由に変形させることも可能となる。

 だからこそ、緊縛で「オブジェ」にされた女体というのは、サルトルのいうとおり、この世でもっとも猥褻(わいせつ)なものといえるのだろう。

 一方で、ひと晩四万ドルもの大金でボクを買い、意思なき「オブジェ」となることを自ら望んだ客の神経というのは、正直な話、理解の範疇(はんちゅう)を超えて余りある。

 けれども、ボクは職業娼婦(プロ)だ。

 当然、客の注文(オーダー)には誠意を持って対応する。

 ボク、すなわちVIP専用の少女娼婦、ニノミヤ・アスカという商品につけられた値段は安くない。何せひと晚四万ドルだ。それ以上の価値を客に提供できなければ、職業娼婦(プロ)失格というものだろう。

「ふつうの恋人みたいに交わるだけじゃ、お姉さんは満足なんてできないよね」

 客が求めた役割を演じるべく嗜虐的(サディスティック)な声を作ると、縛られた客は、ベッドの上で芋虫のように身をよじった。

 客の年齢はとうに四〇歳を超えていたが、肌艶といい、指で梳(す)いた髪といい、つんと張った乳房といい、どれもこれも一〇代のボクと遜色ない。

 使い切れないほどの資産で購(あがな)われた、二〇代さながらの女の身体。ことほど左様に、美容外科分野における技術的進歩はめざましい。金で若さを買える時代なのだ。

 金持ちは老いず、貧乏人だけが老いてゆく。まったく何て不公平な時代に生まれたのだろう。そんなことを考えながら、バスローブを脱いで裸になる。

「知ってのとおり、お客さまのご予約は週末限定。もちろん、そのあいだは貞操帯(ペニスチューブ)をつけて過ごすから、オナニーなんかできやしない。だから性欲が溜まって仕方ないんだ。ほら、見てよ。こんなふうにさ」

 ボクは勃起したペニスをしごきはじめる。

 無論のこと今宵の客は女性であって、彼女の身体にペニスなんてないわけだから、しごいているのはボクのペニスだ。

「膣なし・陰茎および睾丸あり(ディックガール)」のVIP専用少女娼婦。

 ボクという商品を端的に言い表すと、そんな感じ。

 身体を売り、挿れる側に回ることもあれば挿れられる側に回ることもある点で、ボクの商売は男娼のそれと大差ない。

 だが商品としてのボクの価値は、本物の乳房と本物のペニス、それらを両方兼ね備えている点にある。

 天然ものの少女に備わる、天然ものの乳房、ペニス、そして睾丸。

 あるいは天然ものの精巣から生じる、少女の精子。

 金さえあれば望む身体や性を手にできる時代にあって、そうした生まれながらのボクの身体は、四万ドルもの価値に跳ねる。たとえ法外といえる値段であっても、予約は半年先まで埋まっている。

 金持ち(セレブ)たちは、いつだって天然もの(オーガニック)に飢えているのだ。

 ボクという商品の需要はそこにあって、ひと晚四万ドルの商売が繁盛する理由もまた、そこにある。

 たとえばクロマグロが絶滅するその前夜。暗黒市場(ブラックマーケット)の競り市(オークション)で天然もの(オーガニック)の大トロへの入札が止まることなく、最終的に一〇〇グラム四万ドルもの落札価格に跳ねたように。

 クロマグロの大トロ一〇〇グラム。そしてひと晩あたりのボクの価格は、偶然にして同じ値段だ。

 金持ち(セレブ)たちは、天然もの(オーガニック)の高級食材を買い求める感覚でボクを買う。食べられる方法をボクが選べないのは当然の話だ。刺身にされるか寿司にされるか、クロマグロは主体的意思で選べない。そうしたマグロの気持ちを、ボクは嫌というほど知っている。

「ボクたちにとって、射精欲は排泄欲求と少し似ている」

 わざわざ煽るような声を作る。

 見下し、蔑(さげす)み、憐(あわ)れむような、そんな声音。

 客の求めに応じて、ボクは加虐趣味者(サディスト)を演じることもできるし、被虐趣味者(マゾヒスト)を演じることもできる。「抱く側(タチ)」も「抱かれる側(ネコ)」も自由自在だ。よって、これくらいの演技は造作もない。

「トイレでおしっこをするのと、自慰行為(オナニー)で精液を排出するのと、本質的な違いはないとボクは思う」

 充血しきったペニスの先を、客の女性器(ヴァギナ)に擦(こす)りつける。ゆっくりと、あくまで主導権はこちらにあると誇示するように。あるいは、キミの身体はボクのものだと躾(しつ)けるように。

 普段の暮らしでは決して味わえないであろう、少女娼婦(ボク)という社会的弱者から性玩具(おもちゃ)のように扱われる非日常。もしくは倒錯。いま提供しているサービスの内容を要約すると、そんな感じだ。

「じゃあセックスは? 他者に精液を排出する行為は、排泄とどう違うんだい?」

 端正に整えられたアソコの毛が、膨らんだペニスの裏側をざらざらと撫でる。アジア人のボクとは明らかに異なる、きらきらと光る金の恥毛。その表面で、ボクが擦(なす)りつけた分泌液(カウパー)が、てらてらと淫靡(いんび)な輝きを放っている。

「セックスはね、主体的意思のある他者があって、はじめて成立する行為なんだ。コミュニケーションと同じだよ。けれど排泄はそうじゃない。排泄の対象、便器に主体的意思なんて存在しない」

■06.吉上亮「国立偶像科学博物館 特別展〈バベル〉」
ごあいさつ
 このたび、国立偶像科学博物館、シキ・イチノセ・コレクション、346プロダクションは、国立偶像科学博物館の開館百年を記念し、特別展〈バベル〉を開催いたします。
 本特別展では、ご自身も世界的に著名なアイドルであり、高名な〈偶像(アイドル)〉収集家であらせられる、シキ・イチノセ氏のコレクションより、生物・人類史における史料的価値の極めて高い〈偶像〉をご提供頂きました。なかでも至宝と名高い、全191点に及ぶ〈灰被りの偶像標本(シンデレラガールズ)〉は本邦初公開となります。
 本特別展の全展示物のキュレーションを務められ、全展示の音声解説にもご協力頂いたシキ・イチノセ氏は、ご自身たってのご希望により、本展示の会期中、自らの身体を解体し、剥製・標本化を行い、本特別展の最終会期において、192体目の〈偶像標本〉となり、博物館に寄贈されることが決定されております。
 新たな生物区分〈偶像界〉の発見と提唱により、人類社会に多大な貢献をなされたシキ・イチノセ氏の、さらなる科学発展への献身に、当国立偶像科学博物館は、本特別展の開催をもって、その感謝の意を捧げるものであります。

     第一章

すべては偶像でできている(All comprise idols)

その文字が壁面に刻印されているから、ここが国立偶像科学博物館であることが分かった。それ以外、ボクに知り得るものはない。

目が覚めると、ボクは、ここにいた。どうして自分はここにいるのか。その問いに、ボクは答えるすべを持たない。

二宮飛鳥という存在がここにいて、ここが国立偶像科学博物館であることは確かだ。しかし、それ以上の理解をボクはまだ得られていない。だから自分がここにいる理由を、探している。

ボクは何者か。何者であったのか。

始まりは一四歳。ボクはアイドルになった。それから長い時間が過ぎて、今もアイドルでいる。

ボクの名は二宮飛鳥。アイドルだ。

いつか、この声を聞く君よ。それで自己紹介は十分だろう?

そこまで声を吹き込んで、録音機のスイッチを止めた。

 記録した自分の声を聞き直す。よく中性的だと言われる自分の声は、しかし変声期を迎える前の少年たちの声とはまったく別質だ。何も考えずに発したら高くか細くなってしまう声を意識して低く出す。そういう癖が積み重なり、己の声を形作っている。

手にした録音機を懐に仕舞った。息を吸って、吐く。呼気は白いかたちを伴い間もなく消える。館内の温度が低いのだ。夜であるから。

国内最古にして最大の〈偶像〉の収蔵数を誇る、国立偶像科学博物館は閉館すると、標本保存のために館内温度を意図して低く保つものだと聞いたことがある。

 開館は九時で閉館は十七時。それ以外の時間、外からの来客が絶えた十六時間。博物館は閉じられた時間のほうが長いのだ。そして過ごす時間の長いほうに人間が馴染むように、建物だって馴染むものだ。 

 国立偶像科学博物館は〈偶像〉の標本を展示する博物館だ。

 標本とは何か。その問いに、素人であるボクが答えても、君はきっと笑うだろう。

 今の呟きは声にすべきだっただろうか。録音すべきだっただろうか。行動はいつも思いつくよりも先んじてしまう。そして記録に残ることなく消えてしまう。永遠に。

 だから、録音機を再びスタートした。ここから先、残せるだけの声をすべて残すと決めて。たとえ、どれほど愚かな呟きでも。

「志希、ボクは標本とは、埋葬形態の異なる死者のことだと考えているよ」

 夜の博物館は、とても冷たく、静かだ。

 フードを上げた。すっぽりと頭部を覆って、漂う冷気を遮断する。

 黒に蛍光色のラインが引かれたミリタリージャケット風の装い。細い身体に対して大きく余白の取られたオーバーサイズの造り。前は開いたままだが、寒さは感じない。

 着用者の発する体熱はすべて吸収され、完全な断熱構造になった外装部の内側に熱が留まり体温の低下を防ぐ仕組みだ。のみならず発汗によって失われる水分も吸収され、グローブ部から腕部と半ば一体化したケーブルを通して体内に再吸収される。

 最小限の補給によって長期の作戦行動を可能にするためのメカニズム。そういう機能が備わった服を纏っている理由は何だろう。

 この高度な技術力が付与された戦闘用服を、目が覚めたときから身に着けていた。記憶にある舞台(ステージ)でアイドルとして歌い踊るときに着る煌びやかな衣装とはかけ離れた無骨さだ。服の各所で瞬く蛍光色のラインは化学薬品めいた毒々しい輝きを発している。お世辞にもアイドルらしいとは言えない。とはいえ、鮮やかな色合いは頭部に編み込んだ飾り髪(エクステンション)と色の系統を同じくしている。

 なら、これもアイドルの衣装なのかもしれない。ステージに立ち、観客の喝采を浴びる存在となれば、それはアイドルだ。もっとも、今ここに観客はひとりもいない。

 自らへの言及はこれくらいにしよう。己が何者であるかについて多弁になるくらいなら、ボク――二宮飛鳥としての自覚は十分だ。

 周りを見回す。人気はない。夜の博物館。目につく範囲に時計は見当たらないから正確な時間までは特定できない。しかし博物館とて学芸員や研究員といった職員が数多く働いているはずだから、そうした誰とも出くわさないのなら、今は終業時間もとっくに過ぎた深夜と判断してよいだろう。そう思うと、この水に浸されたような冷気も真夜中ならではと言えるのではないか。

 手を、空中にひらりと泳がせる。指先が摘まんでいるのは、一通の便箋だ。高機能服とともに、この身に帯びていた持ち物だった。

 便箋の中身は一通の招待状だ。文面に目を通すためには、身体の移動を伴わなければならない。数歩、真夜中の静けさに足音が響く。

 すると光が点る。人感センサーによって自動で作動するスポットライトだ。展示物の保管のため、極力照明を絞っておきたい博物館ならではの設備。動くものがいれば、これを入場者と見做し、展示物の観察のための灯りを提供する。しかし長く動かないでいれば去ったものと見做され、再び暗闇が訪れる。

 天井の高い玄関ロビーで円を描くように歩み続けながら、手にした招待状の文面を読み返した。

 最初に挨拶文があり、続いて特別展〈バベル〉の前夜に開催されるレセプションパーティへ招待する旨が記されている。一ノ瀬志希の署名で。二宮飛鳥へ向けて。

 普通に考えれば、自分はこの招待状を受け取りここに赴いたことになる。しかし自宅をどうやって出たのか記憶はない。ここまでの経路、移動手段も何ひとつ思い出せない。ここに自分が辿りつくまでの記憶全ての欠損。行動すべてが意識もなく進行したとでも?

 だがしかし、少なくとも、ここに自分がいる理由は、招待状の内容だけで納得できた。この国立偶像科学博物館で開催され、特別展〈バベル〉なるものが、一ノ瀬志希によって主催されるならば、

「志希。キミがここにいるのなら、それで理由は十分だ」

 招待状を仕舞った。録音機は声を記録し続けた。

 誰に向けるのかも定かではない呟きは孤独への慰めだろうか。

 この国立偶像科学博物館ではすべての電子機器が圏外になり、外部との通信手段が断たれている。所蔵された〈偶像〉を保護するためだろうか。入念と言わざるを得ない。

 特に今は、特別展〈バベル〉のため、秘宝中の秘宝と呼ばれる〈灰被りの偶像標本〉の数々が運び込まれているからセキュリティは万全であるずだ。しかし館内で招待状にあった宴が催されている気配はない。ただシンと静まり返っている。

 日を間違えたのか。だが招待状にはそもそも日付の記載がない。

 特別展〈バベル〉は国立偶像科学博物館の開館百年を記念している。191体の〈灰被りの偶像標本〉が展示される。

 そして、シキ・イチノセが192体目の〈偶像標本〉として自らを解体する。ここに記されたシキ・イチノセが、ボクの知る一ノ瀬志希と同一人物であると、今ある情報だけでは断定できない。しかし、そのような留保をするのは機械のフリをすることで、人類の持つ特性たる直感的思考に、ブレーキを意図的に掛けるようなものだ。

 考えるまでもなく、シキ・イチノセとは一ノ瀬志希だ。それしかありえない。今夜、特別展〈バベル〉の準備が進められ、いまこの瞬間こそが開催前夜であるとするなら、この夜が明けるまでに、ボクは一ノ瀬志希のもとに赴かなければならない。答えを得るために。

 ボクは知っている。

 一ノ瀬志希がすでに死んでいることを。

 特別公演〈バベル〉――かつて二宮飛鳥は一ノ瀬志希と同じ舞台に立った。ボクとキミが二人で立った、最初にして最後のステージ。

 繰り返そう。

「志希。君は死んだ」

表紙イラスト:くわばらたもつ 表紙デザイン:有馬トモユキ

――全六篇、SF作家デレマス合同第六弾特別号
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ご期待ください。

2021年12月29日 中央総武線最寄りP


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